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自分の言葉と、届ける相手。
ここ最近わたしが憧れているのは、「自分の言葉」を持っている人。
どこかから借りてきた言葉ではなく、その人から出てきたんだろうなと感じられる言葉で表現をする人。
そういう風に書かれた文章を読むときって、その表現に含まれた思いを理解するために、何度か同じところを読み返したりします。でも、難しいことも易しいかたちに変換されていることが多く、読むこと自体は決して難しくはない。
そんな言葉が紡げるようになりたいと思っています。
ところで、企画メシ第3回講義が終了しました。
印象的だったのは、阿部さんが講義の後半で発した言葉たちの多くが、いかに届ける相手のことを考えて企画書をつくるかについてだったこと。
・熱い思いが詰まったマグマの企画を温泉くらいの温度に調整する
・負担をかけずに概要がちゃんと伝わる、Yes/Noが判断しやすいかたちにして渡す
・自分が何をしたいのかをまず言語化する。それをさらに伝えていくためにはどんな言葉が適切なのか、届けたい人たちに寄り添えるメッセージになっているのかを考える
・伝えていく相手がどういう状況か。相手の受け取りやすさはどこにあるか。どうしたら心を配れるか。その人にとって心地よい温度はどのくらいか。「〜してほしい」だけだとスピードが早すぎることもある。相手がキャッチャーミットを構えられるような時間を取るという意識はしている。
企画という場面においては、たとえ「自分の言葉」を持つことができたとしても、主張や思いだけを全面にぐいぐいと押し出していたら、なかなか実は結ばない。
企画のことを考える分量より、届けたい相手のことを考える分量の方が多くてよいくらいなんですね。
伝えたいことに対してこの表現が本当に一番いいのだろうかと何度も問い続け、「自分の言葉」にすることができたら、今度は届ける相手に視点を変えて、さらに磨く。そのこだわり続ける過程がきっととてつもなく大事。
そんな風にして届けられた企画書は、どんなかたちをしているのでしょう。重量があって、温かくて、手触り感があるのかな。それとも軽やかで、すっと心に入ってきてしまうのかな。
話は変わりますが、今回の課題は『「なんとかしたい」の企画の企画書を書いてみる』でした。これまでの講義の中で一番、企画生の個性が花ひらいた回だったと思います。
企画も企画書も未熟ですが、最近のわたしの自己紹介として、わたしの「なんとかしたい」をここにも載せておきます。
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素直に言うと、自分が今に集中することさえまだそんなに上手ではありません。そんななか、みんなが今を見つめる場をつくるところまでできるのだろうかとか。この企画をもし進めることができたとしても、思いもよらない方向に行ってしまうんじゃないかとか。まだ自信がないのが正直なところです。
でも企画生のなかにも「いいね」と言ってくださる方がいて、まずはそんな方たちとお話しするところからでも、すこしづつはじめてみたらどうかなと思ってはいるのです。
なのでもし「なんかいいな」とか、「なにか一緒にやってみたい」とか、思ってくださる方がいたら、そっと肩をたたいてくださったら嬉しいです。