今日という日は今日しかない
『人生の贈り物』 スペンサー・ジョンソン
それは少年と老人の話です。
ある日老人から「君はすばらしい贈り物を持っている。それに気づけば幸せになれる」と言われるのですが、少年にはその意味が理解できません。「それは何ですか」とたずねても「自分を幸せにできるのは自分しかいないから結局自分で気づくしかない」という答えしか返ってこないのです。
数年後、若者は答えを見つけるために旅に出かけます。しかし、洞窟やジャングル、海底などいくら探しても、すばらしい贈り物は見つかりませんでした。
数十年後、老人になった時にやっと気づきました。答えは「現在」だったのです。過去でも未来でもなく現在が貴重な贈り物だから、今この瞬間を大切に生きていけば自分を幸せにできるという意味だったのです。
私は現在55歳である。
私にも、この少年のよう時がたしかにあった。
高校2年生、17歳の時、初めて私は
「人生どう生きたらよいのか」
ということを考え始めたように思う。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読み、それまでまったくしていなかった読書をするようになった。
必死に答えを探していた。
しかし、色んな本を読むたびに感動はするも、現実の自分自身の情けなさにストレスもたまる。
自分の現状を打破したく、そのヒントを探す旅、それが私には読書だったのかもしれない。
ん、その旅は今でも継続中か。
ただ、当時から、たいてい私の結論は、こうだった。
「人生は有限、一度限り」
これだけは、私のように頭の悪い人間にも確実に言えることだった。
あれから40年近く経っているが、人生で大切なのは今、目の前のこと。今、目の前のことを楽しむこと、今、目の前の人との出会いを大切にすること。それが一番大切ではないかと思っている。
もう人生の折り返し地点を過ぎた私だからこそ、なおさら、今、この時、目の前の人を大切にしたいという思いは強くなっている。
そして、自分の家族、妻や息子や娘もそうやって人生を生きて欲しいと思っている。
昨晩は、様々な競技(バレー、バスケ、アメフト、サッカー等)のコーチやトレーナーが交流する懇親会に参加させてもらった。
久しぶりにお会いできた知人もいれば、名刺交換させてもらった方々もたくさんいた。
普段は、主に学生の部活動の場でトレーニング指導をしているので、着ていく服さえ迷う私で、なんとも場違いをする感もあったが、楽しい時間を過ごすことができた。
いつもとは違う場所、人に出会うこと、そして、そこでどう立ち振る舞えるか。積極的に交流をはかれるのか、はたまた、後ろの方で身内だけで会話してしまうことになるのか。この差は大きいと思う。
色んな意味で、自分という人間が試される、そんな時間だったように思う。世の中は広い、とは言え、全てを知り得ることはできないし、出会える人は限られているのだ。
だからこそ、今、その時を大切にしたい。
そんなことを改めて考えた。