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長崎次郎書店、長崎書店と保岡勝也⑦長崎茂平が関わったもう1つの保岡作品


熊本商業会議所概要

 残念ながら現存はしないが、熊本にはもう1つ保岡勝也設計の建築があった。明治24年(1891年)に設立された熊本商業会議所(現在の熊本商工会議所)の庁舎である。
 大正10年(1921年)に完成したその建物が、保岡勝也設計の設計によるものだった。熊本商工会議所のホームページに建物の特徴が書かれている。

1921年(大正10年2月1日)
【独立庁舎完成】
熊本市行幸町に独立庁舎が新築落成し、創業以来40余年にして初めて自己の建物を所有した。木造3階建て、時計塔つきの瀟洒な建物であった。

〝熊本商工会議所について”.熊本商工会議所.https://www.kmt-cci.or.jp/about/

 ここには保岡勝也の名前はなく、建物のその後についても書かれていない。
 熊本商業会議所は昭和3年(1928年)熊本商工会議所となり、昭和15年(1940年)に移転したとされている。

1940年(昭和15年7月)
ヤギデパート跡(現在地)を買収、増改築を行い新庁舎移転

〝熊本商工会議所について”.熊本商工会議所.https://www.kmt-cci.or.jp/about/

保岡勝也設計 熊本商業会議所の位置

 現在の熊本商工会議所の場所は、熊本市中央区横紺屋町だが、ここには移転してきたということで、保岡勝也設計の建物は別の位置にあったことになる。その場所については熊本市天神町(現熊本市中央区桜町)であったことが、大正13年(1924年)の地図で確認できる。ちょうど現在のNTT西日本桜町ビル(熊本市中央区桜町3-1)にあたる。

濱田辰次郎.「最近實測熊本市街地圖」.書画堂,1924.
資料所蔵:国際日本文化研究センター

 当時の長崎次郎書店、長崎書店、熊本商業会議所の位置関係は以下の通りであった。

濱田辰次郎.「最近實測熊本市街地圖」.書画堂,1924.(一部拡大)
資料所蔵:国際日本文化研究センター

熊本商業会議所新築の動き

 創立以来、間借りしながら場所を転々としていた熊本商業会議所の初めての独立庁舎が保岡勝也設計によるものであった。
 庁舎を新築するという具体的プランが樹立したのが大正5年(1915年)。大正6年(1916年)は商業会議所議員選挙のため、その動きがストップする。大正7年は準備に過ごし、大正8年(1918年)1月、新築工事予算を正式決定。大正9年(1919年)7月地鎮祭、12月25日竣工、大正10年(1920年)1月24日引き渡しが完了した。

長崎茂平と熊本商業会議所

 大正6年の選挙で長﨑茂平は商業会議所の議員に選出された。そして長﨑茂平は商業会議所独立庁舎新築において大きな役割を担っていたことが当時の新聞に記されている。

常議員長崎茂平氏は、在東京の建築技師保岡勝也氏に設計を委嘱するが爲めに上京し滞在数日に及びて最新式の設計書を得(原文ママ)

九州新聞.1921年2月1日,朝刊4面.

 保岡勝也に熊本商業会議所の設計を依頼したのは長﨑茂平であった。
なぜ熊本に東京の有名な建築家保岡勝也の設計による作品があるのかは、個人的に大きな疑問だった。どうやらそれが実現した大きな理由の1つは、長﨑茂平の存在だったようである。熊本商業会議所は、「長崎書店の大改修」と「長崎次郎書店のファサードの設計」の間に存在したもう1つの保岡勝也作品であった。

商業会議所のその後

 建物も古くなり、手狭になってきたことから、昭和13年(1938年)庁舎建築準備特別委員会を設置し、改築準備に取りかかった。その後、横紺屋町の八木デパート跡を買収し、新しい庁舎の工事に着手。昭和14年末に竣工、昭和15年元日から新庁舎での執務をスタートした。
 保岡勝也設計の庁舎を使用したのは大正10年(1921年)から昭和14年(1939年)末までの期間であった。この旧庁舎のその後については以下のとおりである。

業界の本格的殿堂として独自の地位を誇つていたが、昭和二十年七月一日の大空襲によつて、全舎屋焼失し昔をしのぶ跡形もなくなつた。

「熊本商工会議所六十周年史」.熊本商工会議所,1954.p.34.

 その跡地には現在、NTT西日本桜町ビルがあり、熊本市役所本庁舎建替場所の候補地となっている。


<参考文献>
内田青蔵.“生き続ける建築-9 保岡勝也 ”婦女子”の領分に踏み込んだ建築家“.INAX REPORTNo.175,p.14.
「写真集 熊本100年」.熊本日日新聞社,1985,p.42. 
九州新聞.1921年2月1日,朝刊4面.
「熊本商工会議所六十周年史」.熊本商工会議所,1954p.30.p.31p.32.p.33.p.34.

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