思いと想いで幸せになる!#066 coda 最終楽章~1弥勒の世とは?
coda 最終楽章~弥勒の世に向けて
さあいよいよ、
最終楽章 coda(コーダ)に突入!
#001前段~Front Stageで記した
思いという字に関して、
田の心とした時の田んぼの田は、
コーダマークはこの田に何となく似ている?
四つの部屋=心の窓であり、
魂に通じる四つの部屋、
荒魂・和魂・幸魂・奇魂の部屋です。
私たちは何れか(本籍地)の魂の部屋より、
そこを心の窓として物事を
見聞き、感じ、行動している…
・coda 最終楽章~1弥勒の世とは?
弥勒(みろく)の世には様々な解釈が存在し、
宗教的な部分も多々ありますが
私ロビン的には、神様がお創りになろうと
されている世界の姿、これを総称して
弥勒の世としています。(弥勒は369?)
ですので特にこの言葉に
拘りがある訳ではないので、
ただ単に素晴らしい世界とか、
理想郷とか神人合一、神人一体の世界...etc
ぶっちゃけ何でも良いのですw
(名前ではなく、その中身が重要なので)
時々思うのですが、物事の本質より
名前を憶えるのに必死な方が居ます。
そしてその名前を憶えて満足して、
結局のところ中身、
その本質を全く理解していない方が;;;
ここで言うところの本質、
大事な中身とは、全ての人が
一人ひとり天命に沿って生きた
(神様との約束を果たした)なら、
その一人ひとりの集合体である
この世界は弥勒の世になる??
神様がこの世に人を誕生させてから、
もっと言えば人というものを創造する前に
ありとあらゆる、様々な生き物を
人を創るための雛型、
プロトタイプとして生み出し、
結果として男、女の順で人を創造された
(女性こそが神様の最高傑作!)
そしてこの人を使い、
神様から見た素晴らしい世界を
地球という舞台で顕現させようと、
とてつもないロングスパンで
お見守りになっているのが神様なのでは?
そういう意味で言うと、神様は決して
全知全能ではない??本来神とは、
絶対神という存在では
主の大神(すのおおかみ)と言い、
無限絶対無始無終(むげんぜったいむしむしゅう)
限りなく絶対的な存在で始まりなく終わりなく…
ですが何故敢えて全知全能ではないと言うのか?
それはもし神が全知全能ならば、
最初から完成されたもの=理想郷を
パッと掌から出せば良いだけのこと!
それをせず、わざわざプロトタイプ作製し、
その産物として動植物を生み出し、
地球という神様目線からすると
小さな星を舞台に、肉体をもつ
霊体としての最高傑作である
人(ヒト)に弥勒の世の創造を委託した…
天文学的な時間が過ぎる中、未だ完結せぬ
弥勒の世の誕生の時を、神様は待ち続けている…
ですので神様には、
全知全能の可能性がある!と言えましょう。