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【高速バス雑記シリーズ】尻にしかれるギタリスト


久方ぶりの高速バス雑記シリーズ。
移動中に手持ち無沙汰なので雑記を綴るもので、高速バスにまつわる記事を書いているわけではありません。

バスの車内が快適で寝てしまうので、ここ最近はサボってました。
今日は秋雨の一日です。雨は人を高速バス雑記シリーズを書きたい気持ちにさせるものです。


語感から「秋雨」という言葉を選びましたが、2022年9月24日、実はそんなに風情のある気候でもなく。台風が押し寄せていて、大雨の予報です。僕は雨が降るより少し先に出発したので、台風を引き連れて都内へ向かう格好になりました。東京都民の皆様ごめんなさい。


先週も三連休と台風がぶつかりました。空気の読めない台風めと恨めしい気になった人も多いのでしょうが、実は台風ってめちゃくちゃに空気の読めるヤツで、だとしたら性根が捻じ曲がった嫌なヤツなんだろうなあなんて妄想が捗るくらいには高速バスの車内って暇です。


僕は心が小学生のまま成人した感じなので、未だにバスに乗ると最後部座席を狙ってしまう習性があります。今日は残念ながらそこに先客がいたので、後ろから二番めの座席に腰を落ち着けました。そこ俺の席なんだけど、どけよ、と言わなかったので心は中学生くらいにはなったのでしょうか。もし本当にそんな大人がいたら昼のワイドショーが大喜びするんでしょうか。そんな有様を見て大人たちは世も末だと嘆くのかなあなどと妄想が捗るくらいには高速バスの車内って暇です。



それにしても雨は嫌です。嫌いな天気ではないのですが湿気のことなど考えるとギタリストとしてはやはり嫌いだと言わざるを得ません。せっかく調整してもコンディションが狂うし、何かの拍子でケースに浸水したらギターそのものが壊れることだってあります。出発した後に降り出したら諦めもつくのですが、雨の中を出発するのは、そういった意味で腰が重いものです。


そんなことを考えていると、それってギターに対して(あるいはギタリストとして)誠実な姿勢と言えるのか?という疑問が湧き上がります。過保護とか、音質育ちということとは違うかもしれませんが、ライブで絶対にギターのコンディションが乱れない環境というものが得られたとして、それはギターにとって「良いこと」なのか?という。


乱暴に扱うことがカッコいいということを言いたいのではありません。ギターも人間と同じ環境で過ごしているのだから湿度や天候の影響を受けるのは当然のことです。同じ苦しみを分かち合うからこそ分かり合えると言ったら大袈裟でしょうが、つまりはそういうことです。
ギターって最終的には道具なので、大切なのは道具の良さだけではなく、もちろんギタリストの腕だけでもなく。両者の関係性が最も重要です。そういった意味では、可愛い子に旅をさせるではありませんが、ギターにとってそれが育つうえでは、過酷な状況で演奏されるということも、実は重要だったりして。

ライブで曲ごとにギターを持ち替えるギタリストは多いです。僕もその筆頭みたいなもので、昔は7〜8曲の1ステで3本くらい使ってました。
その背景には、音がちがうのは当然なのですが、どちらかというと衣装に近くてビジュアル的なイメージが大きかったように思います。テレキャスターでもハードロックは出来るけど、フライングVとかキラーみたいなほうが、見た目的な意味でそれ然としている。だから持ち替える、という。その感覚が未だにあるので、ここ一年くらいずっとテレキャスだなあと思うと、たまには他のギターを使おうかなんて思うこともあるわけです。

ただ、今の僕にとって衣装としてのギターというところまでテレキャスのイメージは浸透していないので、普段と違うギターを使ったところで気がつく人の方がきっと少ないです。そんな状況でギターを持ち替えると、ギターに頼るプレイになる恐れがあります。ヘヴィなリフをズクズクやりたいときに、やっぱりなんだかんだレスポールやらハンバッカー系に「頼ってしまう」。そうなることを恐れたので今日も僕はテレキャスと二人旅です。

レスポールに頼りたくなるということはテレキャスをまだ心から信頼できてないということだし、たまには違うギターを使いたくなるというのはある種の飽きであるとも言えます。

ギターは女性的な楽器だと言われます。こころから信頼してないとか最近飽きてきたとか言ったらウチのテレキャスをどんなに悲しませることになるんだろう、それだったら俺はギターの尻にしかれるギタリストでいた方がいいし、亭主関白が時代にそぐわないということも理解できるわなあなどと妄想が捗るくらいには高速バスの車内って暇です。


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ジユンペイ
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