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【高速バス雑記シリーズ】滾る想いとスマート大人


お久しぶりの高速バスシリーズ。
今日はレコーディングが終わったあと渋谷でセッションがあって、それに向かう車内で書いています。

今日の車両は珍しくシートがベージュ色で、なんだか居心地の良い車内です。

まぁ、セッションに向かう道中ですし、音楽のことをつらつら書きましょう。



...と言ってるそばから、いきなり漫画の話ですみません。
冬目景という漫画家が好きで、よく読みます。

なかでも大のお気に入りが「イエスタデイをうたって」という青春恋愛群像劇。登場人物のリアルな心情描写と90年代ノスタルジーが魅力的な作品です。

それと同じくらい好きなのが「空電ノイズの姫君」。

メジャーデビューを目指すアマチュアバンドの現実と人間模様を描いた傑作です。


※--✂︎--ここから若干のネタバレを含みます--✂︎--

僕がこの作品の中で一番好きなのは、初めてのライブでめちゃくちゃ上手いバンドとタイバンになって、主人公が緊張のあまりまともにギターを弾けなくなるシーン。

好きというより、印象に残っていると表現した方が正確かもしれません。自分が主人公と同じギタリストという立場であることも影響しているのか、身につまされるようで何度読んでも泣きます。


散々だった初ライブのあと猛練習して挑む2度目のライブは、客が入らずガラガラで、主人公は再び傷付きます。

そのショックが演奏中次第に怒りへと変わり、怒りを叩きつけるようにギターを弾くことで最高のステージになりファンが付きはじめることになります。


※ --✂︎--ネタバレ終了--✂︎--


30歳を目前に控えたいくぶん冷静な頭でコメントするならば、客がいないからって逆ギレしてパワープレイで演奏することが果たして「良い演奏」なのかどうかは疑問です。

ただ、その場にいた数人のお客さんと同じように、漫画を読みながら僕の心が熱く滾ったこともまた事実です。


僕も経験がありますが、一人や二人しかお客さんがいない(しかもまともに聴いてくれてない)会場に向かって演奏するのって、控えめに言って地獄のような苦行です。

悔しさや情けなさ、不甲斐なさをごった煮にしたようなドロドロした気持ちが過ぎ去ると、そこにこびりついた残りカスは確かに渇いた怒りだったりします。それは他人に対してというよりは、ほとんどが自分に対しての、怒り。

経験があるからこそ滾るのかもしれません。


これは良くも悪くもですが、最近はそういう場面が減りました。僕の中では、もはや絶滅してます。

思い通りのプレイが出来る様になったということではありません。思ってたのと違うとか、もっとこういう風にできたのにという反省が残る場面は、残念ながら未だに山のようにあります。その山を眺めていると、自分のテレキャスターをギターの神様に返納したほうがいいのではないかと思えてくるくらいです。


つまり、理想と現実のギャップ自体は今も感じるものの、それに対して怒りを感じること、少なくとも怒りを露わにすることがなくなったということです。


これは、ある意味ではきっと好ましいことなのでしょう。

10代のバンドが、長髪を振り乱し、怒りに任せて鬼気迫る演奏で客を魅了する。
それと同じことを30代、40代、50代...のバンドがやったら、果たして同じ結果になるのか?ということは、あまり考えたくない話題です。


その一方で、怒りを露わにしないのは当然としても、感じすらしなくなったら、それはそれでイエローカードな気もするんです。

まあこんなもんかってヘラヘラしてるのは違う。


それなりの期間弾いてきたので、10代とかの頃と比べると、小手先の技術を駆使して大怪我を回避することが上手くなってることは確かです。

自分が怪我するだけならまだしも他人を巻き込んではシャレにならないので、そういった回避技術も大事です。


そんな自分に対して、コケないように無難な道を選んだ割にヘラヘラしてることに対してすらも怒りを感じすらしなくなったら、さっきはイエローと言いましたけど、訂正します。レッドカードですねそれは。


そういう暑苦しいのは外に出さずにその場を円滑に進めるのが大人ギタリストに求められるスマートさの一種だとは思いますけど、それとこれとは別の話ということですね。


今日のセッションは初めてお邪魔するイベントなので、これ書きながら自分でハードル上げてしまってることにイマサラ気づきました。

まぁ、そのハードルがたとえ越えられない高さになっているのだとしても、とりあえず飛び込んできます。間違っても下をくぐるなどせず。

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ジユンペイ
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