琴似屯田兵村兵屋跡に出向いてみた
北海道を開拓したのは屯田兵ということは聞いたことがありましたが、こちらの琴似という場所がその発祥の地とのことで、連れてきていただきました。開拓と防衛のため、小樽と札幌の間にある琴似が選ばれたそうです。
1874(明治7)年、開拓使は最初の入植地を琴江を決め、同年に兵屋208戸、週番所(中隊本部)、練兵所、授産所などを建設して兵村づくりを行いました。翌1875(明治8)年には、屯田兵198人、その家族を含めて965人が第一陣としてこの地に入植しました。屯田兵たちは、厳しい自然環境の中で、慣れない開墾にあたり、大変な苦労をして原始林を農地に作り変えたのです。これにより蝦夷がロシアの進出から守る役割も果たしました。
実際にはそれ以前にも在住制度というものがあり、いくらか住んでいる人はいたらしいです。仕事を失った士族たちが屯田兵になりました。
琴似とは、札幌都心部にあった多くの水系を意味する、アイヌ語の「コトニ(kotoni)」に由来するとのことです。
場所は、札幌市西区琴似2条5丁目1-12。入場は無料です。
それでは現地の写真を紹介していきましょう。
近くの道路には、屯田兵村道の跡がありました。
現在は普通の道路ですが、もう少し歩いていきます。
こちらが、国指定跡 琴似屯田兵村兵屋跡です。
こちらが民家の内部です。暖房は囲炉裏の火だけだったとのことなので、寒さにはこたえたことでしょう。部屋は居間兼台所のほかに8帖と4.5帖の居間がありました。
開拓に使われた農作業の器具も残されています。
機織り機もありました。
屋外には、琴似屯田兵村菜園もありました。屯田兵が耕作していた自家農園を復元したものとのことです。
とうきび、枝豆、じゃがいも、大根、かぼちゃ、玉ねぎなどが栽培されていました。
この最初の屯田兵がどこから入植してきたのかと思ったら、現在の宮城県、仙台藩の亘理郡の方だったそうです。ほかに会津藩からの方もいたそうです。名簿も多く残されています。
最終的には道内に37カ所の兵村があったそうです。
屯田兵について、少し詳しくなりました。
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