レーベルを設けていて良かった
ロックな生き方というのは、なかなか理解されにくい。
ロックへのイメージ自体が、世間一般ではあまり良いものではない。
反抗的、攻撃的、汚くて危ないなど、品が無い言葉のオンパレードのイメージ表現が多い。
しかし、ボク自身が感じている「ロックに生きる」というのは、次の三つに集約される。
自分はどうしたいのかという主体性を磨き続けること
どれだけ生きるかを満足するよりどう生きるかに納得すること
人と戦って勝ちを得るより戦わずに価値を創る道を行くこと
こうして並べてみると、確実に一つ言えるのは、ボクの感覚でいうロックに生きるというのは、平和な世でないと活きてこないということだ。
だから、唯一ボクが抗う時は、安全性の担保が失われる時だろうな。
でも、平和だから幸せかというと、それはまた別の話である。
もしかしたら、見えない何かのチカラによって、自分の主体性を見失うことで自ら考えようとする力を放棄していることもあるからだ。
気づけば、経済の中心には「権力」と「資本力」しかなく、生活者は働く場面も暮らす場面も、いつの間にかそれらの思うように流されている可能性も高い。
豊かさと利便性というニンジンを目の前にぶら下げられただけで、心豊かさは失われているかもしれず、秩序を乱す人は危険因子として扱われる。
人為的に造られた常識に波風を立てようとすると追いやられやすい。
そうした中で、先に述べたようなボクの感覚が「ロックに生きること」だとしても、結局は浮いた存在にはなりやすいらしい。
そうだとしてもだ。
人にどう思われようと、自分が納得できる生き方しかできない。
だから、未来のあたりまえとなる価値づくりには、失敗を恐れずに実践力を高める。
そもそも失敗は、挑んだ者しか得られない財産だし「失敗」という漢字二文字はとても良い言葉なんだよね。
挑んだ成果としての失敗の全てを次への糧にすれば、自分オリジナルの財産であり、納得できるまで辞めないから「失敗」は「敗れることを失う」と書いてある。
やりたいようにやってみたいことが度が過ぎて、メンドクサイ人と言われるのは幼少の頃からだった。
将棋をしていて「王手!」と詰まれても「王なんぞくれてやるわ」とそのまま将棋を続けようとしたり…
空き地で野球に入れてもらっても「自分の次の打順が廻ってくるまで辛気臭いから、先に4回連続で打席に入らせてよ。あとは全部守るからさ」と訴えて怪訝な顔をされたり…
ルールを超えた楽しみがあるかもしれないと訴えても「まずはルール内のことで極めてからそういうことを言え」と呆れられるのが関の山だった。
当然のごとく、みるみるうちに友達は減っていったが、自分が納得できない中で過ごすことのほうが苦痛極まりなかったので、友が減ることより納得できる遊びをつくろうとしていた。
「勝ち組より価値組」
これを唱えるようになってから、随分経ち、今では結構な人に使ってもらうようにはなってはいるが、案外ロックに生きるっていうのは深いんだよ。
でも、気づけば今は「未来の自分に期待したくなる」生き方となっている。
自分が変わっているなど微塵も感じたことはないが、人に言わせると変わっているということなので、こうしたことをもう少し、理論体系的に紐解いてみる挑戦を5か月間行ってきた。
11月下旬の発行予定で「レーベルそら」から初の執筆本。
(発行:レーベルそら、発売:Bacckstage,Inc.)
以下の文章は、本の概要を彷彿させた言葉の羅列だ。
購読方法なども2022年11月発表予定。
それにしても「レーベル」って便利やな。
元々は、レコード盤の真ん中のステッカーにあるものを差し、レコード会社が同じカテゴリーと判断したものを、それぞれのレーベルで分けていたところから由来するもの。
世代や経験値、価値観や業態を超えて「そうそう、そこな!」という同じ匂いの人だけが反応すればいいものという主旨で、いずれ個人的に設けていた「レーベル」というのが、新たな人のつながりのキッカケとなるかもしれない。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
#キレイゴト上等
#勝ち組より価値組
#自分を活かして生きる者こそが生活者
#ロックな仕事観
#がんばり方を間違えない
#やり方よりあり方
#ロックな生き方思考
#経済はありがとうの循環でできている
#競争と切磋琢磨は違う