目的志向に逆らう

子どもの頃は、皆んな無邪気に全力疾走していた。しかし、気づけば小学校高学年、中学、高校になるにつれて全力疾走をしなくなる。
いや、全力で走る時もある。
例えば、50m走のタイム測定の時とか、競争して負けたら腕立て伏せとかの罰を与えられた時とか、徒競走で1位になったら親から欲しい物を買ってもらえるとか。

そんな具合に、何か目的だったり理由があると全力で走る人はいる。

更に言えば、世の中的には目的志向。
「何のためにやる」のかを、コーチなり先生なりは子どもに説明することが大切であると言われている。
もちろん、何のためにやるのかを明確にすることの全てが悪いこととは私も思わない。

しかし、なぜやるのか?
が、わからなくても全力疾走できる、目的を問われればわからなくても、損得抜きに全力疾走できるって大切なことのように思う。

辻秀一さんが、『スラムダンク勝利学』という本の中で、主人公の花道についてこんなことを書いている。

 次に「花道」。彼は「一生懸命を楽しむ」ライフスキルが高い。選手の指導にとって、最も重要なライフスキルと言っても過言ではありません。実は人間というのは適当にやるよりも一生懸命やるほうが必ず楽しさを感じます。この一生懸命を楽しめる力というのは子どもの頃には皆、持っていたのです。ところが、大人が子どもに「お前、そんなことやっていて何になるんだ?」って投げかけていきます。そのうち「何のためか」が無いと一生懸命やらない人間が育てられていくわけです。「ルーズボールを取らないと、殴られるからだ」と、理由で動く選手になります。そうではなくて、この瞬間ルーズボールへ行くほうが楽しいのです。ルールと罰で縛っていくと、いつもルールと罰でしか動かなくなります。そうすると気が付けば文句を言ってばかりいる選手の集まりになっていますそれをまた「管理」と言ってマネジメントするから、ますますノンフローな集団が生まれて、持っている力が出にくくなるのです。 

スラムダンクの映画が大ヒットした理由には、もしかすると花道のこういう魅力があるのかもしれない。

さて、我が家の高3の娘は、小学3年から高3の夏までバスケ三昧の日々だった。体を動かすことが小さい時から得意で好きな娘は果たして、目的や理由もなく全力疾走できたのだろうか。
親バカになるかもしれないが、娘はかなり花道に近かったように思う。
娘が口下手なのに小中高とキャプテンになったのもそんな娘の性格もあったように思う。

おっと親バカの話をしていたのではない。
問題は、私の指導先の選手たちのことだ。
上手い選手にならなくてもいいから、損得抜きに全力疾走できる選手になって欲しいとは、勝手な私の希望である。
そういう選手が多いチームは指導していてもむちゃくちゃ楽しい。なんてったって、目がキラキラ輝いているのだから。

キラキラは間違いなく伝染するのだ。
そうなのだ、つまり指導者の私がキラキラしていなければ、選手たちにも伝染してしまうのだ。
理屈よりも身体を動かせる人、そうありたい。
しかし、これはけっこう難題なのである。


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