場を和ませる

サラリーマン営業一筋だった親父は、年中、酔っ払って帰ってきた。親戚一同が集まる場でも、きまって親父は酔っ払いだった。
つまり、18年前に亡くなるまで、私の親父の記憶は、ほとんどが酔っ払っいなのだ。
酒を飲む前の親父は、どちらかと言うと口数は少なく、喋るのが仕事のようお袋が我が家の中ではリーダーシップを発揮していた。

高卒で1人、静岡の田舎から東京に出て働いてた親父は、ともかく、自宅に人を呼ぶのが好きだった。飲んで帰る時も、同僚の方や後輩に連れて帰ってもらうと、夜遅くても、我が家に入れようとする。一つ上の姉と私だけでなく、お袋も風呂にも入り、後は寝るだけ、いや、下手すると寝てからも、玄関の外から親父はデカい声を上げる。
「おーい、バーさん、帰ったぞ、何か用意しろ」と。
同僚や後輩の方が、「いやいや、もう遅いから帰りますので」と言って、玄関で対応し、帰ってもらった時には、その後が大変なのだ。
「お前が、イヤそうな顔するから帰っちまったじゃねえか、このバカやろー!」
と、親父とお袋の大喧嘩が始まるのだ。
おかげさまで、私と姉は酔っ払っいの扱いは多分かなり上手いと思うのは、今だから言えるが、当時は、もちろん、酔っ払いの親父は嫌いだった。

ただ、酔っ払いの親父は他人には人気者で、飲み会の席では、いつもヒーローだった。
無茶苦茶よく言えば、サービス精神が旺盛なのだ。とにかく、場にいる人に喜んでもらおうとする。それが親父の酔っ払いの基本スタンスだ。
いや、おそらく親父の仕事ぶりを見たことはないが、電気系の会社の営業なのに、電気系のことが苦手な親父が、営業成績が良かった秘密だったのではないか。

酔っ払いの親父は、時々、私にこう言うのだ。
「シゲル、いいか、とにかく人だぞ、人」
親父みたいにはなりたくない、そう思っていた私が、親父のこの言葉の重みに気づき出したのは、会社を辞めて個人事業主になりたての頃、つまり33くらいからだ。

そして、55も過ぎた最近になって、どうやら私にも親父の血が流れていることを感じるのだ。
場にいる人に楽しんで欲しい、チーム指導していても、チーム全員が楽しんで欲しいと思うし、飲み会の場や、初めて会う人達との集まりでも、そんなことを感じているのだ。
もともと、面白い人間ではないから、面白いことを言えるわけではないのだが。
それどころか、30過ぎるまでは、話をするのは、自分と価値観が似ている人ばかりで、世間話が大の苦手な、とっつきにくい奴だったのだ。

そんなことを、昨日の合宿帯同したチームの選手のお父さんに、自宅まで送ってもらっている2時間半の車の中で考えていた。
道中には、運転してくれているお父さん、事務局の方、そして若手コーチと私。ハッキリ言って、それぞれが、そんなに知らない間柄のようなもので、しかも、よりによって男だけなのだ。
誰かが話さなければ、下手すると、ほとんど口を聞かずに2時間半が過ぎてしまう。
もちろん、ずっと無言の車中でも構わないかもしれない。でも、私は、こういうシチュエーションの時は、多分、自分から率先して話を切り出すのだ。
そう、だから昨日の道中も、時々、私から運転しているお父さんや、事務局の方にも話しかけるのだ。もちろん、若手コーチの方とは、一番会話をさせてもらった。
技術コーチとトレーニングコーチの関係性だが、これまでにも、数えるほどしか会ったことがないのだ。
そう言う意味では、とても貴重な時間となった。

親父のサービス精神、酔っ払い精神は、どうやら息子にも確実に受け継がれている。

そんなことを感じる、夏合宿の帰り道となった。






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