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「僕のいた時間」を観る前に(1)

私があの日以前に観た春馬くんの作品は、「永遠の0(2013)」が直近でした。
それ以降の活躍を知らなかったため昨夏、「三浦春馬が思い入れのある作品は何だろう?」と調べてみました。すると自ら企画提案して実現した「僕のいた時間(2014.01.08〜03.19)」という作品があることを知りました。
春馬くん自身に思い入れがあるかは分かりませんが、手元に置いておきたいと思い、DVDを注文しました。「僕のいた時間」が人生で初めて購入したDVDになりました。

その後、You Tubeで初回放送日に春馬くんが番宣している映像を見ました。真剣に訴える春馬くんを見ると、観て消費するだけになってはいけないとうだうだしてしまい、結局購入してから今に至るまで7ヶ月が経っていました。もちろん、観るだけの心の準備がなかったのが最大の理由ですが、最近になってようやく観てみようという気持ちになりました。

観るにあたって、ALSという病気について多少知っておきたいという思いとともに、この作品ができるまでの経緯に興味がわきました。

「僕がいた時間」ができる経緯


CinemaCafe.net 2014.01.21の記事より、

――今作の出演に際し、三浦さんご自身が「命」をテーマにした作品にチャレンジしたいという思いが強かったとのことですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

「ラスト・シンデレラ」に出演している時に、次にどういう役にチャレンジしたらいいか考えていて。その時に命を題材にして、そこで生まれる家族との絆や友人との関わりなど、日頃は深く考えないことを改めて考え直すような、今まで演じたことのない心情や表現力などに挑戦したいと思ったんです。それをマネージャーやプロデューサーに話したところから始まり、実現に至りました。


――自ら発案した内容が連続ドラマになるわけですが、今の心境はいかがですか?

相談していた当時は漠然としたイメージでしたが、こうして形になり、船出をするためにたくさんの人が集まってくれました。キャストもすばらしい俳優陣ですし、スタッフも経験も力もある人たちばかり。もちろん引き返すつもりもないですが、引き返せないところまで来ました。

本当にやりたいと思っていた大きなテーマなので、責任感もどんどん増えています。主人公は命のリミットが迫ってくる中で、どういう感情に陥り、どういう希望に導かれるのか…。自分なりに 考え抜いて、それでも答えが出なかった場合は、周りにいる心強い人たちに支えられながら、表情や心情を丁寧に演じていきたいです。


――自分から、こういう役や物語をやりたいという発信は初めて? 何か心境の変化があったのでしょうか?

初めてですね。今までにも命を題材にしたものはありましたが、テロを扱っていたり、高校生になったり、とても振り幅が大きく、色の強いものが多かった。でも、この作品はそうではなく、身近な人、当たり前の世界でもがいている小さな若者が主人公です。

突然、大きな闇に包まれて、自分が過ごしていた世界がどん どん変化するけれど、ただ暗いだけじゃなく、その中でどうやって希望を見いだしていくのか。そして今まで意識していなかった周りの支えに感謝できるような、そんな思いが伝えられる芝居をしたいと思います。

FRaU 2020.11.06の記事より、

家でテレビをつけていた時、
「それがたまたまALSがテーマのドキュメンタリーだったんです。お母さんがALSになってしまって、子どもが『どうして歩けないの?』『どうして話せないの?』って訊くんです。でもその番組からは家族の愛情とか絆が伝わってきた。これはドキュメント番組だけれど、芝居で、こういう難しい役を演じることはできないだろうか、そんなことを漠然と考えていました。」
〜中略〜
「こういう認知度の低い病気をもっと世間に伝えていかなければ、といった正義感とか使命感はなかったですね。
悔しいのに殴れない、優しくしたいのに抱きしめられない。そういう動きたいのに動けないもどかしさとか、意識ははっきりしているのに、体がいうことをきかない歯痒さのようなものを、芝居で表現してみたかった。とにかく、何か難しい役に挑戦してみたかったというのが正直な気持ちです。」
〜中略〜
「撮影が進んでいくにつれて、協会の方からメッセージや本を頂いたりして…。なんとかこの病気をドラマを通して沢山の人に認知されれば、と考えるようになりました。
僕が自主的に思ったというより、沢山の人たちに気持ちを押されている感じで、それは初めての経験でした。僕らにしかできない伝え方があるんだと思った。」

もし春馬くんがたまたまドキュメンタリーを観ていなかったら、心が突き動かされていなかったら、「僕のいた時間」が世に存在しなかったわけで、どんなドキュメンタリーだったんだろうと俄然興味が沸いたのでした。
しかし、2012、2013年でそれに該当しそうなドキュメンタリー番組を探しましたが、残念ながら見つけることができませんでした。

「99%ありがとう〜ALSにも奪えないもの〜」

ポプラ社のfacebook2014.02.19の投稿で、春馬くんが主人公の心理描写に悩んでいたところ、ALS患者である藤田正裕さんから春馬くんにメッセージと著書「99%ありがとう〜ALSにも奪えないもの〜」が送られ、読まれたことが紹介されていました。

図書館にあったので、借りて読んでみました。
以下ほぼ自分用のメモです。

藤田正裕さんは1979年生まれ。
幼少期は海外での暮らしが長く、高校はアメリカンスクール、大学はハワイに進学し、その後は日本で国際広告会社に就職した。
2010年7月から左腕の脱力に始まり、次第に左足、右側にも同様の症状が現れ、11月に30歳でALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断される。
出版当時の2013年は、動くのは顔と左手人差し指のみで、気管切開をして声を失っているため、視線と瞬きでパソコン操作を行い、執筆活動や在宅勤務をしている。
一般社団法人END ALSを立ち上げ、治療法の確立や患者のコミュニケーションにまつわる医療政策の改革の訴え、ALSの認知を高める活動を行っている。

ALSは感覚神経と自律神経はそのままに、運動神経が攻撃される。少しずつ可動性を失っていき、全身麻痺を引き起こす。現在、ALSに治療法はなく、死に至る病である。
病気の進行は止められないから、自発呼吸ができなくなれば、気管切開するかどうか選択しなければならない。気管切開して人工呼吸器をつければ10年20年と生きられるが、つけたら法律上外せないから、70%の患者は気管切開をせず「死」を選ぶ。著者はもし、途中で呼吸器を外す選択肢が認められれば、ほぼ全員が気管切開するのではないか、法律が人を殺してないかと述べている。
ALSになると、自分で出来ていたことを全て人に委ねなければならず、それに慣れることはない。迷惑をかける自分を受け入れなければならないし、友人が色んな経験をしていく一方、それらを経験しないまま生きていかねばならない。
これが自分の最後の声になるならば、何と声にするか。ALSに奪われることや手放すことへの諦めと焦りがある中、奪われるからこそ迫られる選択がある。
常に死にたいと生きたいの繰り返しであり、毎秒が闘いなのである。目の動きすら奪われるtotally locked-in state(完全に閉じ込められる)になれば、頭は自分のままにガラスの棺桶に入り続けることになる。著者はALS完治後の生活を夢で終わらせないため、沢山の人に感謝しつつガラスの棺桶に、一人向かい合っている。

どういっていいか…ALSがとても残酷な病気であることはわかりました。でももし自分だったら…生きる苦しみに耐えきれず、気管切開と人工呼吸器はせずに、死を選ぶでしょう。

2020年末の近況報告を見ると、藤田さんは、ALSの治療法確立を待ち望みながら、現在もEND ALSの活動を続けておられます。