AIが作る非生産的人間プログラムは、人間は無駄だからこそ価値がある
日本が戦争をしていた時代から100年近くたった今、平和主義をつらぬいてる日本は、歴史的な価値観でみると、昔とは常識がまったくちがう。
戦争が正義から、悪になった。
AI革命においても、今後同じような事が起こる可能性がある。
人間が働くのではなく 機械が働く。
車も自動運転で動き、人間が運転するのはリスクになる。
現代では非常識なことが、あと数年で新たな常識になり得る。
社会そのものを形成してる人間社会においても、これまでとは違う形で影響を与えるだろう。
効率化を追求することがAIの目的なら、社会の変化に伴って人間関係の構築の仕方も変わってくる。
SNSの普及によって、マインドの近い人とのコミュニティ構築、Zoomを駆使した場所を限定しない働き方が可能になり、
さらにはAIの活用により、恋人とのアテンドから人材マッチングや採用まで勝手に推奨してもらえるようになった。
Zoomで打ち合わせをする内容もいずれは、自分の仕事のアルゴリズムを学習させた AIエージェント(代理人)たるものが、自動で対応してくれるようになる。
そのアルゴリズムは生物界の中でも波及し、寿命や排泄がないラボット(AI型ペット)のような新たな生命体の出現など、モノにおいても新たな価値を創造していく。
今後はAIやロボットと人が共存する社会のような、今の人間関係とは違う、好きな人としか付き合わない 好きなことだけやっていく 個の時代になるだろう。
究極の個の世界がおとずれると、今まで憧れていた人の生き方や、尊敬していた人の対象がまったく変わってくる。
では、次にその社会が来たとして、人間たる本質的な価値とはなにか?
誰もやってない事をひたすら、探して追求する 挑戦者 であり続けることを忘れてはならない。
一見、ロボットや AIからみても無謀であり無意味に思われる挑戦も、たとえ失敗だらけであったとしても、その失敗を生かして 成功にもっていけるのは 人間だけである。
AIからみて、人間はダメだからこそ、そこに価値があるのである という新常識をもって 誰もやりとげられなかった挑戦をどれだけ できるか。
失敗ができるのは唯一、人間に残された権利かもしれない。