珈琲と音楽
Coffee and cigarettes というオムニバス映画が好きなのだけど、この間それを垂れ流していたら関連動画におすすめの作品がレコメンドされた。
タイトルは「A film about coffee」。Coffee and cigarettes も大概だが、これまた随分ストレートなタイトルだ。
1時間くらいだし、気になったので観た。
観た感想としては、映画というよりもディスカバリーチャンネルの特番みたいな雰囲気だった。コーヒーには市販されているもの以外にもハイエンドなものがあり、バリスタの腕はもちろんのこと生産農家のこだわりや発酵方法など実にさまざまな要素が複合的に絡み合って高級コーヒーとして世に出る。それはもはや飲み物ではなく芸術品である。一杯のコーヒーに隠された物語をカメラが追った、と、そんな雰囲気のドキュメンタリーだ。
コーヒー好きの方はもちろんのこと、そうでない方もぜひ観ていただきたい。ものづくりにこだわる姿勢が美しく、noteで創作活動をされている方なら少なからず発見があるのではと思います。
その中で僕が個人的に印象に残ったのは、とあるバリスタの一言。
これが印象に残ったのは、音楽制作のおけるミックスという作業にも、まったく同じことが言えるから。
豆=素材=録り音(録音した音)
バリスタ=ミックスを行う人
コーヒー=最終的に出来上がった音源
と置き換えて考えると、見事なほど、そっくりそのまま同じことが言えます。
結局のところ、音楽も録音した音がすべてです。どんなに高級な機材を使い優秀なエンジニアが素晴らしいミックスを行っても、素材そのものを魔法のように生まれ変わらせることはできません。
逆もまた然り。すばらしいプレイヤーが最高のテイクを録音しても、ミックス次第ではそれを台無しにすることだって簡単です。
バリスタも、ミックスも、あくまでも素材を加工する工程であるということです。真新しいものに生まれ変わらせる神の御業ではない。
分野は違えど、ものづくりにおいて重要な姿勢はそう大きく変化するものではないということでしょうか。
あのバリスタと対談したらきっと話が盛り上がるだろうと思いました。
ところで、僕はミックスも、するっちゃしますが、軸足を置いている本業はギタリストです。
先ほどの例で言うと、コーヒー豆の栽培で生計を立てながら、農地のわきにカフェを建て、とれたての豆で一杯淹れているバリスタみたいな感覚でしょうか。
2022年の世の中で音楽活動をしている人はほとんどがそうだと思います。
両方できることは強みかというと、そうでもないというのが本音です。
農家の意見とバリスタの意見をひとりの人間のなかに同居させるわけなので、常にスムーズに進むとは限りません。バリスタの俺は農家の俺に対してもっといい豆作れよと文句も言うし、農家の俺はそんなバリスタの俺にうちの豆をそんな雑に扱うなとプンスカする日だってあります。
それは作詞と作曲の関係にも似ています。
広大な農地のわきにささやかなカフェを建てているのか、立派なカフェの庭で一本のコーヒーの木を育てているのか。似ているようで大きな違いだと思います。
それにしても僕は知らなかったのですが、高級な豆は浅く煎ることが定石なのだとか。
曰く深く煎ってしまうと繊細な香りや味の違いが判らなくなってしまうから、素材の味で勝負するようなコーヒーは浅く煎ることが肝心なのだそうです。
それを例のバリスタは「深煎りはごまかしがきく」と表現していました。
ギターのサウンドだってそうです。エフェクトやら何やら、かければかけるほどいいってもんでもなく。深いディストーションサウンドは、ごまかしが効くとまでは言いませんが、それによって得られるものもあれば失われるものもあるということは事実だと思います。
最後に、そのバリスタが農家さんにインタビューした内容が印象的でした。
良いコーヒーをつくるうえで一番大事なことは何かと問われ、その農家は「消費者である」と答えました。
自分たちが育てたコーヒーを消費してくれる人がいるからこそ、自分は家族を養える。だからこそ、よいものづくりに励むこともできる、と。
素敵な答えでした。バイヤーではなくて消費者。お客さんと表現しなかったことにも、潔い感じを受けました。
それを受けてまた別なバリスタがコメントするのですが、その内容が
というものでした。
これも音楽に思いっきり当てはまるな~と、縦に振りすぎてもげそうになっている首を支えつつ、僕は自分の畑に戻りました。
ともあれ、「A film about coffee」。
素敵な作品ですのでご興味があればぜひ。