んじゃ、リモートで。
「そういえば、春から東京に行くから。」
まるで「明日は燃えるゴミの日だから。」とでも言うように、できるだけ軽くそう母に打ち明けたのは、転職活動をもうすでに終えた秋の終わり頃だった。
「お母さんもうね、メメが『そういえば海外で挙式してきたよ』くらいの感覚で結婚報告してきても驚かないわ。」母はそう言って笑っていたけれど、父へは、なかなか自分から打ち明けられなかった。結局しびれを切らした母が「お父さん、メメね東京に行くみたいよ。」と伝えてくれた。寂しがってはくれたが、いつだって私のすることを否定せず背中を押してくれる父は、引越しの当日まで、一人で着々と準備を整えていく私の様子を黙ってみていた。
引越しの日、父は荷物の搬送を手伝ってくれた。
東京について、部屋に荷物を運び入れながら、もうすぐ来るしばしの別れの寂しさを振り払うように黙々と作業を進めた。父になかなか言い出せなかったのは、言ったら寂しさが押し寄せてきて、東京に行くことを躊躇してしまいそうな自分がいることを、心のどこかでわかっていたからだろうなと思う。
作業しながら、あぁ、家から離れた大学に行くために初めて家を出た時も、こんなだったなぁと思い出す。
***
高校を卒業と同時に、初めて地元を離れた。
その時も、父は黙って引越しの搬送を手伝ってくれた。
幼い頃から私はよく父と出かけた。いつか一緒に見に行った映画の話を「あの時のあれはよかった」なんて振り返って話すこともよくあった。中でも、海猿は2人で観た映画でよく話題にあがるものだった。海上保安官の仙崎と吉岡がバディを組んで、様々な困難に立ち向かう話だ。「俺たちはバディなんだよ!お前は一人じゃないんだよ!」という仙崎の言葉が、どんなに最悪の状態でも諦めかける吉岡を奮い立たせてきた。
幼い頃、私はそんなに運動が得意じゃないながらも、スポーツ少年団に入りソフトボールをやっていた。なぜならスポーツ少年団に入るのが地区の強制だったからだ。自ら望んだわけではない。ただ、自分があまり気の進まないことでも、始めたことはちゃんとやり通す父の性格をしっかり受け継いで、私はそんなに好きでもないソフトボールを割と熱心にやっていた。週末の夕方は、父とキャッチボールをするのが日課だった。夕飯前に2人で何往復もボールを投げ合い、汗をかいた。
そういえば、初めて自転車に乗った時も、初めて泳いだ時も、運転免許取得後に初めて車に乗った時も、いつだって父がいてくれた。
私と父は、いつだってバディだった。
人生において大切なことはたいてい父に教えてもらったし、私の新しい挑戦は、決まって父が背中を押してくれた。
大学の寮へ、荷物の搬入を終えた別れ際、私はポケットに忍ばせていたバディストラップを父に手渡した。仙崎と吉岡の映画公式グッズだ。父はそれをグッと握り締め、がんばれとだけ言って車を発進した。小さくなっていく車の中で、何度も何度も振り返りながら、大きく手を振る父の姿に、涙が止まらなかった。
いつだって、家族と離れた場所で暮らす選択をしてきたのは自分だ。なのに、別れる時は必ず少しの後悔が残る。なんで家から通える学校じゃだめだったんだろう。なんで家から通える職場じゃだめだったんだろう。そんな考えが、心の中を埋め尽くす。
今回もそうだった。東京から父が遠ざかっていく中、1人これから暮らしていく新居で、涙が枯れるまで泣いた。私が引越すことを知っていた東京の友達から電話がかかってきて、あわてて涙をふいたけど、声でバレバレで笑われた。
「大丈夫、3日で慣れるよ。」
***
友達に言われた通り、東京での一人暮らしには3日で慣れた。
そして、頑なにガラケーからスマホに変えなかった父がスマホを持ち、家族LINEのグループのアルバムに、定期的に〇〇通信とアルバム名のついた写真が追加されるようになった。
「母にせがまれて戸棚を直しました」というメッセージと共に送られてきた「DIY通信」。ビフォーアフターの写真は、ブレブレだしピントも合っていないし、どう良くなったのかいまいちよくわからなかった。
父の趣味のギターを、東京に来てから私も始めてみたということを知らせると、さっそくご丁寧に動画付きの「ギター講座通信」が送られてきた。父は、嬉しそうだった。
ある時なんかは「川でみつけた生き物通信」なんてのも届いた。父は、還暦を迎えてもまだバリバリ仕事をしている割に、休みの日にもいそいそと何か見つけては楽しんでいるようだった。
そして先日「園芸通信」とともに、父が庭で育てた野菜を、段ボール一杯につめて東京まで送ってくれた。私はその野菜で料理を作り、今度は私から父に写真を送った。「ありがとう、夏野菜はビールが進むよ」と。
それに対する父の返信は、
「んじゃ、リモートで。」
という短い文だった。たぶん、流行りのリモート飲み会のことをさしているのだろう。テレビ電話を繋ぎながら飲むこと意味する「リモート飲み会」を、正しく理解していない父から、そっちで勝手に飲んでる写真が送られてきた。
そしてその送られてきた写真と、今目の前に広がっている自分の部屋の光景とが、同じすぎて笑った。
やっぱり離れていても、親子だなぁと、思った。
会いたいなぁ。自然と声が出てしまった。会って、このビールを父のグラスに直接合わせて乾杯がしたい。父の顔が恋しくなって、また泣きそうになった。そんな気持ちを知ってか知らずか、おどけたスタンプとともにがんばれと励ましのエールが届いた。
やっぱり私と父はいつだってバディだ。
そういえば、初めてビールの味を教えてくれたのも、父だったな。その時から、おつまみはチーズというスタンスも変わっていなかった自分に、なんだか笑えた。
ひとり、LINEの画面に向かって「乾杯」と呟き、ビールをぐびぐび飲み干した。ほろ苦くて、少し涙の味がしたけれど、どこか心強くて、安心する味だった。
普段は「ビールより安いから」と、ひとりで晩酌するときは焼酎のお茶割りを飲む父。私と飲む時だけ、ニコニコしながらビールを調達しに行っていたっけ。次帰るときは、私がビールを両手に抱えて帰省しよう。積もり積もった話をしよう。そう決めた。
その時まで東京で、私は夢を追うよ。
今日も、新しい社員証の内側で、バディストラップが揺れている。