長崎次郎書店、長崎書店と保岡勝也④もう1つの保岡作品「塔屋」の謎
塔屋
安西園恵「保岡勝也の経歴と作品について」の中で「保岡勝也の作品」が表にまとめられている。その中に以下のように書かれている。
大正13年の「長崎次郎書店正面」は現在の建物のことを表していると思われる。ここで注目したいのは昭和5年「長崎次郎書店塔屋」である。建物とは別に昭和に入ってから塔屋が造られたという事実があるのだろうか。ここではそのことについて考察してみたいと思う。
長崎次郎株式会社に残る詳細図
長崎次郎株式会社には、現在のファサードのために大正時代に書かれた4種類の図面の内、1種類が保存されている。その写しを見せていただいた。それは1から4まで数字が振られた4枚の図面から成っていた。4枚の内の2枚目が以下の「詳細図」である。
この詳細図は現在のファサードの元になった図面とは違うが、デザインは現在の建物に通じるものがある。店名を縦に記してある部分の上部の断面図と平面図が図面の左側に描かれており、「塔屋断面」「塔屋小屋平面」と表現されている。この建物において、保岡勝也はこの部分を「塔屋」と呼んでいるのである。
長崎次郎書店外観
以下の写真が現在の長崎次郎書店の外観だが、これは大正時代に描かれた4種類の図面の内の1種類のデザインの通りである。
昭和に入ってからこの建物にさらに塔屋が加えられたという事実は、残念ながら今のところ確認できていない。その代わりに思い浮かぶ一つの仮説がある。「昭和5年竣工 長崎次郎書店塔屋」とは、実は「長崎次郎書店支店(現 長崎書店)塔屋」の可能性はないだろうか。
長崎書店外観
以下が熊本市中央区上通町にある現在の長崎書店の外観である。
左斜め上に塔屋があることが分かる。これについては長崎書店のブログに詳しい。
塔屋の竣工年の謎
仮に長崎書店の塔屋のことだったとして、さらに調べていくと竣工年についての謎が浮かんできた。冒頭の「保岡勝也の経歴と作品について」の中で塔屋の竣工は昭和5年とされているが、過去の書籍で、長崎書店の塔屋については昭和6年に造られたと書かれている物があったのである。以下、長崎書店と、長崎書店を経営していた長崎茂平に関する記述である。
長崎書店に取り付けてあった塔屋は長崎茂平が発案、設計家に依頼して昭和6年に造られたと書かれている。また、竣工年は書かれていないが、以下の記述も確認できた。
どちらにも保岡勝也の名前は書かれていないが、東京の有名建築家、東京の一流建築家が長崎書店の塔屋を設計したことは間違いなさそうである。
これ以前の大正3年に長崎書店が保岡勝也の設計で改築していたことは、以前、以下の文章などを引用して述べた。
大正14年(1925年)に書かれたこの記事には外観写真が添えてあるが、この時は塔屋はない。
しかしその後、昭和10年(1935年)に出版された「くまもと」(新興熊本大博覧会協賛会)に掲載されている外観写真には塔屋が写っている。
これらのことから現在長崎書店にある塔屋は、昭和5年か昭和6年に保岡勝也の設計で造られた可能性があるのではないかと想像している。
現在の長崎書店の塔屋の姿
塔屋は、その後建て替えられた現在の長崎書店ビルの屋上にも残してあり、往年の姿は店舗1階において写真で見ることができる。
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