何百枚ものCDをただの一枚も捨てずにいる理由
インディーズ時代に対バンさんから頂いたり買ったりしたCDは、今もすべて大切に保管している。
この間、部屋の整理をしていて懐かしくなり、そのうちの一部を聴いた。
言うまでもないことだが、当時と今とで感じ方や目線が大きく異なっていることに気がついた(同じだったらやばい)。
今になって振り返ると、当時の自分は尖っていて、共演者の音源をその場で買うなんてことは滅多になかった。ご厚意でプレゼントしていただけるという場合でさえも、まあ気が向いたら聴いときますよ、といった、上からな目線だった。
それはなぜかというと、ナメられたら終わりだったから。
より正確に言うと、ナメられたら終わりだと勝手に思い込んでいたから。
そうは言ってもやはり、他人の作品というのは気になるものだし、ましてそれが自分より動員の多いバンドの音源だったりしたら尚更だ。
家に帰るなり、ライブハウスで身に纏っていた威勢をかなぐり捨ててコンポにCDを挿入。震える人差し指で再生ボタンを押す。
そして毎回、自分など到底足元にも及ばないような素晴らしい音源の数々に圧倒され、悔しくて嫉妬して感動して絶望して泣いた。
今改めて、当時と同じ音源を聴く。
そこに懐かしさを感じることはあっても、悔しくて絶望するだとか、まして嫉妬するなどというようなことはまずない。
むしろ落ち着いて聴けるから、当時より聴き方として正確だと思う。
同じようなことは他のCDにも言える。ここまで熱いエピソードは伴わないにしても、一枚一枚にその時の思い出が刷り込まれている。なぜそのCDを欲しいと思ったのか、どういうときに聴きたいと思ったのか、聴いて何を感じたのか、今はどう感じるのか、その感じ方は変化したのか、していないのか。
単に音源を聴き比べるだけならmp3のデータファイルで構わないのだけれど、音楽に対して自分という人間の変化を測りたいような場合は、思い出や記憶をまとっているCDで聴くことが多い。
そんなわけで、今までに買ってきたCDをただの一枚も売ったり捨てたりしたことがないので、自室にはものすごい数のCDがある。それを年に何回も聴くわけではないけれど、そこにあるということが重要な意味を持っていたりする。
おまけ
久々のおまけは今回の記事の校閲・・・というと大げさですが。
割と熟成した下書きなので、noteにベタ書きでなくきちんと整えたいと思って。せっかくなので添付してみました。