人生の難易度

初めまして。youtubeでゆっくり解説を投稿しているrobinと名乗るものです。ここでは商業的な動機よりかは少し自分の脳内を詳らかにしようかと思い、書いています。
twitterにも書いてあるんですが、これまでの人生は苦難苦行に塗られていました。最低な時期から3年位経つのですが、思い通りに行かなさ具合ではそんなに変わらんな、と思っています。どちらか選べと言われたら、断然今の方が最高なのですが、こう、アンコントローラブルであることの不愉快さと言うか。それを総じて言うと人生の難易度によるものと言語化できるのかなと。
誰かは忘れたのですが、「人生の難易度を下げるために活動をしています」、と仰っている人がいて、その為に何かの発信をされていたのですが、首ブンブンで「わかる~~」となりました。なぜ、共感したのかを今になって考えると、て自身も人生の難易度の高さを感じていて、それを仕事か発信したいと思っていたからでしょう。
何事も比較対象が無いと易しいも難しいも、高い低いも存在しないと思っていて、少なくとも僕とその発信をしていた方は「(〇〇と比較して)人生の難易度が高い」と感じたのだと思います。その〇〇に入る比較対象はもしかすると子供の頃の人生の難易度なのかもしれませんし、思い描いていた人生かもしれません。
子供の頃の人生の難易度と比較していると仮定します。まぁ親がいて、住む場所寝る場所には困らない。僕が育った家庭の場合、食事は自分で作っていましたね。お目出度いからなのか庇護下にあるとの感覚もそんなに無かったかなと。子供を育てるためには当然お金がかかって、社会との接点を持たざるを得なくて、教育の責任も感じるはずです。家の中でゲームをしているよりは難易度が高いはずです。子供の頃って自分がめっちゃお金持ちになるって思っていませんでした?まだ思っていますが、子供の時は全部純金のホテルを作る、みたいなこち亀思想丸出しのことを兄弟で話し合った記憶があります。比較の話です。責任と制約が無い分、限界の領域が広いのが子供の証ですよね。難易度低、妄想高の状態ですね。
もしかして、子供時代を引きずっているだけの話なのか。難易度云々って。友人に「人生の難易度って高くない?」とLINEしたところ、田舎に住んでる人の方が人生が簡単そうと話になりました。確かに、生まれた場所に住んで、親と親戚と学生時代の彼女とそのまま結婚して、子供が産まれ、家を建ててアルファードに乗る、みたいなイメージがあります。じゃあ僕とその友達が抱えている難易度とは何なのでしょうか。世界に触れる量なんじゃないかと。比較した訳ではないのですが、僕は知識の量が平均よりも多いです。その量の多寡が、難易度を上げさせているのではないかと感じています。手前味噌かもしれませんが、日々学んでいます。自分ができないことをやっているSNSの先人達が沢山いて、でも他の人に出来たんだから自分でもできないはずがない、と鼓舞しながら、出来る範囲で日々試行錯誤しています。そう言った意味で世界を広げる行為が難易度の高さと並行しているのかな、と。
なんだか学び自慢のようになってしまいましたが、まだ何の結果も出ていません。ただ難易度たけーって嘆いている元ホームレスひきこもりです。


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