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ギタリストが生まれるまで #音楽の履歴書 ~前編~

 放課後だべり部屋。自分で設定しておいて文句を言うのもお門違いってもんだろうが、木曜のフリートークって漠然としていてテーマに困ることがある。
 大体、何事も「何でもいい」が一番困る。もともと、月曜日は音楽の話、木曜日はそれ以外ってことでバランスをとるためにテーマを振り分けていたのだけど、自分にとって音楽「以外」って何か?考えながら世の中を見渡しても、気の滅入るニュースばかりで嫌になっちゃうね。数百円の所持金で横浜から鳥取砂丘までタクシー乗ったおばさんのニュースにはビックリしたけど。いつもなら滅茶苦茶すぎて笑っちゃうところだが、世の中が荒みすぎているせいか、きっとおばさんにものっぴきならない事情があったんだろうと、意味も無く肩を持ちたくなったりする。

 と、ブツブツ文句言いながらラップトップを開いたら素敵なハッシュタグを見つけたので、便乗させてもらうことにした。ハッシュタグのお題に乗っかって有料マガジンの記事書くのは、タクシーのおばさんとどっちがタチ悪いかって話もあるが、毎週のことながら木曜日は記事の99%無料で読めるようにしてあるので、勘弁してもらえたら有難い。

今日のテーマは「#音楽の履歴書」。

 自分の音楽遍歴をまとめる企画ということでしょう。自分自身を改めて見つめ直す意味も込めて、書いてみます。


1 小学校低学年期 ~サザンオールスターズ~

 記憶にあるなかで最も古い音楽体験は、サザンオールスターズの「TSUNAMI」。2000年リリースの曲なので僕が小学校2年生当時の曲です。その頃、僕には好きな女の子がいた。好きと言ったって小学校2年の恋など高が知れてるが、とにかく好きだった。意味や目的のようなものを持たない幼い恋だったのだろうけど(そういう意味では大人になった今の恋も大して変わらないけど)、クラスで会うと妙に緊張したりしていた。

 そんな中、車の中で親がよくかけていたのが「TSUNAMI」で、サビの歌詞がずんずん入ってきて強く心に響いた。「見つめ合うと素直にお喋りできない」というフレーズが、自分のことを知っていて書かれたように感じるほど共感して、気づけばその子のというより「TSUNAMI」の虜になっていた。。。サザンのファンになるには小学校2年という年齢はあまりにも幼すぎたのでしょう。このTSUNAMI事件以来、しばらくバスケットに没頭することになるけど、一時期は本当にハマっていて風呂でサビだけ歌ったりしてたなぁ。


2 小学校高学年 ~ポルノグラフィティ~

 忘れもしない2003年10月某日。その日は土曜日で、市外の小学校までミニバスの練習試合の遠征に出かけていた。朝から夕方まで何試合もやってクタクタになって帰宅すると、テレビで流れていたのは「鋼の錬金術師」というアニメ。たまたまそのオープニングを見かけたのだけど、その時の主題歌がポルノグラフィティの「メリッサ」でした。そのサビのメロディといい、曲の雰囲気といい、それまで聴いたことのない世界がそこには広がっていて、僕は完全にメリッサにドはまりしました。その後12月の誕生日にシングルのCDを買ってもらって聴いたら、思っていたよりも長いことにまずビックリ!まぁ、当たり前なのですが、、、それまでは録画したアニメのオープニングをテレビで流して曲を覚えていたから、テレビサイズにカットされた音源しか知らなかったわけです。それを本家の曲と思い込んでいたので、2倍以上の長さが収録されているCDを聴いてとても得した気分になっていました。笑

 そのCDにおいて、テレビではカットされていて尚かつ僕のこころを鷲掴みにし今でも離さない要素があります。「ギターソロ」です。あれを聴く機会がなかったら、僕がギターを手にすることはなかったし、間違っても後にインディーズの世界に飛び込もうなどと思うことも無かったでしょう。歪んだエレキギターのヒステリックな高音が、キュイーン!と気持ちよく伸びていくあの感じが、本当に衝撃的だった。そのサウンド感が、レスポールギター×マーシャルアンプというザッツな王道ロックンロールだったことも、後の僕をロックの世界へ誘う一つの要因ではあったと思う。もちろん当時はそんなこと知る由もありませんでしたが。ジュンペイは単純かつ素直な性格なので、最初に知ったものを王道と認識する習性があります。もっとひねくれてたら、その後に歩む音楽人生もかなり様子が違ったのでしょうけど。


3 中学時代 ~ケータイよりギター~

 中学に入ると、身の回りには少しずつケータイを手にする友達が増えてきた。いわゆる「ガラケー」の時代です。写メとか、絵文字とか、ワンセグとか、着うたとか、その辺の時代。スライド式の端末が少しずつダサくなっていって、二つ折り方式が市民権を獲得しだしたころです。たぶん。ありとあらゆる友人たちが誕生日やクリスマスにP905iとかをねだっている中、僕は通販のやっすいレスポールをおねだりしては却下されまくっていました。

 そもそも、その当時は父親のおさがりのアコースティックギターを使わせてもらっていて、レッスンに通うことも無く日々独学でギターを弾く毎日でした。それに加え、もう15年近く前の話だし、僕の地元はそれなりにかなりの田舎なので、当時はまだ「エレキギター=不良少年」という図式が当たり前に蔓延っている環境でした。レスポール買ってくれなかったのはそういった要素もあったのでしょう。自分のお年玉で買うと言ってもNGだったなぁ。ちなみに、なぜか「アコギ=善良な青少年」のイメージが漂っていたことも事実です。というわけで中学3年間はMorrisのアコギでひたすらポルノを弾きまくる生活になったのでした。「善良な青少年」が弾くものとされているアコースティックギターでワルいロックをやっちゃうぜ、っつって。


後半戦は来週へ!

 あらかじめ予想できたことではあるにせよ、案の定、収まらないですね。次週は音楽の履歴書後編をお送りします。ついにエレキギターを手に入れる高校時代、ハードロックやメタルに没頭する浪人時代(←何故w)、音楽仲間と出会う大学時代、ソロで飛び込んだインディーズ時代の裏話や現在の活動内容まで書きます!もしも収まらなかったら3週目に持ち越すかもしれません!


ジュンペイ


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おまけ

 小学校に上がる前、幼稚園時代にヤマハピアノ教室に通っていたことがあって、ギターの独学が出来たのは多少は(ほんのちょっとだけ)音楽の素養があったお陰もありそうです。家に母親のピアノが置いてあったので、まずそれを使ってメリッサのギターソロを耳コピし、拾った同じ音をギターで探すという毎日でした。それが小学生時代。中学校に入ってからは真面目にコード覚えたり、担任の先生がギタリストだったので細かいこと質問したりしてました。そう考えると、ギタリストとしては恵まれた環境で育ったほうなのかもしれませんね。



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ジユンペイ
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