人生は生きるに値する

「人生は生きるに値する」

子どもたちに、胸をはってそう言える大人はどれだけいるだろうか。

連日のように闇バイトによる強盗事件がニュースで流れる。

政治家は相変わらず、数合わせなる権力争いに必死である。

コスパ重視、スピード重視が教育の分野にも浸透している。

いったい、我々はどこを目指しているのか。

村上春樹さんが、かつてこんなことを話している。

今、世界の人がどうしてこんなに苦しむかというと、自己表現をしなくてはいけないという強迫観念があるからですよ。だからみんな苦しむんです。僕ははこういうふうに文章で表現して生きている人間だけれど、自己表現なんで簡単にできやしないですよ。それは砂漠で塩水飲むようなものなんです。飲めば飲むほど喉かま渇きます。にもかかわらず、日本というか、世界の近代文明というのは自己表現が人間存在にとって不可欠であるということを押しつけているわけです。教育だって、そういうものを前提条件として成り立っていますよね。まず自らを知りなさい。自分のアイデンティティを確立しなさい。他者との差異を認識しなさい。そして自分の考えていることを、少しでも正確に、体系的に、客観的に表現しなさいと。これは本当に呪いだと思う。だって自分がここにいる存在意味なんて、ほとんどどこにもないわけだから。タマネギの皮むきと同じことです。一貫した自分なんてどこにもないんです

自分がここにいる存在意味なんてない。
「自分らしさ」を求めて生きてきた人間からすると、強烈な言葉である。
では、なんのために我々は生きるのか。
そもそも、その問いの立て方に問題があったのかもしれない。

「取るに足りない些細なこと」
「なにかのためでなく大切なこと」

どうやら、我々はそれを忘れてしまったのではないか。

でも、それに気づけば、
「人生は生きるに値する」
そう思えるのではないだろうか。

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