娯楽と不謹慎の差【エッセイ・弦人茫洋2021年9月号】
このマガジン「弦人茫洋」は、毎月一日に「長文であること」をテーマにして書いているエッセイです。あえて音楽以外の話題に触れることが多いです。バックナンバーはこのリンクからお読みいただけます。
先月は祖父の死であわただしくしておりこのマガジン更新できなかったどころか、すっかり忘れていました。
今月から、またよろしくお願いします。
9月になりました。
9月1日は防災の日です。9年前(2012年)の9月に、学生ボランティアで東日本大震災の復興支援ボランティアに参加したことがあり。ボランティアから帰った後にまとめていたメモを見つけたので、今日はそれを引用して記事を書きたいと思います。
※当時の全文をそのまま引用しますので、一部の表現がセンシティブに感じられる可能性があります。あらかじめご了承ください。
今朝7時頃かな、帰ってきました。さっそく感想、というよりも、自分が感じたこと、見たこと、聞いたこと、などは、まだ感情が研ぎ澄まされたままで記憶の新しいうちに発信していくべきだと思うので、今回のことを書きます。
よくも悪くも脚色はせずありのままに書きますが、いかんせん帰ったばかりで、感情を言葉にまとめ方がわからないので、表現等は必ずしも適切ではないかもしれませんがご容赦ください。
まず、端的な感想としては、「意外に楽しいじゃん」ってことです。
ボランティアって、行く前は、重苦しい空気の中どんよりとやるものかと思ってた。でも行ってみると、主な仕事はがれき撤去だったんだけど、重いがれきを運ぶのに野郎4人がかりとかで作業したんだけど、その掛け声のかけ方とか、運んだ後の「お疲れっす!」的な感じとか、楽しい雰囲気だったんですね。
班員とも仲良くなったし、旅館では思いっきりくつろげたし、変な話、作業のこと抜いたら旅行みたいな雰囲気の、そういうボランティアツアーだったんですね。
ある人の名言で「不謹慎と娯楽の差」っていう言葉があるけど、まさにそれです。沈痛な感じでずーっと作業してるとたぶんもたないんですね。歯ブラシであったりとか、ミニカーであったりとか、当時の日常を物語るものもいくつかでてきたから、そういうものを拾ったことや、それを撤去しなきゃいけない辛さったらないわけよ。明るく作業をして、旅館では友達と語らって、くつろいで、楽しむっていう時間が、少なくとも俺たちみたいな新米ボランティアには必要なんです。逆にそういう作業の仕方が求められる現場だから、すごく行きやすいと思います。気負う必要は全然ないので、少しでも興味のある方はぜひ行ってみてください。
というのも、地元の方がみんな口をそろえて言ってたんですけど、ボランティアの人が頑張ってる姿を見て、地元の人は励まされるんだそうです。120人が丸二日作業しても片付いたがれきの量なんて被災地の規模の大きさを考えれば雀の涙みたいなもんですけど、そういう物理的な側面よりも、精神的な側面での意義のほうが大きいんですね。
なのでボランティアが絶えず行きつづけるということは必要なことだと思うんです。1tのがれきを片付けて1t分の土地を再生するよりも、1kgでもいいから、ボランティアの姿を地元の人に見せることのほうが(ボランティアというくくりでは)意義深いという。
現時点ではこの程度しか考えがまとまってません。
感じたことの量があまりにも多くて、言葉にしつくせない。語りきれない。
友人家族などいろんな人に話していきたいとは思うし、ボランティアに行った以上それがある種義務でもあるんだけど、とっても大変ですね、自分の「考え」ではなく「感じたこと」を人に伝えるのって。
------------▼▼ここからは2021年のジユンペイ▼▼------------
災害というのは、いつやってくるか予告などしてくれるものでもなく、実に迷惑な存在です。
起こってしまった事態に対してはなすすべがないという点でも絶望的なものだと思います。
文中では、ボランティアについて「楽しい」と表記しており、「そういう作業の仕方が求められる」と書いてあることが印象的です。なぜなら、絶望的な状況下で求められる一番のものは希望だと思うからです。
「娯楽と不謹慎の差」というのはそういう意味で名言だと思います。文中でなぜ名前を伏せているのか意味が分かりませんがこれは2011年当時に元SMAPの中居正広さんがテレビ番組でコメントしていたものだったと記憶しています。
話が逸れましたが、災害は事前にわかるものではないし、だからこそ日頃から備えておきましょう、というのは、それはその通りです。
その通りですが、それでも起こってしまったことはもうどうしようもないというのも、これまた事実なのです。誰が悪いわけでもない。
そういった意味で、文中にある「精神的な側面での意義のほうが大きい」という指摘は、的を得ていると思います。我ながら。
翻って2021年。現代の人々が悩み苦しむ問題は、当時とそこまで大きく変わらないのではないでしょうか。
過去になく、精神的な支えや安心感が求められる時代になっているような気がします。
そういうのって、なんていうか、「近いうちこの業界が来るよ」みたいな文脈で語るようなものじゃないというか、困っている誰かに対しては、できる人ができるときにできることをできる範囲でやろうねっていう、そういう支えあいがやっぱり必要ですよね。
殺伐とした2021年の世にあっても本気でそう思えているだけでも、ボランティアに行ってよかったと思います。
それにしても、2012年から2021年。9年?その間ずっとブログやらで文章書いてきてるけど。。。
その割に僕の文章力に進歩が見られないことは、今日のところは指摘せず見逃してください。