解かりくい「リノベーション」
今朝のTwitterで、不動産業界の方とのやりとりが、ボクには有益だった。
数年前に、「そもそもリノベーションとは?」ということを、一般生活者の多くの人が深い理解がないことについて、持論をSNSに記載したところ…
当時、関西圏の不動産業の人に、「定義を知らずに不動産業界を批判するのはいかがなものか」と揶揄されたことがある。
その時は業界批判をしたつもりは微塵もなく、反論もしていない。
また、「定義」が大切なのも解かる。
しかし、一般生活者を惑わせずに、誤解も生まずに本質的な「感覚」を芽生えさせることもとても大切なんじゃないかなと強く感じている。
生活者が、歪んだ情報に惑わされず、より豊かな時間とお金の使い方をするならば、ボクは、業界側の主張する「定義」よりも、もっと生活者にとっても理解しやすい…または誤解を生まない「感覚」が大切と感じている。
もちろん、業界側がもっと生活者目線になってくれということばかりではなく、生活者側も、もう少し「自分はどう生きていきたいのか」という主体性も明確にして、民度を上げて行かなければならないとも感じている。
当時の記載主旨も、今朝Tweetした以下の内容と、大して変わらない。
主体者に違いがある
とても簡易なのは…模様替え。
そして、修繕修復するのは…リフォーム。
ここまでは、どうも誰も異論はないみたい。
ところが…
「特定」の「家主」に合う空間に再生。
「一定」の「借主」に合う空間に再生。
これを、どちらもリノベーションと言われるから…素人は混乱する。
なぜ混乱するかというと…
両者は、主体者と目的が違うように感じるからだ。
この二つは目的が違う
前者のリノベーションは、主体者はそこに住む家主。
その目的は、自身が納得する暮らしづくりをその後も築いていくこと。
後者のリノベーションは、主体者はそれを所有する大家さん。
その目的は、一定のマーケット層に満足してもらって収益を高めること。
建物の価値が上がることを主体とするなら、どちらもリノベーションであるのは理解できなくもないのだが…生活者が主体的にリノベーションを活用するのは、前者であると感じている。
どちらも住まい手には価値ある施工であることは理解できるが、後者は何処まで行っても、造られた住まい空間に住まい手が合わせるものとなる。
住まい手に空間を合わせることをリノベーションの本質と理解すると、前者を指すことのほうが、しっくりくる。
なんでもかんでもリノベーションと言わずに…
呼び方も業界側で紛らわしいことをしたり、上手く言おう、カッコよく表現しようとすることなく、平たい表現で区別してくれると、生活者にはとても助かる。
たとえば…
前者は家主リノベーション。
後者は大家リノベーション。
そうだとすると、後者は賃貸業だから「新住人入居前のリニューアル」という表現をしてくれたほうが、凄く解りやすい。
つまり、前者をリノベーション、後者はリニューアルと言ってもらえると、いろんな誤解も生まずに済む気がするんだよね。
または、両方ともリノベーションであることに変わりはないというところが譲れないのなら、洋服でもオーダーメイドと既製服があるように…
前者を「オーダーメイドリノベーション」、後者を「既製リノベーション」とでも使い分けてもらえると助かる。
こうした業界素人のつぶやきにも、今朝のTwitterやりとりで、真摯に向き合って下さった不動産屋さんに、心から感謝。
もっと生活者が目覚めよう
こうして、業界側が複雑にしてしまうからこそ、生活者の距離と遠くなってしまうことは、何も不動産業界だけではなく、服飾や食品業界でも、同じことはたくさんあるような気がするんだよね。
そして、それは、何も業界側だけの問題ではなく、生活者側も、いろんなことに関心を持つことで、もっと自分達の生き方に本質的に良い方向に変えられることはたくさんあると思うんだ。
無知であることよりも、とにかく無関心であることが、本当に怖い。
もっと目覚めても良いんじゃないか…生活者たちよ!
生活とは、自分を活かして生きる者のことだからだ!
こうして、ボクはまた、いろんな人の目の敵にされるんだろうな…^^;
でも、嘘のない自分で生きたいので、仕方がない…ロックなんで。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳
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