創作世界の魔術と西洋魔術の原像
漫画、ゲーム、ラノベ、アニメなどで出てくる西洋風ファンタジー世界には、よく魔術が出てくる。現実にも魔術師を名乗る人はいたけど、残念ながら、現実では、ビームも撃てず、バリアも張れない。創作世界の陰陽師や忍者と実在した陰陽師や忍者が全然違うのと同じく、魔術師も、現実と創作世界では違う。
日本の国家陰陽師も、迷信的儀式以外に、天文、暦、時計の管理など、現代基準で有意義な仕事もあった。現実のヨーロッパで魔術と魔術師はどういう存在だったのか。
西洋魔術の定義
現在の魔術という単語は、迷信的なもの全般を指して大雑把に使われる。創作世界の魔術については、ここ数十年の日本では、魔力というリソースを消費して諸現象を起こす技術みたいなイメージだろう。そうじゃない作品もあると思うけど、ゲームのMP概念は広く普及してるし、いいだろう。電気工学が電気を使ってデバイスを作る技術なのと似た分野定義で分かりやすい。
現実の地球には魔力とかないので、別の定義が必要になる。実際には、公に認められた管理団体や機関もないから勝手に独自規格の魔術を作れるし、魔術の範囲を限定する仕組みもないので、定義は不可能だろう。それでは話が発散するので、何とか検討対象を限定したい。
アニミズム的儀式の類と比べると、魔術というのは体系化された理論があって、書籍化されてる技術の一種という印象がある。ゲームだと、スクロール/巻物の形で入手したり、小説や漫画だと、学校があったりもする。多分、イタコの入門書というのは書かれたことがないが、現実にも魔術書と呼ばれてる本は実在する。普通に考えると、魔術書の著者は魔術師としていいだろう。
他の魔術師から魔術師認定されてる人も、やはり魔術師だということにしておく。この基準だと、一般的に魔術師とされてない人も、濡れ衣がかかる場合はある。検討対象を絞れれば、あとは個別に対応することにする。
今も魔術書が書かれてるのか知らないけど、新しい本は検討しない。識字率の高くない時代なら魔術書の数も絞られるだろう。魔術書には、著者名を偽った偽書も多いが、他者から魔術師認定されたと見なして偽書も許容する。偽書かどうかの議論も回避する。
次に本の魔術書判定が問題になる。まず以下の三冊を検討する。
Dogme et rituel de la haute magie (エリファス・レヴィ、1856年『高等魔術の教理と儀式』)
Magia naturalis (ジャンバティスタ・デッラ・ポルタ, 1558年『自然魔術』)
De occulta philosophia libri tres (ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ, 1531年『秘密の哲学に関する三部作』)
一冊目は、普通に魔術書とされ、内容的にも議論の余地は少ない。
二冊目の本は、タイトルに"魔術"(Magia)と入ってるにも関わらず、一般的に魔術書に期待される内容でなく、後世の魔術師にも重視された形跡はない。扱う主題は、磁石、レンズ、火薬、製鉄、料理、美容、農業、狩猟、蒸留、医療などで、呪文、魔法陣、護符、呪詛、精霊、天使、悪魔などの話はない。但し、自然科学書として評価するなら、正しい記述は少ない。
正しくないと思われる話でも、自分で確認したと述べてたりする。動物の自然発生説を採用していて、現代人には実証的結論と思えないが、かなり後の時代まで自然発生説支持者がいたことを考えると、特に実証的精神が不足してたとも言えないのだろう。未熟とはいえ実証を重視していて、理由の説明がないこともあるが、形而上学(例えば四元素説)を完全に排除してもいない。
著者のデッラ・ポルタ(1535?~1615)は、(自然)魔術とは自然哲学の実践的な部分であると書いていて、ただ現象の説明を与えたり、観察事実を記述するより、知識の具体的な使い方を示すという点に主眼があるように思う。正誤を別にして、(素材の入手が法律や金銭問題で妨げられなければ)読者が自身で試せる話が多々ある。デッラ・ポルタは、自然哲学と自然魔術の関係を、現代の自然科学と工学に似たイメージで捉えてたのでないかと思う。実証より実用を重視したと言ってもいいかもしれない。当時でも、science(科学)とart(技術)という対比はあったので、art/arsと言わなかった理由は分からない。tachnologyという単語は、まだない。
また、engineer/ingeniatorが扱う技術(つまりengineering)は、最初は(多分)装置や機械の開発者を指していて、ビザンチウムのフィロやアレクサンドリアのヘロンの著作を参考とした"機械工学"に近い分野だったのだと思う。アルキメデスにも見られるように、古代から機械技術は軍事利用も多く、やがて工兵が担う土木技術もengineeringに加わった。18世紀のイギリスで、非軍事的な土木技術を、civil engineeringと呼ぶようになった。
18世紀になると、ヨーロッパ各地で砲工兵学校が作られ、そのカリキュラムは、定量的自然科学から選択された分野(狭義の数学、力学、水理学、弾道学など)が中心になった。力学や水理学は、単純機械(梃子や滑車)や流体機械(ポンプ、サイフォン、水車、水時計、蒸気機関など)の基礎理論だったのだろう。当然、軍事技術者も実用的知識を重視したが、『自然魔術』が何でも扱ってるのと比べると、対象は限定的。
デッラ・ポルタの著作リストを見ると、De munitione libri tres(『築城術に関する三巻本』)というのがあって、これも軍事技術ではある。築城術と言っても、土木建築の話ではなく、攻守に適した要塞の形状を議論する分野らしい。当時のヨーロッパでは流行った分野のようで、ガリレオも同じ分野の本を書いている。この築城術が江戸時代に伝わって建設されたのが函館五稜郭。
『自然魔術』では、光学機器、楽器、水時計の製作などを"数学的テーマ"として扱っている。現代の数学観からすると、これらのテーマは数学らしくないが、当時の数学は、定量的自然科学全般(天文学、音響学、光学、"力学"など)を指し、測量機器や機械の作成も数学の一部と見なされたようだ。細かいことを言えば、自然科学でない金勘定も数学だが、初等的なので無視してもいいだろう。
デッラ・ポルタは、"数学的"テーマを個別に扱った著書もあって、光学に関するものや、pneumatics(流体機械を扱う分野)に関する本がある。他の著書はタイトルだけから判断しても魔術書らしくないし、普通に自然科学書に見える。こうしたことも、デッラ・ポルタが魔術師ではなく、自然科学者と見られる理由かもしれない。
三冊目の著者アグリッパは、魔術師として有名。本のタイトルに"オカルト"という単語が入っていて、現代日本語では非科学的主張と同義の単語になってるが、元は、"秘密の"とか、そういう程度の単語だったらしい。出版当時のニュアンスは知らないが、秘伝や奥義に対するロマンなら現代人にも理解できるとは思う。
現実問題として、武術家だけでなく、昔の職人は技術を公開しない傾向があるし、それらは読み書きが苦手という事情もあったかもしれないが、三次方程式の解法を公開しないという約束で教わったカルダノの逸話を考えると、16世紀ヨーロッパには、学識ある人の間でも秘伝的知識が存在した可能性はある。
別に陰謀論的な話ではなく、学会、論文誌、特許、知的財産権とかないので、知識を公開する方法は演説か出版くらいで、誰もが本を書いたわけでもないだろう。また、迂闊なことを書くと、教会に連れて行かれる時代で、知識を公開するのが危険な場合もあった。現代日本でも、酒類の醸造、銃器の製造、覚醒剤や危険物の化学合成など、個人が許可なく行えば罰せられるので公開できない話はある。昔のヨーロッパも、怒られる対象は違えど、事情は大差ないだろう。
知識を公開しない理由は色々あるだろうが、通常は、秘伝的知識があったとしても、知る手段がなく、そんなものを前提とした歴史を書くことはできない。有名なレオナルド・ダヴィンチにしても、手稿が残ってたから、その知識が分かってるが、生前には公開してない。日本でも、学術(算道、暦道など)を世襲的に継承する家学があったし、江戸時代の和算家も流派を形成していた。
アグリッパの本のタイトルにはphilosophiaとあるけど、本文に軽く目を通すと、魔術だの悪魔の名前などがあり、魔術書らしいと感じる。実際、多くの人が魔術書としている。デッラ・ポルタの本と比べると、圧倒的に迷信的記述が目に入る。とはいえ、例えば、魔術的な四元素説も古代ギリシアの哲学起源の話だし、古代ギリシアの哲学と大差ないと言われれば、そんな気もする。
錬金術や占星術も魔術の仲間とされることがある。大雑把に言えば、迷信仲間ではあるけど、後述するように歴史的事情もある。
錬金術は、(多分)冶金術から派生した現代化学の前身で、前身後身に怪しい所はない。「鉛を金に変える」「不老長寿の薬を作る」という目標も、現代基準で荒唐無稽ではない。今も長寿を目指した基礎研究は沢山ある。デッラ・ポルタも、錬金術書のデタラメの多さを非難するし、金の山や賢者の石は作れないと前置きしつつ、錬金術を追求する価値のあるテーマと見なしている。但し、デッラ・ポルタの書いてることも殆どが間違っている。
また、デッラ・ポルタは、(数学と)占星術を、魔術師に必須の知識としている。占星術については、例えば、プトレマイオスの著書が、最も有名だが、魔術書とは言わないし、プトレマイオスを魔術師だという人も、まずいない。
そうやって考えていくと、一般に魔術書だと思われてる本が魔術書だという以上の判断基準は思いつかない。曖昧だけど仕方ない。検討範囲を広げたくはないので、原則として、錬金術書、占星術書は、魔術書ではないことにしておく。パラケルススなど、グレーゾーンみたいに思われてる人もいるが扱わない。
では、ヨーロッパで最古の魔術書・魔導書とは何だろうかと思って調べてみると、非実在の人物に仮託したような"偽書"も含めて、(正確な完成時期は不明な本も多いが)1200年以降の本が多い。この頃になると、アラビア語文献がラテン語やカスティリヤ語に訳されることがでてきて、その中には、現在の科学史家に正当な"科学書"と認められてるものから、占星術、錬金術に属するようなものまで混在していた。1256年、アラビア語からスペイン語に訳された『ピカトリクス』という本は、しばしば、魔術書に分類されている。
それより古い本となると、まず中世アラビアと思うが、一般的には、後世の西洋魔術師が、アラビア語魔術書や中世アラビア魔術師に言及してることはないので、アラビア語魔術書(そんなものがあるとして)に踏み込んでも、もはや西洋魔術と言えるどうか曖昧になる。
ヨーロッパにしても、12世紀以前の中世ヨーロッパとなると、魔術書に限らず、新しく書かれた書籍自体が少ない。一方、ギリシャ、ローマまで遡ると、現代まで伝わってる本に魔術書とされてるものはない。
19世紀に発掘されたGreek Magical Papyriというものがあって、これは紀元前まで遡る可能性もある代物らしい。魔術書みたいではあるけど、"魔術パピルス"という命名は、現代人が行ったものなので、これを書いた当時の人々が"魔術"と認識していたかは分からない。発見が新しいこともあって、魔術書での言及もあるのか分からない。
というわけで、少し視点を変えて、紀元前の人の"魔術"認識の確認から始める。
ゾロアスターとオスタネス
プリニウスは、『博物誌』の30巻(全37巻)で、魔術の歴史を簡潔にまとめている。プリニウスは、1世紀の古代ローマの人で、『博物誌』の完成は西暦77年らしい。
『博物誌』自体は魔術書じゃないが、古代人の魔術観を確認できる。『博物誌』で記述された魔術の歴史は、後世の魔術師が書いてる歴史と大筋で一致するので、この本を参考にしつつ、適宜、後世の魔術書と照らし合わせる。
THE NATURAL HISTORY OF PLINY BOOK XXXは19世紀半ばの英訳で、ちょっと古いが、読めないことはない。細かいニュアンスに疑問がある時は、ラテン語版を参照する。そこそこ長いので、全文の引用はできないが、Chapter1では、魔術の概要が述べられる。
それによれば、魔術(magicas)は、高度な医術という名目で人々の間に忍び込み、その後、人々の要望に応えて宗教的要素や"占星術"が加わったという。無節操に見えるが、古代ギリシアの"哲学"や現代の"科学"が、雑多な分野の総称なのと変わらない。”占星術"は、ラテン語版ではartes mathematicasとあるが、"自分の未来を知りたがらない人はいないので"などの文が付与されていて、英訳では、mathematical artではなく、astrological artとなっている。
黄道十二宮や曜日の概念がメソポタミア発祥なのは知られているが、占星術の起源は古く、メソポタミアでは紀元前1000年より遥か以前に原型があったらしい。当初は、別に数学的でなかっただろう。詳しくは分からないが紀元前1000年よりは後の時代に、数理天文学の発展があり、"数学"の中心を占めるほどになった。プトレマイオス(83〜168)の時点で、数理天文学と占星術の本は別になって区別されているが、数学的内容だけでも本が書けたということになる。
インドでも似た用例があり、ヴェーダ補助学が成立した紀元前600年頃には、jyotisaと呼ばれる暦法、占星術が存在した。西暦500年までに、ganitaという単語が、数学に相当する分野名として使われ、jyotisaの一部と見られることもあった(例えば、ブリハット・サンヒター内)。この場合、ganitaは数理天文学そのものだろう。
プリニウスの時代は、『アルマゲスト』成立の100年ほど前であるものの、数学と言えば、天文学、占星術を連想するほどになっていて、artes mathematicasという単語を使用したと思われる。だからといって、"魔術"に元から高度な数学や数理天文学が含まれていたとは限らないが、プリニウスの記述から、これ以上"魔術"の詳細な内容は分からない。
続いて、『博物誌』30巻Chapter2の冒頭で、魔術の起源は、ペルシアのゾロアスターにあることは疑いないと述べている。ゾロアスターの名前は、ゾロアスター教の開祖として、現代まで伝わるが、プリニウスは、二人の異なるゾロアスターがいたかもしれないとも書いている。
プリニウスの記述では、第一のゾロアスターは、プラトンの死より6000年前に存命の人物。第一のゾロアスターは、Agonaces(Agonakes?)という人物(?)から教えを受け、教義を作り出したとある。Agonacesが何者かは何の情報もない。第一のゾロアスターが実在の人物である可能性は低く、ゾロアスター教の開祖と関連付けていいのかも分からない。
プリニウスが確認できる最初の"魔術師"は、ペルシアのオスタネスという人物で、ペルシア戦争の折、クセルクセス王(BC519~BC465)に同行したと述べている。オスタネスより少し前の時期に生きていたのが、第二のゾロアスターだと書いている。現在の歴史学の知識を信じれば、ゾロアスター教の開祖と同一視出来るのは、この第二のゾロアスターだろうが、これらのゾロアスターと開祖ゾロアスターの関係は気にしないことにする。
後世の魔術書の記述を確認すると、アグリッパは、1531年出版の『オカルト哲学について』で、魔術の祖に、ザモルクシスとゾロアスターという二名を挙げている。彼らの説明はない。ザモルクシスというのは、ザルモクシスの間違いだろうと思う。この名前は、プラトンの『カルミデス』で、トラキアの医者として出てくる。
アグリッパの著書で挙げられている初期の魔術師の多くは、先行するピコ・デラ・ミランドラ(1463〜1494)の著書『人間の尊厳について』に見られ、そこではザルモクシスは、『カルミデス』の登場人物として記述されている。
アグリッパは、ザルモクシスを実在の人物のように書いてるが、実在性は不明。ヘロドトスの『歴史』4巻94節には、トラキアで最も勇敢な部族ゲタイが信仰する神の名として、Salmoxisという名前が出てくるが、関係性は不明。
トラキアは、古代マケドニア王国と接した北方〜東部一帯の地域を指すと考えられている。境界が正確に決まってたわけでないが、おそらく、現在のブルガリアあたりを中心として、ルーマニア南部、ギリシャ北東部、トルコ北西部などに広がってたのでないかと思う。マケドニア王国は一応ギリシア扱いだが、トラキアはギリシアではないという認識だったらしい。神の名前も違うようだし、言語もギリシア語とは異なるトラキア語を使用したと思われる。トラキア人の居留地から北東に進んで黒海北部(ウクライナあたり)には(BC6〜BC3世紀頃に)スキタイ人がいたと思われる。
とりあえず、アグリッパは、ゾロアスターの名前を挙げている(ゾロアスターが二人いたという説は採用していない)ことを確認して、『博物誌』の続きを読んでいく。
創作世界に頻出の伝説的ペルシア人魔術師はいないので、魔術がペルシア起源というのは、しっくりこない。魔術という単語は、古代のギリシア語では、mageia(μαγεία、"マギーア"と発音するらしい)で、辞書によると、μάγος(magos)に、(女性名詞化するための?)suffixとして、είᾱを付けたもので、また、辞書によると、μάγος(magos)は、古代ペルシア語の/maguš/に由来し、それはペルシアの神官、司祭階級を指すとある。
μάγος(magos)の複数形はμάγοι(magoi)で、この単語は、マタイの福音書2-1のギリシア語版に出ている。イエスが生まれた時に東方から賢者だか博士が来たという話で、17世紀初頭の英訳であるKing James vaersionでは、"wise men"という訳になってる。最近は、Magiと訳してたりする。流石に、魔術師とは訳せないらしい。
多分、こういう話は、欧米人には常識なんだろう。日本では、μάγος(magos)の訳としてマゴス僧を使ってることもある。マゴス僧は、おそらく、ゾロアスター以前のペルシアの司祭でもあり、ゾロアスター教の司祭も、また同様にマゴス僧と呼ばれたらしい。神官、司祭、聖職者が、医療や占いをやるというのは、古代には一般的で、葬式も彼らの仕事だから助からなくても無駄がない:)
プリニウスは、名前のみ伝わっている"魔術の実践者"として、以下の5人を挙げている
Apusorus of Media
Zaratus of Media
Marmarus of Babylonia
Arabantiphocus of Babylonia
Tarmoendas of Assyria
メディア(メディア王国?)の人が2人、バビロニアの人が2人、アッシリアの人が1人。これ以外の情報はないし、検索しても、何も出てこない。
引っかかる点として、バビロニアとアッシリアは、"ペルシア"と文化圏が違う。雑に言って、バビロニアとアッシリアは、メソポタミア神話の文化圏で、主神は時代や地域によるが、マルドゥクやアッシュルなど。ペルシアは、原イラン・インド神話の文化圏で、高位の神としてヴァルナやミスラなど("インド”はヴェーダやバラモン教系民族の神話で、インダス文明の神話は別系統かもしれない)。ゾロアスター教の神アフラ・マズダは、ペルシアの言葉で、"知恵の神"とかいう意味だったらしい。
ユダヤ人の歴史だと、バビロン捕囚をやったのが新バビロニア王国で、解放したのが(ペルシア系の国家と思われる)アケメネス朝。メディアの文化は不明。
上記の魔術師たちが、いつの時代の人なのかも分からないし、アケメネス朝時代には、これらの地域はペルシア支配下になったので、単に同化しただけかもだが、征服された後の"バビロニア人"たちと征服側であるペルシア人が、どういう関係を築いたのかは明らかでない。
ただ、ペルシア起源の魔術(医術や占星術、宗教)と思われてる中にも、バビロニア・アッシリア由来の知識、思想、技術とが混在してたかもしれない。
プリニウスによれば、ペルシア人の行く先々で"魔術思想"を植え付け汚染してまわったのが、上に書いたオスタネス。プリニウスは、オスタネスの魔術文献が残っていると述べてるが、現在には伝わってない。残ってれば、本来の意味で、最古級の"魔術書"と言えたかもしれない。現在の歴史学ではオスタネスの実在性も疑われている。
この"ペルシアの魔術"を、海を超えて学びに生き、ギリシアに持ち帰ったのが、ピタゴラス、エンペドクレス、デモクリトス、プラトンだそうだ。アグリッパの『オカルト哲学について』でも、彼らの名前は出てくるので、冒頭の定義に従えば、彼らも"魔術師"と言うべきかもしれない。一般的な認識では哲学者で、彼らに仮託された魔術書もない。
ピタゴラスあたりになると、ピタゴラス教団を作っていて、カルトの教祖的だし、プラトンのイデア論も宗教と言われて違和感のない代物ではある。
エンペドクレスは、四大元素説(ファンタジーで頻出の地、水、火、風)の提唱者とされる。仏教にも四大があり、日本語では、同じく地水火風とされているが両者の関係は知らない。デモクリトスは、原子論を唱えた古人として名前が出る。
ペルシアでは、王子も"魔術"を学んだそうで、プラトンの哲人王概念の元ネタなのかもしれない。古代では、王は、最高位の神官、神の代理人、神そのものだったりした。宗教と学問が未分化の状態では、最高位の神官は、最高の知識人にもなる。そうでなくても、王は高い教育を受けただろうし、義務教育などない時代では、余程の間抜けでもない限り、高水準の知識人ではあっただろう。
この4人のギリシア哲学者について、プラトン以外は、他人が解釈した断片的な情報があるのみだけど、思想に大した共通点は見られない。そもそも、彼らが、魔術師から何かを学んだという伝説の信憑性が薄い。ゾロアスターの思想自体が、伝統的なマゴス僧の教義とは乖離してたのだろうから、"魔術"も、一枚岩の思想体系というわけではなかっただろう。
古代ギリシア哲学も、別に統一された体系はなく、人によって全然主張が違うし、同時代の中国も諸子百家の時代だし、インドも仏教とジャイナ教の開祖を始め、諸思想が乱立してる。
プリニウスは、ペルシア以外に、ユダヤ人とドルイドが実践する魔術があると書いている。
『博物誌』30巻のChapter2の終わりでは、モーゼ、Jannes(?)、Lotapea(?)というユダヤ人たちに起源を持つ魔術が、キプロスで盛んと述べている。キプロスには、古代ローマ期に大規模なユダヤ人コミュニティがあったらしい。西暦115年にキプロスでユダヤ人の反乱があったと伝わる(キトス戦争)
"ユダヤの魔術"と聞けば、カバラを連想するけど、本格稼働は12世紀以降と思われる。プリニウスの時代には、今日のカバラは存在すらしない。『博物誌』に具体的情報は何もないが、ここの"ユダヤの魔術"とカバラは別物と理解しておくべきだろう。
現代に近づくにつれて、西洋魔術のカバラ重視傾向が進むようだけど、魔術師が勝手にカバラを拝借したというのが実体に見える。カバラ文献の著者は、大体、ユダヤ教ラビのようだけど、彼らが魔術師として言及されるのも見ない。仮に易経の記述を適当に解釈して魔術思想に組み込んでも、易経を魔術書とは呼べないだろうし、同様の理由でカバラも扱わないこととする。
『博物誌』30巻のChapter4では、ガリアの地にいたケルト系の神官ドルイドも魔術の実践者に含めていて、ブリタニア(ブリテン島)で盛んだと書いている。ドルイドは、自分たちの教義や思想について、何の文献も残さなかったので、人名すら伝わってないし、後の魔術書に名前が載ることもない。ローマ帝国支配になった後は、書写材料(パピルス)を手に入れ、文字文化も取り入れ始めたようだが、おそらく本格的に記録を残す前に断絶した。冒頭の"西洋魔術の定義"に基づくと、"ドルイドの魔術”も"西洋魔術"とは違うということになる。
ただ、少なくとも日本だと、マゴス僧には何のイメージもないが、ドルイドは、(作品によっては)ファンタジーの魔術師と印象が重なることもあるように思う。中世に成立したアーサー王伝説に出てくる架空の魔術師マーリンの原型はドルイドと考える人もいる。森に隠遁する魔術師の原型は、ドルイド由来かもしれない。マゴス僧の活動拠点だった中東や中央アジアで隠遁するなら、砂漠(あるいは荒野)の隠者になりそうに思う。
イギリスの民間伝承は知らないが、ケルト系とは別にゲルマン系の要素もありそうな気もする。どちらもローマ帝国と縁のあるヨーロッパの民族だが、ゲルマン人は(当初)バルト海周辺にいた民族で、大雑把に言うと、"ケルト神話"の創作者がケルト人で、北欧神話の創作者がゲルマン人。エルフ、ドワーフ、ゴブリンは、ゲルマン系の伝承起源らしい。しかし、ゲルマン人には、ドルイドのような神官の存在は伝わってない(北欧神話に巫女は出てくるが)ので、ファンタジー魔術師には、ゲルマン的要素は、ないんだと思う。
プリニウスは、ペルシアのマゴス僧たちと、ケルト系のドルイドに接点があったかもしれないように書いてるが、ローマとより密な関わりがあったとも思えない。プリニウスが"魔術"と呼んでるものの実体は、曖昧に思える。
語源を踏まえると、最初は、マゴス僧そのものだった魔術師が、プリニウスの時代までに、異教の神職も指すようになったのかもしれない。プリニウスの時代のローマ帝国は、キリスト教の国教化以前だが、ローマ、ギリシア、エジプトの神話と信仰の親和性が高かったのに比べると、ユダヤ教やドルイド教は異質だったのか、良い目では見られてなかったようである。
神官は祈祷によって奇跡を起こすという印象はあるが、開祖ゾロアスターに、水面を歩いたとか、死後復活したなどの超自然的エピソードは伝わってない。これは、仏教の開祖にしても同じことが言えるが、中二心には響かない。当時の魔術師に対する認識は、超常的な力を持つ存在ではなく、哲学者に近くはあったのかもしれない。モーゼには奇跡の伝説があるが、この伝説形成時期は分からない。
ゾロアスターに仮託された魔術書というのもない。開祖ゾロアスターが書いたとされるものは、ゾロアスター教の聖典アヴェスタ(の一部)だが、これを魔術書に分類するのは、聖書やインドのヴェーダ文献を魔術書と呼ぶようなものだろう。
外国の知識や技術が、宗教と共に流入するのは、日本に仏教が伝来した時や、キリスト教宣教師が来た時にも見られた。仏教僧は、信仰と共に、医術や土木建築のような知識も持ち込んだ。行基が、病人を治療し、橋を架けたという逸話もあるし、空海の行った治水事業も伝わっている。占いは仏陀が禁止したせいか、仏教とは縁が薄い。インド仏教がそれを遵守したかは知らないが、中国でインド占星術の書とされる『宿曜経』が編纂され、日本の宿曜道は何故か無関係なはずの符天暦と共に用いるようになった。宿曜道によって曜日の概念が持ち込まれたとされ、符天暦は日本の民間暦作成に寄与した可能性がある。
プリニウスの魔術に対する否定的反応は、信仰の問題以外に、江戸時代の国学者が、蘭学を蛮学と蔑んだ心理とも通じる部分があるかもしれない。
古代でも、"古代ギリシア哲学"の起源について、"外国"の寄与を認める立場と認めない立場の人が見られる。前者の極端な例としてアレクサンドリアのクレメンス、後者の極端な例としてディオゲネス・ラエルティオスを挙げる。
アレクサンドリアのクレメンスは、2世紀頃の人で、初期キリスト教の神学者とされるが、The Stromateis Book 1 Chapter 15で、古代ギリシアの哲学者とされる人たちは異邦人だと述べている。
クレメンスによれば、ピタゴラスは、トスカーナ(イタリアの地方。エトルリア人が多くいたとされる)かテュロス(レバノンにあったフェニキア人都市?)出身で、オルフェウスはトラキア人かオドリュサイ人(しばしばトラキア周辺の一部族とされる)。古代ギリシア哲学の始祖とされることもあるタレスはフェニキア人で、ホメロスはエジプト人と考えられているとも書いている。
オルフェウスは、ギリシア神話で冥界に行ったと語られる人物だが、ギリシアにあったというオルフェウス教の開祖とされることもある。ピタゴラス教団はオルフェウス教を参考にしたとも言われる。但し、オルフェウスの実在性は全く不明。
ギリシア中心史観の起源も古く、クレメンスによれば、エピクロス(BC300年前後の人)は、ギリシア人だけが哲学を行うと考えた。クレメンスより少し後の人と思われるディオゲネス・ラエルティオスは、著書『哲学者列伝』の序文で、(古代ギリシアの)哲学が蛮族起源だとする言説があるが、そもそも、哲学だけでなく人類そのものがギリシア人に起源を持つと述べている。
真面目に考えるとギリシア人とは何かという問題になってくる。古代ギリシアの人は、何らかの民族意識を持ってはいたらしいが、現代科学史の文脈では、個人の民族意識や背景は分からないことが多いので、単にギリシア語著述家を指して、"古代ギリシアの(人)"と呼ばれてるのでないかと思う。ギリシア語でエジプト史、カルデア史を書いた(とされる)マネト、ベロッソスなんかは、ギリシア人とは思われてないようだが。
共和制ローマがカルタゴと地中海の覇権を競っていたBC150年頃、ローマでは、まだ紙に本を書く習慣が殆どなかったのだと思う。碑文は沢山あるようだけど、現存する最古のラテン語文献は、この時期のもの。初期のラテン語文献著者としては、カエサルやキケロがいるが、彼らが生まれたのがBC100年頃(口述筆記だったそうだが)。ローマが地中海一帯を支配しても、古代にラテン語が学術用語として広まらなかった一因でないかと思う。
当時、ペルシア人、インド人、カルタゴの住人やフェニキア人、ドルイド、ゲルマン人などの間でも本を書く習慣が一般化していたように見えず、残ってる資料があっても碑文が主のよう(紙の文書は後世に伝わらなかっただけかもしれないが)なので、その点に関してローマ人は平均的民族だったのだろう。
ついでに、『哲学者列伝』の序文には、アリストテレスには、Μαγικῷ(magicus)という本があったとも書いている。散逸して内容も不明だし、本当にアリストテレスの作かも分からないが、ここの文脈的には、"マゴス哲学"というべき内容だったと思われる。アリストテレスの"魔術書"と言えなくもない。
同時期に全く違う歴史を捏造した人もいる。ヨセフス『ユダヤ古代誌』(CE95年頃)には、大洪水の後、カルデアの地にいたアブラハムが、エジプトに行って、エジプト人に算術や天文学を教え、エジプト人からギリシア人へ、この学問が伝わったと書いている。アブラハムが、カルデア人に天文学を授けたとは明言されてないと思う。
カルデア王国は、今では新バビロニア王国の呼称が一般的になった。古代ギリシアでは、カルデア人(それが何を指すにせよ)は天文学と占星術に精通していると考えられていた。古代アレクサンドリア以前のアテナイにも、アテナイのメトン(メトン周期に名前を残す)など観測天文学の実践者はいたようだが、詳細は何もわからない。
13世紀のロジャー・ベーコンは、ヨセフスの名前を出しつつ、Opus majus(『大著作』)のPart II ChapterIXで、人間が自力で偉大な科学と技術に到達できるわけないから神の啓示でノアと子孫に知識が与えられ、カルデア人とエジプト人に哲学を教えたと述べた。ロジャー・ベーコンは、魔術に対する否定的見解も残している。
17世紀末のフランスで、Barthélemy d'Herbelotという人の著書Bibliothèque orientale, ou dictionnaire universel contenant tout ce qui regarde la connoissance des peuples de l'Orientの中で、Magiたちはゾロアスターとアブラハムを同一視すると書いてある。
デッラ・ポルタ著『自然魔術』(Book I,Chapter I)にも、プリニウスの記述に沿った歴史が書かれている。初期のラテン語版と後期のラテン語版では、加筆修正があって、後期の版では、プリニウスを参照したと書いてある。
そして、ペルシア人にとってのMagosは、ローマ人、ギリシア人、エジプト人、カバリスト、バビロニア人とアッシリア人、ケルト人には、それぞれSapientes(賢者の意)、philosophos(哲学者/philosopher)、Sacerdotes(聖職者)、Prophetas(預言者)、Chaldaeos(カルデア人)、Druydas & Bardos(ドルイド、詩人)と呼ばれたと書いている。
古代の"魔術"がペルシアの知識、技術に対する蔑称としても、上に名前が挙がった紀元前の魔術師や哲学者で、著作が残ってるのは、ゾロアスターの言葉を含むかもしれないアヴェスタを除けば、プラトンしかいない。アヴェスタやプラトンが、魔術の基本文献とは誰も言わない。また、プラトンが、"魔術師"たちから何かを学んでいたとしても、魔術師由来の知識と自分の考えを線引きしてないので、紀元前の"魔術"について知る手掛かりにならない。
紀元前の"魔術"に含まれたであろう迷信、信仰、思想、技術の実際は、何一つ明らかでない。推測だが、医術、宗教、占星術というのは、医学、神学、数学と読み替えることが許されると思うのだけど、要するに、古代の自然科学全部を含むということでないかとは思う。宗教や神学も、実証的でないとはいえ、世界(宇宙と地球)、生命、人類の起源論を含んでることが多い。これらの起源論は、現代自然科学の問題でもある。
こうした推測は根拠もない。ただ、魔術はゾロアスター起源であるという、実体のない伝説が残っている。
最後に、多少は逸話の残る古代の魔術師を概観しておく。
ティアナのアポロニウスは、ナザレのイエス(イエスが実在したとして)より少し後の人物で、プリニウスと同時期に生きていたと考えられている。実在した可能性が高いと思われる人物で、超常的エピソードを持つ最古の一人でもある。円錐曲線論のアポロニウスは、ペルガのアポロニウスで、紀元前の人なので無関係。
彼の伝説は、3世紀に書かれたらしいVita Apolloniiで読める。
最初の方に、彼は優れた哲学者であったが、バビロニアの"magoi"や、インドのバラモン僧と交流したために、"magoi"や"悪の哲学者(意訳)"として貶められることもあったと書いてある。マゴス僧という名前や制度は、パルティア国(アルサケス朝,BC247〜224)にも残ってたようだが、それが悪口になったらしい。
Wikipediaによると、ティアナのアポロニウスにまつわる伝説は、病魔退治、悪魔祓い、英霊召喚、死者蘇生、瞬間移動などで胡散臭い。これらの伝説のせいか、後世の魔術師には人気があり、アグリッパの『オカルト哲学について』でも名前が出てくる。
もう一人、2世紀の人Apuleiusは、著書Apologiaの中で以下のように書いている。
ラテン語力の問題で正確な文意は取れないが、"Carmendas、Damigeron、モーゼ、Iohannes、Apollobex、Dardanus、ゾロアスター、オスタネスのような人物でありたい"みたいなことを言ってると思われる。何者か分からない人が含まれているが、これらの人名のいくつかは、アグリッパの『オカルト哲学について』でも、魔術師として言及されている。
本のタイトルApologiaは『ソクラテスの弁明』でも出てくるが、"弁明"を意味する。Apuleiusは、友人の母親と結婚したら、親族から、財産目当てで、魔術を使って籠絡したと嫌疑をかけられ、それに対する弁明らしい。魔術師の評判は、良くなかったことが、窺える。この魔術が、魅了の魔法的なものか、詭弁を弄するだけの技術かはともかく、著者自身が、自他共に認める"魔術師"だったらしい(マゴス僧だったわけではないと思う)。
この人は、後にカルタゴで尊敬される人物となったそうだが、派手な逸話はないので、後世の魔術書で名前を見ることはない。
ヘルメス・トリスメギストス
マゴス僧制度がいつまであったか知らないが、中東・地中海地域では、ゾロアスター教を国教としたササン朝滅亡から程なくして消滅したのだろう。その後も、ラテン語のmagiaという単語は残った。ギリシア語のμαγείαという単語も、ビザンツ帝国で生き残ったかもしれないが、一般的な単語だったかも知らない。
書籍数が少ない時代は飛ばして、印刷出版の開始で文献数が増える15世紀に進む。
1471年のイタリアで、Mercurii Trismegisti Pimander, seu liber de potestate et sapientia Deiというタイトルの書籍が出版された。Mercurii Trismegistiとあるが、ローマの神メルクリウスは、ギリシアの神ヘルメスと同一視されていて、現代日本ではヘルメス・トリスメギストスの名前で知られる。本のタイトルも長いので、現在は、『ヘルメス選集』と呼ばれている。
ヘルメス・トリスメギストスは架空の人物で、ビザンツ帝国で伝わっていたヘルメスの著作とされるもの(の一部?)を翻訳して出版したのが、ヘルメス選集。英語では、錬金術のことをhermetic artと呼ぶことがあるらしく、ヘルメス・トリスメギストスは、錬金術の祖とされることもあるが、ヘルメス選集自体は、神は善であるとか、永遠不滅であるとか書いてある退屈な本で、一種の神学書と思われてたらしい。キリストの名前は出てこないので、キリスト教神学というわけではないが、出てくる"神"は、一神教的存在のように読める。
西ユーラシアには、ヘルメスに仮託して書かれた文献が何故か沢山あって、ヘルメス文書と総称されることがある。ヘルメス文書で最も古いのは2〜3世紀まで遡ると言われ、一方で中世アラビアの作とされてるものもある。『フィフリスト』(Kitab al-Fihrist)という10世紀末のバグダードにあった書籍の目録書では、例えば、数学書(天文占星術や機械の書も含む)を扱ってる部分(7巻)で、ユークリッド、アルキメデス、プトレマイオス、ペルガのアポロニウスなどと並んで、ヘルメスの名前を確認できる。
上で出てきたアレクサンドリアのクレメンスは『ストロマテイス』6巻のChapter 4で、ギリシア人が、その哲学の多くを、エジプトの"ヘルメスの本"から学んだと書いている。ヘルメスは(多分偶然によって)エジプトの神トートと同一視されていたので、これらの(実在したか不明な)本を"トートの書"と呼ぶことがある。
トートは、エジプトで万学の祖のように思われてたらしい。中国でも起源の不透明な知識、技術の発案を黄帝の時代にしている場合があるから、それと似た話か。本を書くには、文字が必要だけど、トートは文字の発明者とされ、中国では、漢字は黄帝の時代に考案されたという伝説がある。
ついでに、シュメールには、エンメルカルという王(ギルガメシュの3代前の王で、ウルクの創設者とされる)が、文字を発明したという伝説があったらしい。現在の考古学では、ウルクの都市化が進んだ時期と、最初期の楔形文字の出現時期は、共にBC3000〜3500年頃とされてるそうだ。
ギリシアでは、ヘロドトスの『歴史』に、Cadmus(神話上の人物でテーバイの創設者とされる)と共に来たフェニキア人が文字を伝えたとある。BC403年のアテナイで、公式文書に採用されたイオニア式アルファベットと呼ばれる書式が、その後のギリシア語文書の標準となったそうだ。小文字の発明は中世のことで、現在目にする古代ギリシアの文章も、古代の表記そのままではない。
"トートの書"の慣習(そんなものがあったとして)を継承したのがヘルメス文書かもしれないが定かでない。理由はどうあれ、大量のエアプヘルメスが作られたが、統一されたヘルメス思想とかヘルメス哲学みたいなのはない。
有名なヘルメス文書の一つが、エメラルド・タブレットという錬金術の奥義が書かれてるとされるもので、12世紀半ば頃、偽ティアナのアポロニスによる著書のラテン語訳Liber de secretis naturae(自然の秘密について) に含まれていたそうだ。事前情報なしに読んだら、錬金術の話には見えない。現在、エメラルド・タブレットは、中世アラビアの創作と考えられているそうだ。
ヘルメス文書のテーマは多岐に渡るようだけど、オンラインで読めるヘルメス文書を探すのが大変。宗教哲学、錬金術以外に占星術などの文献もあるようで、錬金術文献が多いわけでもないように見える。しかし、『フィフリスト』で錬金術を扱った10巻でも、初っ端に名前が挙がってるのがヘルメスで、錬金術での扱いは特別感がある。ついでに、錬金術の巻では、ヘルメスの次に、Ostanesの名前が出てくる。こいつは、ペルシアの魔術師オスタネスと同一視されてたらしい。
逆にヘルメス文書にないテーマを見てみる。概要を見る限り、例えば初等算術書、建築書、農書、機械の本などはない。医術書も、少なくとも、養生訓的なもの、薬草書などはないように思う。目を通した限り、抽象的で何の話かも曖昧な言説か、(正誤は問わず)具体性のある知識は、単なる迷信でしかない。寓意のような形で暗示されてるという主張は、占いや予言と同じで、何とでもこじつけができるので、考慮はしない。
ヘルメス文書に医術的な話があるとしても「魔除け」などの迷信止まりのようである。一応、占星術も錬金術も医学と結びつくことはあって、プトレマイオスは、テトラビブロスで、エジプトに占星術と医術を関連付ける試みがあったことを書いてるし、不老不死の薬という概念も医療的なものではある。パラケルススは医者だった。ヘルメス文書の一つに『アスクレピオス』があり、アスクレピオスは、医療の神だが、宗教哲学書と解釈されている。
ヘルメス選集の翻訳者は、マルシリオ・フィチーノ(1433~1499)という人。フィチーノがヘルメス選集を神学書として理解してたことを示すように、ヘルメス選集の序文には、古代の神学者の名前が挙げられている。そこでは、ゾロアスターの名前がでてこないが、後に書かれた『プラトン神学』では、ゾロアスターも追加され、例えば、VI章Cap1の後半で
と書いてある。ゾロアスターが先、ヘルメスが後となった。ヘルメス文書はプラトンより新しくても、古代には、ギリシアが、トートの書から多くを学んだと述べる人がいたのだから、ヘルメスを"ギリシア人"(ギリシア人の定義はともかく)たちの前に置くのは自然かもしれない。ゾロアスターを最初にした理由は分からない。これが、フィチーノの発案なのかも不明。
ヘルメス選集の元ネタである写本を継承していたビザンツ帝国は、他にも、当時のヨーロッパに伝わってない文献を伝えていた。ビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされる頃、そうした文献が、ヨーロッパに伝わってきて、フィチーノらは、翻訳書を出した。
フィチーノの著作で、翻訳物を見ると、プラトン、ヘルメス、イアンブリコス、プロティノスなどの名前が確認できる。
イアンブリコスとプロティノスは3世紀頃の哲学者で、イアンブリコスは、一般的には、ピタゴラスの伝記を書いた人として知られる。ピタゴラスの時代から7〜800年くらいは経ってるので信頼度は低い。
1〜5世紀頃の中等・地中海地域では、ユダヤ教神学やキリスト教神学がギリシア哲学で補強しようとしてたり、他にもグノーシス主義やら多くの宗教が乱立していて、宗教哲学が盛んだったらしい。この頃にもヘルメス文書はあったが、周辺の宗教哲学との関連は不明。
イアンブリコスやプロティノスは、"新プラトン主義"と括られることもあるが、思想は、正解とかない音楽ジャンルの如く、際限なく増えるし、好き勝手に分裂したり混ざったりするので、分類の議論に意味はない。当人たちが、プラトン哲学の継承者を自認してたのかも知らない。"新プラトン主義"と"ヘルメス主義"(とついでに言うならユダヤのカバラも)は、どっちも神秘主義思想だと言われることもある。
フィチーノが何をどう考えたか知らないが、多分、古代に伝わっていた本来の神学が時代を経て失伝していて古い哲学の方が正解に近いはずという復古主義的幻想があったんだろう。失伝した知識という幻想も、秘伝と同じくらい頻出ネタとは思う。自分の求める叡智を、同時代の誰かが知ってるはずと考えるのが秘伝幻想で、過去の偉人は知ってたはずというのが失伝幻想だろう。
創作でも、忘れられた古い魔術の方が強いという設定は、よく見る気がする。
ゾロアスターが魔術師の祖だという伝説は記憶されていたが、フィチーノは、あくまで"神学"というスタンスで、公に"魔術"との関わりを述べたことがあったかは知らない。
公言したことはないかもしれないが、フィチーノは、『ピカトリクス』(1256年ラテン語訳作成)も読んでたらしい。これは、一般に魔術書と称されるが、ラテン語版を見ると、nigromanciaと書いてあり、アラビア語ではsihrだったらしい。現代アラビア語では、sihrは手品を意味するらしく、magicとの対応が見られる。
nigromanciaは、辞書には降霊術と訳されてるが、英訳『ピカトリクス』Book I Chapter2には、"practice"、talisman("護符魔術")、alchemy(錬金術)の3つに分けられると書いてあって、降霊術とは違うように見える。
"practice"というのは、ラテン語版を見ても、practicaと書いてあるだけで、何のことか分からないのだけど、アラビア語ではnīranjātという単語だったらしい。この単語も馴染みはないが、spellsないしmagic charms(つまり呪文、詠唱)と訳してる人もいる。実際は、呪文以外の要素もあるらしい(お香を焚いたりとか?)。
タリスマンとかいう文字を見ると、随分迷信的な感じだけど、6〜12世紀あたりの中国や日本でも、密教僧が真言、印契、結界などと書いてる時代なので、そんなものだろう。本文には具体的内容もあるかもしれないが、長いので読む気はしない。
『フィフリスト』(8巻)によると、タリスマンの本を書いた最初の人物は、ティアナのアポロニウスだと信じられていたようだ。上に挙げたsihrの他の2分野に言及したヘルメス文書があるかは分からない。sihrの成立過程を追って、中世アラビア語文献を読むのは大変なのでやらない。
sihrの起源が何であれ、タリスマンとか呪文だって、信じる人にとっては一種の自然法則であり、"自然科学"だったのかもしれない。政治学とか法学、詩学なんかを魔術に含める人はいないわけで、漠然と自然法則的なモノを扱うのが魔術という認識で、sihrも魔術扱いになったという理解はできるように思う。現代で、"疑似科学"は、一般的には迷信だが、信じてる人には自然科学というのと似て、その境界は、人によって異なっていたかもしれないが。
ソロモン王
フィチーノは、メディチ家の庇護を受け、関心を同じくする人とも交流した。その一人に、ピコ・デラ・ミランドラがいて、1486年に書かれた原稿De hominis dignitate(『人間の尊厳について』)は、何故か有名。これは、神学者や哲学者を聴者とする演説原稿で、神学者は当然聖職者の可能性もあった。
無駄に長くて主張がよく分からないが、「人間は自分の意志で獣や天使になったり神と一体化する自由を与えられていて、その何か凄い存在になる手段として(非キリスト教徒の知恵である)魔術やカバラに頼っても許される」みたいな理屈を述べていると思われる。
"何か凄い存在"になる実益は不明。常識的には、現世で何がどうなっても、飢えれば死に、徒手で象を倒せないし、100メートルを5秒で走れないし、毒とドーピングを解除する祈祷術を使えもしないし、勉強をしないで数学力があがることもないだろう。しかし、神と一体になるのを、イエスと同等になると考えれば、イエスの奇跡も使える設定かもしれない。
『人間の尊厳について』の中で、"魔術"には二種類あると述べている下りがある。
ラテン語版と英語訳を併記する。検索すれば、日本語訳も落ちてる。
魔術には二種類あって、一方は、悪霊ないし悪魔の(demonum)力による邪悪な術で、魔術の名前に値せず、ギリシア人は"goēteia"と呼んだ。もう一方は、自然哲学の完成形であり、ギリシア人は"mageia"と呼んだということが書いてある。
この少し後に、プロティノスが"goēteia"の儀式に誘われた逸話が出てくる。
この話の出典は分からないけど、何か悪霊絡みの儀式に誘われて断ったと書いてる。γοητειαは、ギリシア語辞書では、呪文、妖術などの意味になっている。
Perseus Libraryに登録されている文献では、紀元前に"goēteia"という単語が使われているが、特に、mageiaと対になって使われている形跡はない(ここの含まれてないプロティノスの著書とかで使われてたりするのかもしれないが)。
わざわざ注意するということは、世間一般には当時のmagicaが"goēteia"と同一視される傾向があったのだろう。古代から、魔術は怪しい技術扱いで、魔術師は罵倒語となっていたが、それは払拭されていなかったということでもある。
mageiaと"goēteia"という対比は、デッラ・ポルタの『自然魔術』の後期の版でも使われている。当然デッラ・ポルタのいう自然魔術は、mageiaの方。アグリッパの『オカルト哲学について』の1651年英訳版では、本文外にGoetiaとTheurgiaという対比があり(これはアグリッパの本文にはない)、GoetiaをNecromancyと同一だと述べている
Theurgiaは、ギリシア語のtheourgia(θεουργία)に由来し、現英語ではtheurgy、日本語では神働術と訳す。theourgiaは、ギリシア語のtheos(神)とergon("work")の合成語で、直訳は、"神の御業"とかだろう。神働術は、原義に沿った訳。英語のtheology(神学)が、theos+logos(言説)の合成語なのと似ている。
θεουργίαは、2〜3世紀頃が初出らしく、主に"新プラトン主義者"に分類される哲学者が実践していたらしい。theurgyとgoetiaの対比も、古代にあったか知らないけど深入りしないことにする。
17世紀あたりからは、goetiaは、悪魔召喚の儀式を意味するように変化していく。この術の起源は、伝説上の人物ソロモン王とされている。
ソロモン王の実在は不明だが、『ユダヤ古代誌』(西暦95年頃)や旧約聖書の列王記11章には、ソロモン王が、異教の妻を沢山娶って、また、彼女らの気を引くため、異教の神を祀る神殿を作ったというようなことが書かれている。列王記には、女神アスタロトの名前が出てくるが、現在では悪魔の名前としても伝わっている。これらの文献には悪魔を使役したとは書いてない。
ソロモン王が悪魔を使役したという話が出てくる最初の文献は、Testament of Solomon(ソロモン王の遺訓)というテキストらしい。『ユダヤ古代誌』や列王記にあるソロモン王の逸話の別バージョン的なストーリーで、日本の昔話が細部の違う亜種を持つのに似ている。成立時期はよく分かっていないらしい。『フィフリスト』にも、類似の話があり、西暦1000年より前に原型が存在したことは確かだろう。錬金術師ヘルメスの伝説が創作されたのと同時期に成立したという可能性も、現時点では否定できない。
ギリシア語版を探したが、ネット上では、英訳しか見つけられなかった。あらすじは、天使から授かった指輪の力で悪魔を利用して神殿(エルサレム神殿?)を建てるが、最後は異教の神を崇拝してしまって没落する話。この本自体は、ソロモン王のようになってはいかんという教訓譚っぽい。悪魔を使って特に邪悪な行い(異民族を虐殺するとか、異国の川を血で染めるとか)をしたわけではない。アスタロトと思われる存在は天使として出てきて、後の力天使と思われる存在が悪魔として出てくる。
ユダヤ古代誌や列王記では、ソロモン王が勧請した神の詳細は書かれてないが、Testament of Solomonには、"悪魔"の名前や性質が細かく書かれていて、分量を増している。この記述を真剣に信じた人がいたのか知らないけど、後世(特に17世紀以降)のヨーロッパで出版された悪魔召喚法の元ネタではあった。ヨーロッパで悪魔を信じる風潮が出たのは、1486年出版のMalleus Maleficarum(魔女に与える鉄槌)以降だともいうが、本当かどうかは分からない。
Testament of Solomonの作者の意図が創作にリアリティを持たせようというだけだったら、クトゥルー神話が1000年経ったら、実在の神の描写と思われたみたいな話だが、作者の名前すら不明だし知りようがない。
中世アラビアでは、ソロモン王が使役したのは、"ジン"というアラブにイスラム教以前から伝わる精霊のような存在になってるらしい。本来、ジンは邪悪な存在というわけでもないそうだが、Testament of Solomonに出てくるのは、どいつも人間に害をなす存在として書かれている。
イスラム教以前のジンは、人間に憑依して啓示を与える存在でもあったらしく、これは降霊術だろう。イスラム教では違法になったようだ。悪いジンに憑依されることもあるらしく、総じて、普通じゃない精神状態(てんかん、夢遊病、多重人格、トランス状態など)になるのを、ジンの憑依と解釈していたように見える。
中世アラビアには、ジンを使役する(と主張する)術というのもあったらしい。ヨーロッパの悪魔召喚術の由来かもしれないが、詳しく調べてはいない。日本でも、『続日本紀』(797年完成)に、役小角が鬼神を使役した逸話("小角能役使鬼神")があり、式神の概念も有名だが、ジンを使役する術も、アラビア版式神のようなものかもしれない。
役小角の術の元ネタは中国由来と思う。2世紀以降の成立とされる『列仙伝』黄帝の冒頭には、"黃帝者,號曰軒轅。能劾百神,朝而使之。"とある。黃帝は「百神を律し、身近に置いて使役した」というようなことと思われ、式神っぽさはある。しかし、神の如く有能な臣下が沢山いたという解釈が普通らしい。
動詞の"劾"は、一般には弾劾に近い意味だが、道教には"符劾”という魔除けのお札があるらしい。『後漢書』方術列伝下には、丹書符劾に通じた麴聖卿が鬼神を厭殺・使役したとある。生殺与奪を自由にするほどの強い命令権・強制力を得る手段らしいことが読み取れる。総合的に考えると、ここでの"劾"は、"隷属させる、支配下に置く"くらいのニュアンスかと思う。
"劾"の用例として、『後漢書』方術列伝に"能劾百鬼眾魅,令自縛見形"(百鬼眾魅を支配して、動きを封じ姿を見せるよう命じた)とあり、『抱朴子』に"又神仙集中有召神劾鬼之法,又有使人見鬼之術"とある。
他に鬼神使役に関わる記述として、4世紀頃の書とされる『神仙伝』樊夫人には、"亦有道術,能檄召鬼神,禁制變化之道"とあり、「道術の心得があって、鬼神を召喚したり、呪禁や変化の術が使えた」というようなことだろう。同じ著者(葛洪)によるとされる『抱朴子』金丹にも、"元君者,大神仙之人也,能調和陰陽,役使鬼神風雨"とあって、「元君は、偉大な神仙で、陰陽を調和し、鬼神や風雨を操った」など。役小角の術が、神仙の伝承由来の伝承なのは確からしく思う。
神仙の鬼神使役法、アラビアのジン使役法、ソロモン王の伝説の関係性は不明。
ルネサンス期以降の西洋魔術では、ヘルメス文書や『ピカトリクス』などsihr由来の書籍、それに加えて、カバラ文献などが基本文献となったようには見える。しかし、デッラ・ポルタとアグリッパの方向性は、相当に違うように見えるし、16世紀に統一された魔術思想があったわけでもないだろう。
1600年以前の自然科学的な対象の研究者は、哲学者や魔術師、時には医者や占星術師、数学者やエンジニアを自称したと思われる。これらは相互排他的でもなく、魔術師であり医者であり哲学者だということもあっただろう。1600年以前あるいは17世紀ですら、迷信、宗教、形而上学、自然科学は入り混じっていて、現代基準で迷信的な記述を主に残したから魔術師だという判断は適切か分からない。勿論、19世紀とか20世紀に魔術師を名乗ってるような人は、これとは全然話が違う。それは、現代の哲学者が自然科学者とは思われないのと同じこと。
(定量的自然科学としての)"数学"は、古代から形而上学と分離が進んでいて、問題の数学的側面に注力している時だけは、昔の議論も現代的に見えるのだと思う。数学は、量の間の関係を述べるだけで、物事の因果関係には関知せず、便宜的に直接測定できない量を導入しても、それが何かの実体や実在に対応してるかどうかも問題にしない(できない)。現代物理学でも、物理的解釈は与えられるが、大部分は数学的記述を理解するための方便に過ぎない。例えば、幾何光学のレベルでは光を光線として扱うが、光線が光の実体というわけではない。
魔術師たちに共通する点があるとすれば、歴史の認識くらいかもしれない。ヘルメスが加わるとはいえ、プリニウスの書いたゾロアスターを起源とする魔術の歴史は、実情が殆ど明らかでないにも関わらず、魔術師の間で割と共有されてるように思う(科学史に興味を持たない科学者がいるように、魔術史に興味のない魔術師もいたかもしれないが)。魔術師たちは、古代ギリシアの哲学も評価してはいるが、ギリシア人だけが哲学をやったという風には考えてなかっただろう。現在の科学史の基本ストーリー(いつ出来たのか知らないけど19世紀には完成している)の方がギリシア中心的なのは面白い。
想像通り、ラテン語文化圏において、2000年以上の間、魔術は常に異端だった。陰陽師の場合は、勝手にそう名乗ってるだけの民間陰陽師はいたが、本来は国家に公認された官職だった。江戸時代には、土御門家に認可を得ずに陰陽師を名乗ってはいけないことになってたそうだ。江戸時代末期には、土御門家でも西洋天文学を学んで天体観測を行っていたようで、彼らも学者だったと言っていいだろう。ファンタジー世界の魔術師も、作品によって違うだろうけど、一般的に迫害されてる様子はない。作品によっては、王族や貴族が魔術を学んでたり、体制側であったりするのは面白い。
おまけ:明治時代の西洋魔術
明治時代に、"西洋魔術"の訳書が出版された。1890年台初頭(明治24〜25年頃)の本だが、タイトルに"魔術"という単語を含む日本の本は、検索した限り、これらが最初。内容を見ると、いずれも、手品・奇術の書。
国会図書館でスキャン画像が公開されているが、魔術上巻の目次には、幽霊を現はす法、鬼火を作る法、火球をあらはす法などとあって、意外と面白そうではある。"火球をあらはす法"では燐を使うよう指示があるので、現代日本の一般家庭で実験するのは難しい。また、一部の章タイトルが、光学に関する魔術、化学及び電気学に関する魔術、数学上に関する魔術などとあって、微妙に、自然科学分野と対応している。現代の子供向け乃至は娯楽としての科学実験書と通じる面があるかもしれない。
奇術書自体は江戸時代からある。17世紀の明末期に、陳眉公の「神仙戯術」という本が出版され、日本でも17世紀末に訳書が出された。日本最初の奇術書とされるが、手品と迷信が混在してるらしい。翻訳者の馬場信武は、医者だったそうだ。