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ころがるえんぴつ/某コピーライターの独立とかの話_01

第1話/2007年4月初旬:28歳男子、廃業す。


 「お兄さんね、めざすならタクシーより、バスだよ。それも都営ね。タクシーはね、今、全然ダメだから」
「そうなんですか」
 僕はこのタクシードライバーとの会話を、一生忘れることはないと思う。
 半開きの車窓から見えたのは、深夜1時の芝公園。散りかけの葉桜と闇夜に浮かぶ東京タワー。トランクには段ボール3箱分の諦めが詰め込まれていた。
 ここが、しょぼい僕の、しょぼいスタート地点だった。

「じゃあ、今日辞めろ」
「はい。辞めます。お世話になりました」
 その会社を辞めることは、半月前から決まっていた。正確には、その時就いていたコピーライターという職業自体を「辞める」ことを決めていた。その理由はおいおい語っていくとして、辞めるに辞められない事情が、僕を追いつめていた。

 担当していた案件が停止状態に陥り、去るタイミングがつかめなくなっていて、僕の精神状態は、だいぶまずいことになっていたらしい。そこまでの自覚は無かったけれど、当時の僕を見ていた友人や恋人(現・妻)は「死んでたよねえ。目が」と口を揃えて倒置法だ。そんな状況の中、案件の長期ペンディングが確定し、僕は上司に食ってかかったのだ。「じゃあ、もう、辞めさせてくださいっ」と。

 売り言葉に買い言葉。話は一気に進み、その日の夕方には全ての引き継ぎが終わっていた。同僚数人に誘われ、小さな送別会が行われたけど、申し訳ないことに記憶があまり無い。私物が入った段ボールをタクシーのトランクに放り込み、一目散に麻布十番の自宅へと逃げ帰った。
「あぁ。全部、辞めちゃったな」

 28歳だった。大学を出て約5年。編集者、ライター、コピーライターと、似たような職を転々として来たが、もはや、そこへ戻る気が一切失せていた。それは失業なんて制度的なものではない。「廃業」という、一人の職業人としての終焉みたいな、そんな悲壮でいて、どこか強固な逃避の意志があった。

 静かに運転を続けるタクシードライバーの後ろ姿を眺めながら、僕はふっと口を開いていた。
「いやあ、今、仕事を辞めてきましてね」
「はあ」
 そりゃまあ、「はあ」としか返せまい。そして僕は続けた。
「どうなんですかね?タクシーの運転手のお仕事って」

 で、冒頭の会話につながる。文章で身を立てることを漠然とめざして、5年間はいずり回って、それなりに努力もして、築いた人脈も少なからずあって、それらは、学生時代から自分なりに育ててきた唯一の財産でもあった。それでも、そんなささやかな財産ですら持ち重りがして、それら全てを捨てしまおうと思った、まさにその瞬間だ。

「バスか…デカイ車の運転は、無理だなあ…」
 タクシーを降り、自宅についた僕は、大汗をかきながら、段ボールを部屋に運び込んで、現実から身体を投げ出すように眠ってしまった。


 無職生活は、ごく静かにはじまった。静かに目を覚まし、静かに部屋の片づけをすまし、静かに辺りを見回す。うん。何もすることがない。本当に、何もない。全身の力が抜け、茶の間の座椅子に座り込んだ、
 肩は力なく下がり、頭はその上に辛うじて乗っかっているような状態。風が吹いたら転がり落ちそうだ。口はぽかんと半開きにしたまま、眼球だけを動かして壁の時計を見る。時刻は11時を少し過ぎたところだった。「ああ、そうか」と、声にならない声でつぶやく。時計なんて、見る必要さえないのだと気づいて、自嘲気味に笑おうとした瞬間、異変が起きた。

「どーん」

 低い轟音の様な何か。音かどうかもわからないものが、身体の奥で響いた。正体のわからない圧迫感がジワジワと近づいてくる。部屋の空気がぐにゃりと歪んでいき、全身に鳥肌が立つ。その鳥肌が悪寒を運び、震えが始まって、額がじっとりと湿ってくる。

「無理無理無理無理っっ」

 気が付くと、「無理」を小さく連呼しながら、座椅子から立ち上がっていた。大げさな描写に思えるかも知れないが、恐ろしいことに、だいたい正味の話である。
 あの異変の原因に名前を付けるとしたら、それは「無為」だったのだと思う。目の前に突然現れた、膨大な「何のためでもない時間」。社会に出て数年間、仕事に追われ続けてきた人間は「無為」に対してあまりにも免疫が無いのだ。定年退職後に呆けてしまうなんて、容易に想像が出来た。
 さて、ここで重要人物K氏が登場する。やや唐突かもしれないが、事実、唐突に登場したのだから仕方ない。何せ、K氏は僕の家の2階に住む同居人だ。階段を降りて来て唐突に登場するのは、ごく自然な流れとも言えるだろう。K氏は寝起きの開ききらない目にメガネを装着しながら、不思議そうな表情でこちらを見ていた。
「あー、あれ?会社は?」
「辞めてきた」
 ちなみにK氏はフリーランスのWEBデザイナーなので、家にいても何ら不思議はない。
「やっと辞めたんだ」
 K氏の反応は極めて普通だった。「今日カレーだよ」「ふーん」くらいの会話で事は済んだ。
「うん。まあ」
 ちょっとは驚かれると思った手前、逆に反応に困ってしまった。
「まあ、しばらくはウチでご飯でもつくっててよ。材料費は出すから」
「うん。まあ…はい」
 なんというか「…まあ」が多い会話の中で、僕に出来ることと言ったら、全ての所作をしおらしさで包むことくらいだった。
 僕の自宅は、その成り立ちから若干おかしい物件なのだ。港区元麻布という一等地の一戸建てではあるものの、その正体は築年数不明の狭小オンボロ木造住宅。常時2〜4人が共同生活を送る、阿片窟の様な家なのだ。仲間内でついた通り名は「麻布邸」。一部では「麻布の九龍城」とも言われていた。
 ちなみにこの時点での「麻布邸」の住人は僕(28)とK氏(33)、そして写真家志望のメッセンジャーのマツモト(23)、黒猫の兄妹、リンダとじゅうべえ。3人と2匹。
「ふーん。辞めたのか…」
 最初はドライな態度を見せたK氏だったが、メガネの位置を微修正しながら、口だけでにやりと笑った。
「とりあえず、メシでも食いに行こうよ」
「…あ、はあ」

 僕は何故ゆえに、こんな場違いな所にいるのだろうか。
 昼下がりの高級寿司店には、僕とK氏以外の人影はない。メニューは最安で1200円のバラチラシ。大将はカウンターの向こう側で、注文を待ちかまえている。さて困った。失業1日目。金なんか無いのだ。
「上にぎり2つ」
 K氏はこともなげにそういった。ぽかんとしている僕をニヤニヤしながら見ている。
「…いただきます」
「食え食え」
 何とも所在ない食事だった。言葉少なに、イカから手を着け、白身、光り物、玉子、海苔巻き、海老、イクラ…で、マグロ。典型的な「高そうなものを後に残す」感じの、一抹の悲しさがにじみ出す食い方だった。確かに1人前2500円だけあって美味い。美味いのだけど、正直、味なんてわからなかった。
「あ、大将、ウニっておいくらですか」と、K氏。
「今日は、2カンで800円になります」
「んじゃお願いします」
 野郎、かぶせてきやがった。そしてもう一言、かぶせてきた。
「昼間っから、ゆっくりと、こんなにいいモノが食べられるんだよ。フリーって、いいでしょ?」

 後から思えば「この一言」こそ、K氏の「モリタテツオ再利用計画」のスタートだったのだ。でもまあ、このときの僕の素直な気持ちは、「フリーがいいんじゃなくて、あんたが儲かってるからいいって話じゃねーかよ」だったことも付け加えておかねばなるまい。


つづく

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