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習慣の質(男子トイレの実情)

この実情は、過去何度となくFacebookでもTwitterでも、その昔はmixiでもアウトプットしているが、やはりあらためて記述せざるを得ない。

この年末年始は、公共のトイレを使う機会が多かった。
高速道路SA、アウトレット施設、ショッピングモール…数日の間に公共トイレを使うことは10回以上あったが、今から伝えることは紛れもない事実だ。

小さな用を足した人で男性の大半が…

トイレから出る前に手洗いをしていない

特に小便後の手洗い無しの人は9割以上

(この年末年始での公共トイレでの自分調べ)

小さく用を足した後は、開けていたチャックを上にあげたあとは、そのままトイレを後にしている。
オトナが洗わないから、そのコドモまで平気で手洗いをせずに出ていく光景も何度も見た。

個室から出てくる人は大きな用を足しているためか、手洗いをしている人は少しだけ増えるが、それでも蛇口から水を出して手をサッと濡らすだけだったり、やはり手洗いも全くせずに出ていく人も多い。

このような記事に驚愕する女性が、身近な男性に聴くと「そんなことはない」という回答が返ってくるだろう。
ご自身は手洗いしているから自分が責められた気になって憤慨するか、もしくは実際に手洗いをしていないから誤魔化すかのどちらかだ。

残念ながら、この年末年始でのボクが観察している限りでは、上記の実態は事実である。

ボク自身は、とりわけ「お行儀が良い人」「作法に厳しい人」でもなんでもなく…自分はきちんと手洗いをしていますよというアピールがしたいわけでもなく、潔癖症でもない。

「トイレを出る時は手を洗う」…その必要性の是非を問いたいのではない。
「手洗い」とは、そもそも誰のためにあるのかということだ。
「手洗い」は、自分のためだけではない。
その手で、階段やエスカレーターの手すり、展示商品、場合によっては家族の手を触っている可能性もあるわけだ。

「親(または嫁)に手を洗いなさい!と言われるから洗う」…それって電車の中ではしゃぐ我が子に「ほら!周りの人に叱られるよ!」と戒める口調で育ってきた子供と同じこと。

結局「何のための行為なんだろう」を理解しないままでは、習慣づけにもならないし、習慣の質は高くならない。

いつからなんやろ?…いつから日本は「自分さえ良ければ良い」感覚を許す国になってしもたんやろ?

「小便した後に手洗いをしない大人の男性が多い?…そんな小さな事を気にしてどうするんだ。」ということを真顔で言われたこともある。

いや、ボクは…

小さな事だとは思わない


トイレで用を足した後に手洗いをしないと逮捕されるわけではない。
ネットでニュースになるわけでもない。

しかし、人としての「習慣の質の低下」に「無関心」であることのほうが、とても怖いことやねん。

ウィルス・食中毒・大気汚染よりも「人の心」が汚れるほうが恐ろしい。
いや「人の心」を働かすことよりも、脳ばかりを働かして作られた社会システムになりつつあるから、いろんなものが蔓延するのかもしれない。

  • 働き甲斐を喪失させる社会構造

  • 主体性と好奇心を奪う教育環境

  • 効率性ばかりを求めて非合理的な評価姿勢の蔓延

「心が働くなること」は、子供から大人まで社会全体に言えることだ。

モラルやマナーを意識した「習慣の質」なんていうものは、日々の暮らしの中で宿っていくもの。
日々の生活で、自分はこうありたいという主体性をもって行動を続けることが、珍しい人・めんどくさい人と言われる国になってはアカンねん。

トイレの話だけに、水に流して良いこととちゃうねん。

全国一斉に公共のトイレでの「手洗い」の実態調査をして、数値化したものが報道でもされると、この件に関心を持つ人はもう少し増えるんやろか?
それでも、そうでもしないと関心を持たれないこと自体が、虚しい。

Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳

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