天外者ノベライズ本を読んで
天外者ノベライズ本。
未公開カットだけ見ようと思って開きましたが、そのまま一気に読んでしまいました。映画を観て、気になったことやわからなかったことが少し理解できました。
勘違いしていたのは、島津斉彬・久光の側近が後の大久保利通だったということです。11回見たのに、同一人物だということに全く気がつきませんでした。
また映画にはありませんでしたが、才助がはるに英語を教える場面や、生麦事件の後、才助が島津久光にイギリスとは戦わず話し合いに持っていくよう進言する場面、桜島を前に五代さんと豊子さんの船着き場でのやり取りを観てみたかったです。
ところで、自分自身に時代背景の知識がないため、なぜ才助のことを周りがあそこまで恥じたり、憤っているのか、幕末の人々の感覚というものがいまいちわかっていません。
そこで儒教と薩摩の侍という点から考えてみようと思います。
江戸時代と儒教
https://www.touken-world.jp/tips/26173/を参考にさせてもらうと
徳川家康は戦乱のない太平の世を作るために道徳が必要と考えた。
社会の秩序を保つためには、支配体制を維持させる必要があり、江戸時代の士農工商という身分制度で、序列をはっきりさせ、身分秩序を保つことにした。
秩序を図るために幕府の思想・教育の基本として、儒教(朱子学)を採用した。武士が修めるべき学問、官学とされるようになると、藩校や寺子屋でも浸透し、日本人の実践する学問・道徳となった。武士の子も一般民衆の子にも、読み書きそろばんと併せて、躾や道徳として定着していった。
話は逸れますが、ほかで見たところ、身分は厳密に固定されていたわけではなく身分変更は可能で、最近の教科書では「士農工商」自体載っていないようです…
儒教の教え
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/6695を参考にさせてもらうと、
「五常」と「五倫」があり、人は「仁・義・礼・智・信」からなる「五常」の得目を守ることで、「五倫」と呼ばれる「父子・家臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持するよう努めらなければならないという内容である。
仁:人を愛し、思いやること
義:利や欲にとらわれず、世のため人のために行動すること
礼:謙遜し、相手に敬意を払って接すること
智:偏らずに幅広い知識や知恵を得て、道理をわきまえることで善悪を判断すること
信:人を欺かず、信頼してもらえるよう、誠実であること
五倫とは、ウィキペディアによると
父子の親:父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない
君臣の義:君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない
夫婦の別:夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる
長幼の序:年少者は年長者を敬い、従わなければならない
朋友の信:友は互いに信頼の情で結ばれなくてはならない
また、華夷思想(自らが世界一の文明を持つと自負し、周辺国は野蛮である)の元凶は儒教だとありました。鎖国していて外の世界を知らないだけでなく、そう考える風潮が日本にあったから井の中の蛙と揶揄されていたのかもしれません。
五代家の立場
「あいつの言うことは奇想天外。皆、そう思うとる」
縁側で碁を打ちながら秀堯がぼやくと、徳夫もうなづく。
「あんな弟を持って恥ずかしい限り。五代家の恥じゃ」
なにしろ、儒学者の家に生まれながら、イギリス留学を請う上申書を藩主に提出するような弟である。西洋かぶれと周囲から揶揄され、攘夷派から命を狙われることも度々起こり、公職にある父と兄は日頃から大きな迷惑を被っていた。(天外者p22)
五代さんは、私利私欲ではなく、日本が西洋諸国の植民地にならないよう日本に力をつけさせるために行動していました。その生き様は、儒教の教えに沿っているようにも見えます。
しかし、身分がある程度固定された時代、その一端を担うのが儒教だとしたら、父や兄のように才助も学者を目指すのがこの時代の当たり前だったのかもしれません。それをしないで体制の維持に背くように野蛮な国に学びたいとか、それを藩主に願い出るというのは狂っているとしか映らなかったのでしょう。父兄も才助に散々言ってるのに聞かないなら、父子の親や長幼の序を重んじる儒教の教えに反すると捉えることもできます。父は世間から教育者たる者がどういう教育しているんだと見られ、肩身の狭い思いをしていたのだろうと解釈しました。
余談ですが、やすさんが、父子のやり取りとヒグラシの鳴き声で昔の地球儀の件を回想し、微笑む場面が好きです。
薩摩藩の立場
才助が、久光に斉彬の遺志で上海に蒸気船を買い求めてくるよう大役を任されました。その後、城外で藩士が待ち伏せをしていました。
「わいのお陰で『薩摩の蘭癖異国かぶれ』と罵られておることを、知っちょっとか?」
「引っ込んでおらんにゃ、容赦せんど」
「なんか言え!馬鹿にしちょっとか!」
無視して通り過ぎようとする才助に対し、刀に手を掛ける者さえいた。若輩にも関わらず大役を仰せつかった才助を、薩摩藩士の多くが妬んでいた。久光は斉彬と違って国学寄りであったから、その憎しみは尚更である。
「刀で人を殺しても、世の中は変わりませぬ。そういう時代になりもんそ」
「なんち?侍がなくなるときがくるち?」
「もう我慢ならん!」(天外者p43)
薩摩藩は当初、公武合体派 (朝廷と幕府を結びつけて幕藩体制を再編強化する)だったそうで、侍がなくなる発言はこれに相反するものです。同じ侍でありながら、アイデンティティを揺るがすようなことを言う上に、長幼の序に反して、国学寄りの久光に才助が重用される面白くなさと妬ましさで、憎しみが層になるのもわかる気がしてきます。年が多いだけで偉い時代、才助は年長者である自分たちを相手にしようとしないのですから、バカにされたと憤怒するのも無理ないかなと理解できました。
その他取り留めもなく…
薩英戦争を経て、久光が西洋諸国の力を知り、薩摩は西洋諸国から学び富国強兵の方向に進路変更しました。
薩摩に帰ってきた才助を追ってきた藩士は攘夷派とありました。久光の考え方とは異なるようにみえますが、こんなことして問題ではないのか、イギリス行きを支援してくれたのはグラバーさんですが、久光は才助の渡英をどう考えていたのか、才助と同じく、捕虜となった森元さんは自害してしまったんだろうかなど気になりました。
例え才助が何をしようとしているのかわからなくとも、息子のやろうとしていることを応援する母の無条件の愛情が才助に伝わって、目を潤ませているこの場面も好きです。徳夫はそっぽを向いてましたが。
五代さんの目指す「男も女も関係なく、皆が夢を見られるようにする」というのは、現在なら容易に受け入れられる考え方ですが、身分制度や儒教の思想がベースの幕末では、理解されにくいものであったと想像できました。しかしその状況下でも屈することなく、目的に生きる五代さんのエネルギーはすざまじいものだし、そういう五代さんの志やエネルギーを今の人にも伝わるよう、春馬くんが身を以て触れさせてくれたから、きっとこの先も五代さんと天外者が好きなんだろうと思うのでした。