米が栽培できる日照北限の計算
思いつき
伝え聞く所では、ほぼ江戸時代の全期間を通して、北海道で稲作が試されたが、成功には至らず、1850年代に、庵原菡斎なる人物が北海道亀田郡大野村で選別した品種が、その後の北海道水稲の起源種となったようである(ゲノム解析による裏付けが欲しい)。現在では、日本の水田の1/10ほどが北海道にあるそうだ。
また、グリーンランドは、地球温暖化の影響で、(南部は)農業が可能になりつつあるとも聞く。グリーンランドの南端は北緯60度あたり。しかし、気温が上がっても日照量が増えるわけではない(太陽が本気を出して、日照量が増えることは考えない)。
学校で習ったかどうかも記憶にないけれど、植物には、光補償点(light compensation point,以下LCP)というものがあって、日照量がこれを下回る状態が続くと枯れて死んでしまうと書いてある。動物でいえば、基礎代謝みたいなものだろう。種によっては、直射日光に当たるとダメということもあるらしいが、ここでは考慮しない。
日照量の最大値は、緯度が分かれば計算できる。LCPは、一秒あたりで計測値が出されてる一方、現実には夜があるという問題があるが、一日当たりに換算してしまえばいいだろう。原理的には、それで問題ないはず。それで、栽培期間の間、LCPを下回らないという条件によって、日照量によって決まる理論上の栽培限界緯度を知ることができる。
現実的には、枯れないと言っても、本当に限界ギリギリだと、収量が少なかったり、成長が遅かったりして問題があるかもしれないが、そこは気にしないことにする。
また、気候の問題があって、太陽光は、雲でカットされる分が結構あり、雲の量も地域や季節によって変わるし、雨の日がどれくらいあるかも考慮しないといけない。あくまで、理論上のことなので、雲はないものとする!
面倒なことに、トウモロコシの調査などを見ると、LCPは、二酸化炭素濃度や水分量に依存するらしい。温度にも依存するとしたら、更に複雑になる。更に、成長段階にも依存するかもしれない。太ってる人が飢餓に強いように、栄養を貯め込むこともできるかもしれない。
考え出すと、色々あって、それほど精密な数値になるはずもないけど、計算してみることにする。
LCPにまつわる面倒事
LCPは計算で出すのは困難なので文献値を参照するが、文献で、LCPの測定結果を見ると、3種類の異なる単位が使用されている。
PPFD(光量子束密度):単位面積・単位時間あたりの光子の個数。単位は$${\mu \mathrm{mol} / (m^2 \cdot s)}$$
放射照度:単位面積・単位時間当たりの光のエネルギー。単位は$${\mathrm{W/m^2}}$$
照度:いわゆる明るさで心理量。単位はlux
照度は、あくまで人間が感じる明るさで、植物に使用するのは適切でないと思うが、古い論文では使われていることもある。物理量でないこともあって、ここでは扱わない。
放射照度は、太陽定数が$${1370 \mathrm{W/m^2}}$$で、これを超えることはないと言える(レンズとかで集光しない限りは)。放射照度で測定してある論文は、少ない。新しい論文では、PPFDで測定していることが多いように思う。
PPFDと放射照度を無条件に変換することはできない。波長500nmの光子一個のエネルギーは、$${3.97 \times 10^{-19} \mathrm{J}}$$で、波長700nmの光子一個のエネルギーは$${2.84 \times 10^{-19} \mathrm{J}}$$になる。
従って、波長500nmの単色光で、PPFDが$${100 \mu\mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$の場合、放射照度は6.0221408e23*100e-6*(6.62607015e-34*299792458/500e-9) = 23.9($${\mathrm{W/m^2}}$$)
波長700nmの単色光で、PPFDが、$${100 \mu\mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$の場合は、放射照度は6.0221408e23*100e-6*(6.62607015e-34*299792458/700e-9) = 17.1($${\mathrm{W/m^2}}$$)
太陽光は、単色光でなく、色んな波長の光子を含んでいて、光合成に直接寄与しないと思われる赤外、紫外エネルギーも、それなりにある。可視光の割合は、およそ50%で、更に、葉緑体は緑であることから、緑色の波長は光合成に寄与しないと思われる。実際、クロロフィルの吸収は、緑色付近では小さい。従って、緑色の光を使えば、PPFDは高くなり、逆に、緑色をカットすれば、無駄な光子が減る分、PPFDは低くなるはず。
PPFDの測定で人工光源を使用している場合、そのまま、太陽光で同条件と考えるわけでにはいかない。これは、放射照度でも同じことが言える。農業・農学素人的には、クロロフィルの濃度とか直接測定した方がいいのではと思わなくもないが、そんな単純な話でもないのかもしれない。
そして、色々調べた結果、照明環境が明らかでないデータか、限られた種に対する測定結果しか見つからなかった。論文によって、照明環境が違うのが普通なので、数値を比較するのも簡単じゃない。農学界隈の人、やる気なさすぎん?
それでも、オーダーとしては、20〜100$${\mu\mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$くらいの範囲のことが多いようではあった。上に挙げたトウモロコシの調査だと、LED光源下で、LCPは$${50 \mu\mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$
Mass screening of rice mutant populations at low CO2 for identification of lowered photorespiration and respiration ratesは、なんか米のデータで、メタルハライドランプを使ってると書いてある。LCPは、27.33〜62.35$${\mu \mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$
とりあえず、太陽光の可視光成分下でPPFDを$${50 \mu \mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$、可視光単色光では、PPFDが$${100 \mu\mathrm{mol / (m^2 \cdot s)}}$$の場合の放射照度を$${20 (\mathrm{W/m^2})}$$相当として、太陽光の可視光の割合を50%とすると、$${40 \mathrm{W/m^2}}$$が、放射照度で表した太陽光下でのLCPとなる。この値を採用しよう。
日照量の計算
計算を簡単にするための近似を2つほど入れる。まず、地球の公転軌道の離心率を0としてしまう。従って、公転軌道は真円であり、公転速度は一定となる。別にケプラー方程式を解いてもいいけど、これで問題なかろう。
もう一つ、当然ながら、自転と公転は同時に進行していくが、公転軌道上の特定位置で静止した状態で自転してると近似して、一日分の日照量を計算する。この近似で、計算が簡単になる以外に、経度依存性を無視できる。
次に、以下のルールで座標系を決める。
地球中心が原点
地球の公転面が、xy平面となる
地軸の向きのy座標成分は$${y=0}$$となる
右手座標系
地軸の向きを$${(\sin u , 0 \cos u)}$$とする。公転軌道面はxy平面なので、法線ベクトルは、$${(0,0,1)}$$になって、地軸ベクトルとの内積は$${\cos u}$$なので、$${u}$$が地軸の傾き。
また太陽の方向を$${(\cos v , \sin v ,0)}$$とする。地軸の向きは固定(歳差運動は考慮しない)だが、太陽の方向は、地球の公転運動で変わる。
xz平面上に、北緯$${\phi}$$の点は当然2つあるが、一方の座標を長さ1に正規化したものは$${(\cos(\phi - u) , 0 \sin(\phi-u))}$$になってる。この点を、地軸周りに角度$${\lambda}$$だけ回転させた座標を知りたい。この座標を$${(x_{0},y_{0},z_{0})}$$とした時、太陽の方向ベクトルとの内積は$${x_0 \cos v + y_0 \sin v}$$で、これが正の時、太陽定数を掛けたものが(ある地点、ある時刻の)日照量となる。負の時は、夜である。
$${(x_{0},y_{0},z_{0})}$$の計算は、直接やってもいいけど、まず、y軸周りに、角度$${-u}$$だけ回転すると、地軸がz軸と重なるので、z軸周りに角度$${\lambda}$$だけ回して、再度、y軸周りに角度$${u}$$回転する。
y軸周りに、角度$${-u}$$だけ回転した座標は、単に$${(\cos \phi , 0 , \sin \phi)}$$なので
$$
\left( \begin{matrix} x_0 \\ y_0 \\ z_{0} \end{matrix} \right)= \left( \begin{matrix} \cos u & 0 & \sin u \\ 0 & 1 & 0 \\ -\sin u & 0 & \cos u \end{matrix} \right) \left( \begin{matrix} \cos \lambda & -\sin \lambda & 0 \\ \sin \lambda & \cos \lambda & 0 \\ 0 & 0 & 1 \end{matrix} \right) \left(\begin{matrix} \cos \phi \\ 0 \\ \sin \phi \end{matrix} \right)
$$
となる。
日照量と太陽定数の比$${I}$$は
$$
I = \cos v(\cos u \cos \lambda \cos \phi + \sin u \sin \phi) + \sin v \sin \lambda \cos \phi
$$
となる。
一日分の日照量を知るためには、
$$
\dfrac{1}{2 \pi}\displaystyle \int_{0}^{2 \pi} \mathrm{max}(0 , I) d \lambda
$$
を計算して、"太陽定数($${1370 \mathrm{W/m^2}}$$)"に掛ければ、一日の平均日照量が出る。本来は、$${v}$$と$${\lambda}$$は共に時間に依存して決まる変数だけど、第一の近似によって独立した変数として扱う。$${v}$$は公転運動による回転量なので、$${v = \dfrac{2 \pi n}{365} \space (n=0,1,\cdots,364)}$$とすればいいだろう。
この積分を解析的に出来るか知らないけど、手軽に数値計算で済ます。で、緯度ごとに、日照量の年間変動をプロットした図が以下。
縦軸は、あくまで太陽定数との比率なので、0.3というのは、一日の平均日照量が最大で、$${411 \mathrm{W/m^2}}$$くらいあることを意味する。
横軸は、0〜364日で、一年の日付。本来は$${v=0}$$の時が夏至だけど、見栄えのために、真ん中に夏至が来るようにずらしてある。
北極点(南極点も同様だが)では、ずっと夜の状態がほぼ半年続く(数えてみると177日あった)。まさに常夜。正式名称は極夜らしいが。一方、太陽が昇る時は、ずっと出っぱなしで、一日の平均にすると、夏至の平均日照量(従って、一日の総日照量)はトップになる。これも、なんか直感には反してるけど、計算上はそうなる。勿論、悪天候その他のことは考慮してない。一日の中の瞬間的な日照量の最大値は、低緯度地域には遠く及ばず、日差しが強いということはないはず(雪焼けは別として)。
で、LCPに戻ると、一日平均$${40 \mathrm{W/m^2}}$$欲しいとすれば、$${40/1370 \approx 0.03}$$を栽培期間の間、上回って欲しい。グラフを見ると、北緯60度くらいまで行くと、ようやく、0.03を下回る日も出てくるという感じ。北緯90度で、0.03を上回る日は数えると年間174日となる。栽培期間が半年とすれば、若干それより短いけど、誤差の範囲だろう。つまり、日照量的には、北極でも稲が栽培できないとは言えないという結論になる。
実際には、天気の問題があり、雲や大気で吸収される分がある。一般的には、晴れの日でも地表まで届くのは、7割程度と言われ、雨の日とかもあるので、平均すると、5割くらいかもしれない。そう思って、0.06を下回る日を緯度ごとにカウントすると、丁度北緯80度で180日となった。北緯80度は、グリーンランドでも割と北の方になる。
従って、農業が可能かどうかは、日照量よりは気温で制限を受けているという結論になる。もっと温暖化しよう!