2023【弦人茫洋・1月号】
2023年、あけましておめでとうございます。
これと別バージョンのあけおめ画像をリアクションに忍ばせているので暇なとき探してみてください。
新年早々すみませんが今日は労働についての話です。
頭の中がいまいち整理されていないので自分勝手な文章になっています。すみません。
知り合いに、文字通り馬車馬のように働いている人がいます。
他人の労働事情をあまり詳しく書くのもどうかと思うのでぼかしますが、1週間に「働いていない」時間を数えたほうが早いくらいのイメージです。
その人は、働いている時間が長すぎてせっかく稼いだお金も使い道がないと言っていました。
では貯めておいて、のちに使う予定があるのかと訊いたら、別にそういうこともないらしい。
養う人がいるでもないと言います。
酷な質問と知りつつ、もう一歩踏み込んで聞いてみました。それなら何故きみはそんなに身を粉にして働いているのか?と。
帰ってきた答えは「仕事だから」。即答でした。
僕にはそれが理解できませんでしたが、似たような話として「人が生きる意味」を考えたときに同じような気持ちになったことを思い出して、なんとなく納得した節もあります。
なぜ生きるか?という問いは究極の問いです。それを見つけるために生きていると言っても過言ではないし、一生かかってその答えを見つけられない人だっています。
これは暴論であるような気もしますが、会社も「法人」としてある種擬人化されている面があるのならば、人が生きる意味を考えるのは広すぎる問いであると同じように、会社が存続する意味も、立ち止まって考えるにはあまりにもスケールの大きい問いなのかもしれません。
逆に言うと、僕らの体の中ではたらいてくれる細胞たちに、「なぜ働いているのか?」質問しても期待するような応えは返ってきそうにありません。昔「はたらく細胞」というアニメがありました。文字通り人体のなかではたらく細胞たちを擬人化して身体の仕組みを解説してくれるアニメです。そのシリーズの中に「はたらく細胞 BLACK」というのがありました。会社で言うとブラック企業のような人体の中で、過酷な環境に置かれながらもはたらき続ける細胞たちの姿を描いたシリーズです。この働き方改革の時代にブラック労働を肯定するのか、と物議をかもした面もあったそうです。
僕だって個人的にブラック労働を肯定するつもりは毛頭ありませんし、自分も長時間労働なほうなので他人のことをとやかく言えません。ただ上記に書いたようなことと「はたらく細胞」から感じたことをまとめると、労働に意味や目的のようなものを求めても仕方ないのではというのは理解できる考え方で、そうであるならば友人が語った「仕事だから」という答えも納得できる気がするのです。ここからブレインストーミングで『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を思い出したのですが、それこそ新年早々、小難しくややこしい話になるので、やめます。
きっと、「働く意味」と、「手段としての労働」は、まったく違う考え方なのだと思います。
たとえば欲しいバイクがあるからバイトしてますという人にとって、アルバイトは資金調達の手段です。資金を調達する手段はアルバイトである必要はなく、投資でもクラファンでも借金でも何でもいいわけですが、その中からその人はたまたまアルバイトを選択したというだけで、それ以上でも以下でもありません。
その人にとっての「働く意味」は、おそらくバイクのそばにある何かです。
同じように、家族を養うために長時間労働しているという人にとっての働く意味は家族と切っても切れない関係にあります。
自分にとってそれがギターと共にあることは疑いようもないことではありますが、だとしたらそれはどのようなもので具体的に何なのか、そこを求めながら、2023年はギターを弾いていきたいなって思ってます。
長くなりましたが、どちら様も本年もどうぞよろしくお願い致します。