2021年1月:note旧約聖書
noteを書き始めたのは昨年2021年、1月。前年北軽井沢滞在で、圧迫骨折発症、12月28日東急病院に入院、お正月は病院で迎えた。担当医坂本先生。年齢的に手術はむづかしく、コルセット治療とのことで、業者に寸法をとってもらい一週間ほどで完成。リハビリを受け、18日には歩行器で歩けるようになり退院。
3月17日。いろいろ試行錯誤したあとひとまず日記を続けることにしてからそろそろ丸一年になる。noteはあらゆる点で有難い仕組みだが、とくに私のような人間にとっては、書いた日付などもすべて記録してくれていることが嬉しい。
私はこの秋、92歳になるが、この年まで、アルバイト(おおむね家庭教師と私塾業)はいろいろしてきたが、正業に就いたことはほぼない。事務処理、書類整理はまるで駄目で、記憶はあるものの、何がどうなってるのかごちゃごちゃになっていた。
27歳で結婚し、夫が死んだときは54歳で、主婦歴は27年、といいたいところだが、それも最初夫の両親と暮らし、自由で自立した生活時間は皆無だったし、ある時「わたしたち主婦は々・・」と発言したときなど、姑に「あんた、主婦と違うわし!」とぴしゃりと云われたこともある。外から見る限り、主婦歴すら、もっと少ないわけだ。
いつまで生きているか、残る時間もわずかになった今、この先どのように時間を費やして存在していこうか、ときどき考えあぐねている。
昨年夏から、毎夜寝る前、聖書を読むことにしている。新約聖書は2度繰り返したが、先夜から旧約聖書にとりかかった。これは非常に興味深い。数千年前の信仰篤い民族の父祖たちが繰り広げる人間の業の深さ、底知れぬ悪と善の絡み合い、さかしらと愚かさとが、容赦なく、包み隠すことなく赤裸々に描き記されたうえ、ときに応じ何を思し召すのか、人知では測り知れない主の意志が強力に示される。それは、あるときは慈愛に富み、あるときは厳しく酷薄で、荒野をさすらう民たちを導くのである。
バベルの塔、ノアの箱舟、塩の柱となるロトの妻、アブラハムと愛児イサクの試練。兄弟殺しのカインの宿命。エサウの悲運とヤコブの放浪。エジプトに売られたものの主に愛され、知恵深く運命を切り拓くヨセフ。モーセに率いられた民族の荒野の逃避行。すべてが深い意味あいを籠めて魂に響く。どうして?なぜいまそんなことするの?などと呟きながら読み継いでいる。
ところで、また別に気になるのは、丹念に書き記されているこれら古代人の死亡年齢である。例を挙げるとキリがないくらいだが、箱舟のノアは950歳、息子セムは600歳、孫のアルパクシャムも600歳、曾孫のシェラフは433歳、という調子で、その後もアブラハムの父テラは205歳、アブラハムは175歳、妻サラは127歳、ヤコブは147歳、ヨセフは110歳、という具合であるし、モーセが民族を率いてエジプトを脱出するときの年齢80歳、兄のアロンは83歳、と記されている。
娘に言うと「現代とは年月の勘定や表記の仕方が違うんではないの」ということだが、子を産む年齢も70歳や80歳という記述があちこちにあって、不思議な気がしている。
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