すべての過去を売った青年 後編
棚からぼたもち
努も光もうろたえた。夢を叶えたければ、光の人生のほぼすべてを捧げろということだ。
「光さん、絶対にダメだ!二人の夢を叶えると言ったって、叶う前に光さんが死んでしまう。僕の記憶が戻っても、コレは受け入れられないよ」
「わたしが、犠牲になって、努の夢が叶うなら…」
「嫌だ!店員さん、僕の人生も売ります。二人分売れば、負担を減らせますよね?」
リサイクルショップの店員は、相変わらず澄ました顔で答える。
「かしこまりました。それでは査定いたします」
記憶を失くした努が、ありったけの想いを込めて光に語りかける。
「二人の夢なんだもの。切り捨てる寿命も、二人一緒にしよう」
「努……ごめんね、わたしの支えが足りないばっかりに、あなたを記憶喪失にまでしてしまった」
「できれば、二人一緒に死ぬとかがいいな」
「そんな遠い未来の話なんて…」
「案外、近い将来かもしれないよ」
「そうね。それでもいい。努が弁護士になる夢を叶えて、わたしも幸せに。…それでようやく、結婚もできるわけだから」
店員が二人の会話に割り込んだ。
「査定が終了いたしました。お二人の寿命を15年ずつ残して、お客さまのこれまでのご経験を買い戻せます」
努と光はしばらく見つめ合った。
努がつぶやく。
「15年......お互い、短い人生になるね」
光が返す。
「わたしは、それでいい。今まで大したケンカもせずに過ごせた日々が幸せだった。夢が叶って死ぬまで仲良く暮らす人生を、世界中に自慢してやるわ」
覚悟を決めた努が少し小さな声で、しかしはっきりと言った。
「わかりました。二人の寿命を売って、今までを買い戻します。僕の人生ってどんなものですか?」
店員はニコッと笑って、こう告げた。
「かしこまりました。では、お客さまの『あと3年の勉強の末、弁護士になる人生』を買い戻すということでよろしいですか?それから少しお釣りも発生します。ご承諾いただけたら、ここにサインを......」
1年半後。
「光さん、ただいま」
「おかえり努。司法修習の初日、どうだった?」
「うん。今日はカリキュラム説明でほぼ終わったよ。だけど司法試験ほどプレッシャーがかからない分、気が楽」
「そっか。さあ、夕飯を買いながら『支払い』に行きましょう」
努と光はいつもの電車に揺られ『リサイクルショップ・ダブルエース』に向かった。
「ねえ光さん。ぼ…俺、今日はブリとかが食べたい」
「お、出世魚だね。ていうか、無理して『俺』に直そうとしなくていいよ。わたし、『僕』で話す努もだんだん好きになってきたし」
出世という文言に、二人の心が躍る。電車の振動すら、ウキウキした心境を具現化したビートのようだ。
そして、件のリサイクルショップの入り口をくぐり、例の店員と相対した。
「いらっしゃいませ。今日も『人生の買い戻し』でよろしいですか?」
「はい。今回はこの額で、高校の修学旅行の想い出を6日分」
「かしこまりました。次回に買い戻す人生の内容を伺ってもよろしいでしょうか?正確な査定が必要ですので」
「はい。次回買い戻す人生は……」
二人はあの日、一度にすべての過去を買い戻さなかった。
あと3年の勉強で司法試験に合格して寿命を失うより、あと1年勉強して合格し、記憶喪失の努のままでいい。そう判断したのだった。
「だけどさ努。あの時はホント拍子抜けしたよね。売った人生を分割払いで、しかも現金買い取りで取り戻せるなんて」
「僕が『僕の人生ってどんなものですか?』って言ったら、店員さん口を滑らせてあんな説明するんだもん、何事も聞いてみるものだね!」
「そうそう、すぐに銀行からお金おろして、他の誰かに努の記憶取られないように、内金を支払ってキープして」
「おかげで僕たちの人生薔薇色どころか虹色!」
二人は夕食を頬張りながら笑い転げるのだった。
「でも光さん」
「なに?」
「なんで僕たちに、こんな幸運が転がり込んだんだろう?」
「それは……二人で仲良く、真面目に努力したから、じゃない?」
「それだけかな?」
「それ以上は考えても分からないわよ。世の中には理屈で説明のつかない事、いっぱいあるからね」
記憶喪失のままの努は、
「リサイクルショップで互いの命まで差し出そうとした僕たちに、神さまからのプレゼントがあったのかもしれないな。記憶喪失でも光さんのことが大好きな僕で良かった、ありがとう」
そう言おうとして、口にしたブリと一緒に飲み込んだ。
完