暮らしをデザインすることから学ぶ
1.学ぶべきもの
晩年の渋沢栄一も巻き込み、関東大震災後の救済と復興に貢献した医師であり政治家である後藤新平。彼が遺した心響く言葉がこれです。
後藤新平は、「最大の経済対策は、人育てである」と唱えていたそうで、街づくり・価値づくり・潤いのある経済も、全て「人が育つ土壌づくり」からという原理原則を否定する人は、今もほとんどいません。
その「人育て」の根本となるものが、個々の「主体性の育み」であると、ボクは考えています。
その主体性を形成する「美意識」や「心の潤い」のような感性は、各家庭の「衣・食・住・遊」で構成される「暮らしづくり」の中で育まれます。
つまり…「人が育つ土壌づくり」は、「心豊かな暮らしづくり」からであることは間違いないはずなのですが、主体性が育まれる土壌としての「心豊かな暮らしづくり」とは何かを学ぶことができる場面は、ほとんど見かけません。
未来に活きる価値づくりの土台ともいえる「心豊かな暮らしづくり」については、皆さん、いつ、どこで学ぶのでしょうか?
親子や夫婦の対話が潤う住まい空間
快適に寛げるインテリアデザイン
自分らしさを引き出す衣服の纏い方
美味しさの裏側にある素材の知識
美味しさを引き立たせる食器の形と彩りや灯りの環境設定
明日への活力になるレクリエーション
各要素を引き立たせる哲学やアート
このように列挙してみると、心豊かな暮らしとは、何もお金持ちの贅沢な世界というわけではなく、我々に身近なものです。
豊かさや美しさは、生活者の日々の暮らしに宿るものなのでしょう。
それでも、これらのことは、知識量と情報処理能力が試されている学校のテストでは出題されませんし、企業の価値づくりの現場でも、心豊かな暮らしづくりのことが話題になるのは、インテリアなど一部の業態だけです。
「受験に何の得があるのか?」「自分の仕事とどういう関係があるのか?」と、一般的には無関心となりがちです。
そのため…社会に出て、企業に勤め、管理職となり、経営者となっても、こうした感性をくすぐるような要素は、「成功者だけが得る豊かさの象徴にあればイイもの」くらいの感覚になっていないでしょうか?
経営者や管理職も、あらゆる働き手も…また、子供の教育過程においても、今を生き抜く現代人こそ、「未来に活きる価値づくりのヒントがたくさん詰まっている『暮らしづくり』に関すること」を学ぶ…または、そこに少しでも関心を持つことが、どうしても欠けてしまいがちではないでしょうか?
ビジネススキルとしての知識を詰め込む自己啓発や、就職対策のための学業ばかりで、「暮らしづくり」に無関心のまま、未来に活きる価値づくりが、よくできるものだと不思議でならないんです。
むしろ、そこが無関心だから、「自社存続」「自分出世」だけが目的の働きとなりがちで、有機的な価値づくりが希薄になっているのかもしれません。
成長経済だったこれまでの時代は、人の評価も企業の評価も全てが、数値化できる実績・資格・技能こそが評価されることで機能してきたため、肩書きや属性によるランク付けに奔走したりもしてきました。
でも、経済を取り巻く環境は、一気に変わってきます。
価値づくり(働き)、暮らし(生活)、人育て(子育て)が、あらゆる場面で分断され、学ぶものを間違えると、未来に向けての「頑張り方」を、みんなで間違えていってしまう危機感すら覚えます。
2.三つの社会的課題
流行り風邪のパンデミックによって、我々の暮らしぶりは一変しました。
一方で、そんな事態が起きる前から、ずっと指摘され続けてきた三つの社会的課題がありましたが、対処方法のスピードアップが感じられたことはなく、概ね先送りされているというのが実情でしょう。
以下、三つの社会的課題です。
「この国未曽有の急激な人口減」…大企業中心の経済発展の秩序の崩壊
「止まらぬ環境破壊」…経済発展こそ美徳とする過剰なエネルギー需要
「健康を蝕む人工物」…電磁波・PM2.5 ・添加物などの人体への悪影響
静かに、そして確実に、その脅威は忍び寄ってきているということから、「質(たち)が悪い」とも言えます。
もちろん、多くの人が未来からの警報が鳴っていることを認識しながらも、その警報に馴れ過ぎて、立ち止まって行動を変えようとはしませんね。
コレはまるで、救急車のサイレンが聞こえているのに、交差点などで止まってくれないクルマや歩行者ばかりとなり、緊急車両の遅延が増えている日本の現状に近い感覚を覚えます。
みんなで無関心を装い、三つの社会的課題に向けた行動変容がなかなか起きないのは、未来の子供達には、とても罪深いことですよね。
これは、政治や行政がお粗末だったり、大手の企業責任などではなく、我々一人ひとりのふるまいの責任感と行動力が問われています。
絶望的に選挙投票率も低いこの国は、特にそうかもしれませんが、このコラムでは「暮らしを豊かにすることを学ぶ」ことがテーマなので、話を元に戻しましょう。
要は、我々草の根の個人にこそ、マクロ的・俯瞰的な視点が求められる時代であるのは、間違いないのです。
身近な暮らしと、社会全体での課題は、直結している事は明白なんです。
3.主体性を目覚めさせる
この言葉に、今ボクらが感じていることをかぶせてみると、こうなります。
そう!
まずは働く人達が、自分は一体誰の幸せを築きたいのかという「主体性」を持って、さまざまな事に関心を持ち、学び、試し、納得できる歩みと生き方が重要になってきます。
もうこれまでの常識が通用しない
この国で、誰も経験したことがない「急激かつ慢性的な人口減」という決まった未来では、マーケット全体のパイが小さくなる一方であるため、シェアの占有率での生き残りということ自体が意味がなくなります。
「右肩上がりの成長経済・経済発展こそ美徳」とされていた経済秩序が崩壊することを意味しています。
大規模展開の優位性
カリスマ経営による牽引力
マスマーケティングによる差別化戦略
こうした成功体験や固定観念が、一切通じなくなるわけです。
だからこそ、これまでの経済活動の常識を疑い、マーケット縮小環境下で、どのように次世代につながる価値・未来に活きる価値を創り、経済を成り立たせるかの方が大切になってきます。
それでも、急に「働く人には、主体性とクリエイティブ性が求められる」と言われても、知識の詰め込みと情報処理能力ばかりを求められる社会構造で育ってきた我々が戸惑うのも、無理はありません。
そこで…自分達の主体性を覚醒させるためにも、次世代につながる価値づくりのヒントを得るためにも、私達は何を学べばいいのでしょう?
ボクらは、今一度「心豊かな暮らしづくりとは何か」を学ぶことによって、個々の感性が磨かれることが大切だと先に述べたのは、そういう理由があります。
もう自分を犠牲にしない
何度もネイティブアメリカンのことわざを引用してしまいますが…
お客様(マーケット)に、どのような変容が生まれる提案をすると、高い価値として認められるのか…。
そこに明確な答えなどないからこそ、まずは自分自身の日々の暮らしの中に宿る心豊かさに気づき、それが目覚めるものとしての「暮らしづくりのあり方」を学ぶことは、自然な流れでもあり、自分ごとにも落とし込める関心高いもののはずです。
これまでは、生活者も労働者も、自らの主体性に蓋をして(犠牲にして)、政治力や資金力が「人為的に造ってきた常識」に合わせて、彼らにとって都合の良い人間となるほうが、楽(らく)だったのも事実でしょう。
それでも、心豊かな暮らしづくりは何かということに目覚めると、本質的な価値づくりのヒントにもなるし、さらに嘘のない自分で主体的に生きることが楽しいと思えることにもつながります。
「そうか!そういうことを本気で楽しんでみようか!」という学びは、必ず未来に活きるはずです。
それを楽しんでいる背中を、次世代に魅せることは、とても大切ですしね。
これまでの成長経済前提の社会環境ならば、シェア拡大・カリスマ的な牽引力・ヒエラルキー文化による組織経営も、意味があったのかもしれません。
しかし、自然の摂理として、今の流れを汲んだ時、経営者自身も「心豊かな暮らしづくり」に関心を持ち、学び、顧客・従業員・仕入先などの取引先と共に、価値づくりを高め合うべき時期がきているのでしょう。
4.今から先を感じる
個人的な話ですが、ボクらは「過去から今を学び、今から先を感じ、未来に活きる価値を今日から創ろう」というモットーで、日々あらゆる価値づくりの場面に向き合っています。
そうしたこともあり…
最近特に、経営者、管理職、企業勤めの人、専門「士」業、個人事業主こそ、「心豊かな暮らしづくり」とは何かを学ぶ重要性を唱え続けています。
この話を投げかけると「私にはセンスがありませんから」「そうした感性や文化的なことは疎いですから」と敬遠する人もいますが、実は感受性が強くないと学べないのかというと、そうでもありません。
現在ボクらの個人事業主コミュニティでは、ハウスクリーニング、建築家、洋服モデリスト、売り場づくりの専門家、親子の関係性コーチ、庭師などが講師となり、今日からあなたにもできる「心豊かな暮らしづくり」のヒントとなるセミナーも実施してきました。
ここで共通しているのは、聴講者がいきなりセンスを磨くということより、衣食住のあらゆる分野において「お作法」と「気づき」を頂いているように思うのです。
いわゆる「お作法」を学ぶだけで、その美しさに惹き込まれることもあり、自分自身の佇まいにも、仕事の向き合い方にも、素敵な「美意識」が芽生え、あらゆる場面での価値づくりにも活きるものにつながっています。
冒頭に紹介した、後藤新平…彼は、関東大震災の復興は、民衆全員の私利私欲よりも、コミュニティ的説得により粘り強く得た民衆の共感により、街全体の安全性と価値を高めていったそうです。
「人々の心をとらえる文化のチカラ」を重んじ、「パブリックの精神」を唱え続けていた強い信念があったそうです。
ボクらも、職場・学校・街・家庭でも「美意識の高いパブリック精神」は、最大の経済対策だと、本気で考えています。
実際に後藤新平が亡くなった時には、個人資産は全く残っていなかったそうですが、素晴らしく多くの人を育てたと言われているそうです。
経営者も働く人も、今もっとも学ぶべきことは自身のスキルアップのことばかりではなく、どの時代に生まれても、人がやるべきこと(責任)は同じなんじゃないかな…ということです。
それを、ボクらは多くの先人達から、あらためて学ばないといけません。
社会を形成している我々オトナから、主体性を目覚めさせ、心豊かな暮らしづくりを本気で楽しむ姿勢は、次世代の価値創造力と、素敵な美意識が芽生える最大の説得力となります。
「働き手は主体性など必要なく、余計な事を考えずに指示する通りに働けばイイ」というのが通用しないという事…それを認める勇気が無い人達には、何一つ響かない提案です。
Backstage,Inc.
事業文化デザイナー
河合 義徳