田舎・山奥の暮らしとは・・・
田舎暮らしや山奥アウトドアの人気が、高まっています。
しかし、昭和初期の時代の方々の世代では、
故郷がそもそも田舎と言う方々も多く、今ブームで人気を博しているのは、
若い世代の方々や、男女どちらかが外国人の方など、
都会暮らしよりも、田舎暮らしの方を選ばれた方々です。
当方は生まれは山梨県の田舎生まれですが、
育ちは都会で、都会よりも田舎の方にあこがれもあり、
田舎暮らしでは無いけども、都会から田舎へ13年間山奥にて、
炭焼をしている事で、ほぼ田舎暮らし=リアルな田舎暮らしを体験してきた
ので、いろいろアドバイスを贈る事ができます。
例えば、youtubeにこのような動画がありました。
住むと言う事は、馴染む事でもあり、馴染むまでは時間がかかります。
日本には春夏秋冬があり、田舎暮らしをしていると四季を感じる事が多い。
「さぁ!田舎暮らしだ。」で、一番最初にブチ当る出来事が虫の多さです。
虫も、危険な虫、人体に害を及ぼす虫、見た目がグロテスクだけど益虫と、
さまざまな虫をはじめ、爬虫類や、害獣などが上げられます。
下記に例をあげると、
・スズメバチ、他の蜂類(危険な虫)
・ブヨ、蚊、アブ(人体に害を及ぼす虫)
・アシダガグモ、クモ類とクモの巣(基本益虫)
・アリ、ダンゴ虫、大ムカデ(人体に害を及ぼす虫)
・ダニ(人体に害を及ぼす虫)
ざっとあげると、代表的な物でもこれはどこにでもいます。
動画のように、一時的に殺虫剤など使用しても良いのですが、
これでは、都会暮らしと変わりませんし、費用がかさみます。
田舎暮らしの手法は、自然と共存する事が基本だと考える事が、
移住成功の最短の方法だと認識する事です。
畑など蚊が多くなると、トンボやコウモリが増えます。
ようは、対義語のように、天敵がいるのが自然界なのです。
ですが、人間の都合通りに現れると言う訳ではなく独自の知恵が必要で、
殺虫剤を使用すると益虫まで死滅します。
近年、養蜂のミツバチが劇的減少して農薬について話題になりました。
電撃ラケットとコラボで良く使う害虫撃退ツール(火炎先端細く使い良い)
カセットコンロのガスボンベをふるい生ガスを出すと火炎が広がるので、
クモの巣除去に使用。また大ムカデや、アリの大軍などにも効果発揮。
ただし、火災注意!※数あるトーチの中でも一番よかった品でオススメ品。
では、昭和初期の頃の田舎暮らしの人々は、どのような暮らしを
されていたのでしょうか?
田舎暮らし移住の一歩
昭和初期の頃の生活とは・・・の前に、人間暮らしていく上で、
まず、水の問題があり、その上で衣食住、そして仕事(収入)が上げられます。昔は食と住む環境が密接な関係で、一石二鳥のような出来るだけ、
毎日の事に対し、手間が少しでも省け総収入を増やす事に尽きました。
水を得る事=定着と言う話は先ほどしましたが、次に来る問題は、
エネルギー問題です。昔は薪を拾う事。これは子供の仕事でした。
昔の村の山は、薪が一家を支えるエネルギーだったので、
山もきれいに区分けされ、ヤブ化した山は無い程、年中人が立ち入り、
きれいに手入れされていました。
昭和初期頃までは、ワラぶきの合掌作りの家(大家族住み)も多く、
今でも旧家ではワラぶき屋根にトタンを張った家が田舎で多い。
当時のキッチンは、囲炉裏での鍋料理や、カマド焚きで、
煙がモクモク天井に上がると、三角屋根の合掌作りなので屋根の内側が、
煙で燻され、燻製状態になって屋根材である葦・ワラなどの防腐を始め、
部屋も煙で、害虫やダニなどの発生を防いでいました。
屋根はワラなどの厚みがあるので、虫などがいると煙で燻され、
囲炉裏で食事をしていると、上から煙で燻されたムカデが落ちてきたりと
アクシデントもありましたが、煙も住む環境維持で大事な事でした。
人間の歴史の始めは、竪穴式住居から始まっていて、基本的には昭和初期まで、薪利用の生活でしたが、一つだけ進歩があったのは、
水気のある場所と、人の住処や建て屋を別々にした事でした。
基本は、便所は外、台所も外、水場があると煙で家が充満しても、
梅雨の時期などと重なると、カビの増殖がひどく病気になるので、
不便はあるけど、健康を損なう訳にはいかずの理由でした。
御覧は炭焼小屋のテント建て屋ですが、リアルに体験していますし、
近場にログハウスの大きな営業宿泊施設がありますが、
同様の悩み有りとの事でした。また、建て屋の立地条件(日陰)などにより
住生活環境と健康面で、季節柄の影響で大きく左右されたのでした。
食べ物は基本的にイモ類が主食で、鍋料理などが主体でした。
縄文時代は、村の衆が総出で落とし穴などの罠を作ったりし、
1人ではとても仕留める事が出来ない大型獣の猟をしていました。
これは食う為に効率が良く、村のみんなが餓死しない為の最良の策でした。
戦国時代までは、この手の狩りが主体となり、村組織が出来上がりました。
戦国時代の武将が何故、パワフルで強かったかと言えば、
背丈は低いものの、食べる物が害獣だったからです。栄養価が高い。
害獣とは、畑を食い荒らして人間が食べる予定で育てた物を根こそぎ、
食べつくすケモノの事です。主にクマ類、イノシシなどで、
特にイノシシは、縄文時代のマンモスが小型化した猛獣で、
村の衆総出で捕らえると、皆の胃袋を満たすだけの量が取れ、
味も油がのっていて、イノブタで豚系なので、おいしかったのです。
また、熊などでは肉が堅いと有名ですが、その特性を生かし、
なかなか簡単には捕えられない猛獣タンパク質である肉を、
昔は保存食として、煙であぶり燻製にして日持ちをさせていました。
今で言う、ビーフジャーキーや、サラミのようなものです。
また、塩は貴重で山、海、で唯一山で取れない貴重な資源にて、
金塊と同じくらい貴重な物で、塩を罠のエサとするとかなりの確立で獲物が
かかる程でした。ですので猟の際は、酒、塩は必ず供え物で必需でした。
肉以外は、四季折々の山菜採取を始め、畑で作物を育て効率良い生産と
自分たちが食べる分とは別に、収入を得る為に売り物として育る事もして、
しかし、年貢の問題(税として)から、稲作がメインになっていきました。
山も身近であり、山には清水の沢がたくさん流れていて、
村の知識人を始め、地の利を生かした産物も生産していました。
昭和初期の頃は、山は区分けされて誰々さん家の山場(薪を拾う場所)は、
ここからここまでと、線引きされて薪拾いをしていたと同時に、
植林も高度成長期に向けて、住宅建材用として杉の木の植林しました。
当時の山は、広葉樹もあり広葉樹を薪として伐採し、植林に国が推奨する杉
を植えて行ったのですが、杉一色だと殺風景と思ったようで、
桜の木を植えていきました。その様子は冬から春に向けての季節に見る事が出来ます。
広葉樹を薪にする一方で、自分たちのエネルギーである薪は、
枝や葉にし、人口の多い都会への売り物として、炭として出荷をし、
村の収入として得る事をしていました。石器時代の猟の集団が、
炭焼衆として村々のみんなを生活共同体として、成り立っていた時代です。
炭焼小屋を山に建てると、山の木が一気に無くなります。
炭焼小屋には二つパターンあって、小さな窯と、大きな窯があります。
小さな窯は、山の木が無くなったら、その山に再度、作り直して山々を、
巡って行き、ハゲ山になった山に、杉を植林していくパターンです。
大きな窯は、炭焼場としての立地条件を村の中で、良く良く検討し、
後世の事も考え、森林組合と共存で村の所有物である山を、
貴重な森林保全と言う形で管理をして来ました。
堅い原木(広葉樹)は、炭として売り物にして行きました。
昭和初期頃までは、車両などはなかったので、基本的に人が背負子で、
背負っていける範囲の重量を村の衆、総出で山から村へ持ち帰り、
都会へ運ぶ行商人に、渡していました。
元々、村組織の由縁はこう言った一人作業では困難な事を、皆の力を合わせ
困難を乗り越えて行く事が始まりで、合掌作りの家のカヤぶきなどや、
生活の要である水引き水路なども村の衆の集団でないと、
困難な事が多くありました。
山の木々は、大小さまざまで一律の年数ではなく、巨木もたくさんです。
普通の炭焼場では、巨木を扱えず放置するしかありません。
近年であっても、そういった放置された巨木は、まず道を作成する事から
始め、重機搬入など大掛かりになり、単発作業では採算が合わず、
林道整備ですら、大きな名目として高圧電線鉄塔の保守としてなどの
大義名分が無いと、税金投入、大企業による投資は無く動けません。
大自然の山ですので、時に人間の作った物など、あっけなく破壊します。
基本的に、日本の山は隆起による山々で、山の尾根から谷に向けて、
雨水が流れます。隆起は岩盤なのでそれ以上下へは水は浸透せず、
地中岩盤の上を水が流れ不自然な人工物があると、壊れていきます。
これは、地下水が湧いた事による土砂流出による地盤沈下です。
年柄年中、山は土砂崩れで、土砂が崩れれば樹木も崩れ落ちます。
林道整備も予算制限があるので、年中、森林組合や土木事務所が、
動ける訳でも無く、村の衆が各々の協力で何とかする事も多々あります。
とりあえず、最低限林道開通させる為、木を切って通れるようにした所。
しかし、どうしても重機が出動しないとどうにもならないケースもあります
ですが、予算が取れるかどうかは、先に述べたように簡単では無く、
台風など襲来が、複数予測できる年度や時期では、動けない事も多いです。
ですが、村の衆は生活の道でもあり、ここでも村の衆による活躍により、
何とかする事も多々あります。
春夏秋冬で夏は台風、冬は雪。村の衆の生活道路である林道も、
アイスバーンになったり、大雪で通行止めをせざるを得なくなり、
買い物へ行く道も、山を迂回する程の大回りを余儀なくされるケースも
多々発生します。昔はこのような道路は無く、隣の村から隣の村へ、
産物を行商人に渡す道で、重要な道である事は昔も今も変わりませんので、
今でも、昔からの名残と伝承で村の衆が利権と言う形で守っています。
利権とは、歴史伝承で居ついて守ると言う事です。
衣食住とは、住む事に始まりますが住み心地を得る為に、
それ相当の出来事と、乗り越えてきた理由があり、
その日々は、四季のそれぞれに合わせ、絶え間なく続き守っています。
また、食の問題も住む問題と密接な関係です。
住、食が平穏無事に毎日を遅れるようになると、着るものになります。
昔は、こうやって養蚕(蚕)を育て畑同様、自分たちの着る物以外に、
行商人に糸を売り、生計をたてていました。
今現在は、昭和初期の高度成長期の頃の国の施策であった、
杉の植林で育てた原木がこのような太い大きさになり、しかし、
海外からの輸入建材の方が安い為、国産杉原木は建材以外の用途で、
主に使われるケースが多いようです。杉伐採は無花粉杉の植林の為。
かつては、広葉樹がたくさん山にあった頃は、
ブナをはじめとする貴重な木が多く、当時の村の衆の中には、
クルミの木を植えたり、今に残る巨木でも当時の思いが伝わってきます。
今、危惧されている事に、水の問題があります。
日本は水に恵まれた世界的に見れば、地の利がある地域です。
この問題は、昭和初期から海外から注目されていました。
それは、大東亜戦争(第二次世界大戦)の時、海外と戦争となりましたが、
それは、大型船を用いた戦いでありました。
船は海ですので、当時は飲料水精製の濾過技術は無く、腐らない水として、
山から海(海軍基地)まで、数十キロに及ぶ水路を作った程でした。
山奥の大自然は、台風などにより鉄砲水と言う形で、沢や川を下り、
比重の軽い木の葉や草、木や枝など根こそぎ流されます。
よって、普段は平穏で綺麗で澄み切った水が流れています。
自然の凄さは御覧のように、比重差で区分けされる程で驚愕します。
山奥、大自然は地だけでなく、空の様相も常に変わります。
大地は生きていると感じる事が多く、
春先などは、樹木に傷を付けると、長い冬から目覚めた木の幹から、
樹液がポトポトと滴り落ちる程、水分を吸い上げていたりと、
現地に行かねば分からない事ですが、生きている感じが強く体感出来ます。
人間の衣食住だけでなく、木々も衣食住を心得て生きています。
冬場は木の葉を落とし、光合成を止め、水分を停滞させる事により、
樹液の凍結を防ぎ身を守ります。
食も広く根を張る事により、広範囲から万遍無く栄養を取り入れ、
他の木々ともまるで協調性を持つかのように、見た目一定間隔を保ちます。
住環境も、伐木する際、周りを見渡してみれば、
その木を倒してしまうと、巨木は無くなり空洞になるような無二な存在感と
威厳を保っているように見える程です。
山小屋作業にて、濡れた軍手を乾かす為に、干してあった軍手に、
指を入れようとしたら、チクリ!
住む場所は、昆虫にとっても選ぶ程、大事なようです。
一見何もいないような感じがしますが、あちこちに住人がいます。
その住人は、少しでも居心地良くする為、改良建築したりし知的です。
杉の木を製材して建てられた水車小屋の中です。
かつては、年貢で米で収めた時代的背景からの名残があり、
その水田利用にて、米の種類が違うもち米などの品種も植えられ、
日持ちする食料事情から、効率的な生産を考え日本全国に水車小屋がありました。ちなみに水車の歯車だけは、杉ではなく、炭材に使うような堅い木。
先にも述べたように、炭焼小屋には二種類あって、
その山の伐採を終えたら作り変える小さな窯と、据付けて焼き続ける釜の
二種類があると話しましたが、後者の炭焼小屋であるが故、
今も稼働しており、軽トラへ樹齢何十年の原木(これはケヤキ)を、
三切れ分しか一台で運べませんが、ピストン輸送で炭焼場に運び入れます。
かつては、このブログで書いたように、全国あちこちに炭小屋があり、
焼いた炭を人口が多い都市へエネルギーとして供給していましたが、
その時代、切り倒せなかった類の巨木は、こんなサイズであって、
山から切り倒し、悪路を搬送させて炭をこさえる所は、
日本全国でもあまり聞きません。採算が合わないからです。
高齢化で伝承も途絶えてきている時代。
かつて大活躍していた先輩達からの伝承を結果的に受け継ぎ、
ブログに残そうとしている13年目の村の外の手伝い人が伝承しています。
元々、堅いケヤキの木は木の幹としてソリが無く、腐りにくい為、
安土桃山時代に、神社仏閣や城などの大黒柱として育てていました。
しかし、城の石垣同様、石運搬同様で、大勢の人出と職人による盛大な事業でもありました。巨木のケヤキやクスノキなどは理由的に特別な木でした。
昔から続く、山奥深く変わらない場所にて、
炭焼と言うのは田舎暮らしに欠かせないあらゆる場面での
基本の場所であり、地産地消の消費を支え、
陶芸、鍛冶などの産業を支え、エネルギー供給としての存在でした。
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