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音楽と肌感覚


どんな人にも「肌感覚」というものがある。

合理的、理論的ではないけれど、なんとなくフィーリングで直感的にそう感じたことを「肌感覚では~・・・」と言う。



ギタリストも人間なので、皆さんと同じように肌感覚を持っています。

ただそれが一般的な「肌感覚という単語」と異なるのは、文字通り肌の感覚を指して比喩する場合にその言葉を用いること。


たとえばギタリストの世界には「歪」という言葉がある。「ゆがみ」ではなく、「ひずみ」と読むのが通例(だが、広辞苑にそう定義されてるわけでもないし、俺は「ゆがみ」と読んだって構わないと思ってる)。

歪というのは、いわゆるロックなギターのサウンドを思い浮かべてくれれば、そう遠くはないはず。


ま、こういう音色。



歪にも、ギタリストそれぞれの肌感覚があって、引用したヴァンヘイレンのようなサウンドがちょうどぴったりな人もいれば、それではアツすぎるからもうちょっと落ち着いた歪を好むギタリストもいる。逆に、それでは物足りなくて、もっと燃え上がりたいタイプだっている。

この、「ちょうどいい歪のライン(もしくはそれを判断する能力)」が、ギタリストにとって、ある種の肌感覚。



歪の質は、機械の品質だけによって決まるものではなく、大部分を演奏者の腕に拠っている。

なかでも特にピッキング(=弦をはじくこと。空き巣じゃない)が直接的に音質を決定する。これは人間が物理的に力を加える行為なので、機械でどうこうできるでもない。



そのピッキングを支える重要な道具が「ピック」。

ギターは基本的に指かピックかのどちらかで演奏するものなので、ピックはギタリストにとって指に等しい。


ピックなんて100円くらいで買えるから軽く見られがちだが、出音を最初に決定する、とても重要な道具だ。



これがまた奥の深い世界。

文字通り肌感覚に直結するものなので、100分の1ミリ単位で厚みの違いが演奏感に影響する。

より厳密に言うと、ピックも演奏しながら削れるものなので少しずつ厚みは変化しているはずで、その変化するスピードが人によって異なるし、その違いこそがギタリストそれぞれの肌感覚と言えるのかもしれない。



以前、SNSで「ピック弾きはダサい」と発言し問題になっているアカウントがあった。たしかに最近はクリーントーンで爪弾くスタイルのギターサウンドがメインストリームにあるし、正直、言いたいことはなんとなくわからないでもない。

ただ話を戻すとピックはギタリストにとって指に等しい存在なので、指で弾くことを是とするプレイヤーがピック弾きを揶揄するのはお門違いな気もする。

ラーメンを蓮華で食べる男は女々しいと言っているような。



結局のところ、演奏の仕方に正解も間違いもなく、本人が弾きやすいスタイルで気持ちよく演奏できることが一番。

ピックで弾こうが指で弾こうが、どんな素材のピックを使おうが、本人が気に入っているならそれでいい。自分のスタイルに正解を求めてGoogleに質問するなんて野暮な真似をしてはいけない。


ブライアンメイはピックの代わりに6ペンスコインで演奏しているし、若手時代のエディはアンプを持っていなかったからギターのボディを机に当てて共振させることで少しでも大きな音を出せるよう工夫して練習したなんて逸話もある。





自分がギターを始めた頃は、インターネットはあってもそれを使える環境にいなかったから、ギターに関する情報源は書籍から得る以外に方法がなかった。

かといってDVD付きの教則本なんて小学生の小遣いでは手が届かないから、学校で配られた音楽の教科書やこども用の図鑑、辞書など、身の回りにある情報の中で可能な限りギターに関する情報を調べ尽くした。


それでも満足な情報は手に入らず、アコギに電気を通すとエレキになるということくらいしかわからなかった。そんな、謎に包まれたミステリアスな雰囲気もまた魅力的だった。



小学生の時、軽快なカッティングに憧れて試行錯誤し、ピックの代わりにプラスチックの下敷きでギターを弾いてはどうかと思いついたことがある。下敷きは面積が大きいから、てこの原理と同じように持つ部分によって弦へ伝わる力が変わる。そのちょうどいい塩梅を、こどもなりにも肌感覚で探し出すことができれば、自分のイメージするサウンドに近いものが再現できるのではと考えた(のだろう)。


結果、サウンド感は見事にイメージ通りのものを鳴らせて大成功だった。

・・・が、下敷きでギターを弾くとビジュアルが壊滅的にダサいので人前で披露する機会は見送った。ギターを弾くうえで、ビジュアルも音と同じくらい大切な要素だから。



実は、アコギをピックで弾く際には薄めのピックを使用したほうが、サステインが削れてパーカッシヴな音色になるためコード弾きに適している。カッティングする場合は高速でストロークするため薄すぎると迫力が失われるが、下敷きでコードストロークの練習をするという発想自体は、原理としては理にかなっているものだ。今ならそう説明できることも、小学生の頃はそんなことを理解する力もなかったし情報も持っていなかった。限られた情報の中で自分の肌感覚に従った結果、たどりついた奏法だったのだと思う。



音楽の界隈では理論vs感覚の論争をよく見かける。個人的には、音楽理論を比較的重視しているタイプだが、そうは言っても理論なんて結局はあとづけのルールでしかないので、感覚を信じる姿勢は重要だと思う。自分が好きな音楽や思い付いた素敵なフレーズを、音楽理論と矛盾するからという理由で否定するのは寂しい。それだったら、後からそういう理論を作ってしまえばいいくらいのものだ。


肌感覚は重要だし、それを常に研ぎ澄ませているためにも、音楽的には長袖じゃなくタンクトップを選んで着ている。



おまけ

今まで使った中でもっとも印象に残っているのは水牛の角で作られたピック。

一般的なピックよりも倍音が綺麗に出て、きらきら煌めくような高域がすごく気持ちよかった。


ただ、削れるのが早く寿命が短いので、愛用するには常にものすごい数をキープしていないといけなくて。これでは財布がいくらあっても追い付かないということで、早々にレギュラーから外れた。。。


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ジユンペイ
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