徒然草をひもといて 5章⒆続171段
この段も、貝覆い、という当時(平安朝末期)に流行した遊びに托した、人生訓とでもいうような文で、いま読んでも、しみじみ頷けるような教えなのである。
碁盤の隅に碁石を立てて、相手の石を、貝殻で覆う遊びらしいが、詳しいことは現在ではわからないという。
ともあれ、貝殻を使った遊びに公卿たちが興ずるとは、四囲を海に囲まれた島国ならではの、楽しく美しい遊戯だった、と云えるかもしれない。
そして、そのときの勝ち負けの姿勢が問題で、「わが前なるをば、おきて、よそを見渡して、人の袖のかげ、膝の下まで目を配る間に、前なるをば人に覆われぬ」というのが、ふつうひとがよくやるやりだが「よく覆う人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、・・」近いところばかり狙っているようなのに、たくさん覆う。碁盤の隅に碁石を置いて、弾く時に、反対側の石をめがけて弾くのは当たらない。自分の手元をよく見て、目の前の聖目(ひじりめ、碁盤の目の9点)をしっかり凝視してまっすぐ弾いたら、立てた石に必ず当たる。
こんなふうに❞よろずのこと❞すべて外に向いて求めてはならない。ただ、手近なところをきちんとするべきである。中国北宋の名政治家清献公(1008~1084)の言葉にも「好事を行じて,前程を問ふことなかれ」(眼の前にある案件を良く処理して遠い将来のことは問題にするなかれ」)という言葉もある。世を治める道もこのようであるべきだろう。内を慎まずに、軽んじて、ほしいままにして、乱雑なら、遠い国が必ずそむき、そこではじめて、対策を練るというのは「冷たい風にあたり、湿度の高いところに臥して、病んではじめて神仏に救いを求めるなど愚人である」と医学書にも書かれているとおりだ。目の前にいる人民の愁いを取り除き、恩恵を施し、正しい政治を行えば、その結果ははるか遠くにまで及ぶことを知らない。中国古代の王、禹が遠征して三苗を討伐した成果も、軍隊を国内に戻し、善政を布いて徳を施すことには及ばなかった。と至極身近な貝覆い遊びの描写から筆を起こし、やがて故事をひいてひろく国家の政治のありように結び付ける、常ながら法師のユニークな視点と深い教養に結びついたひろい視野での正論には感嘆させられる。