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死について

飛行機に乗ると強制的に死について考えさせられませんか?
慌ただしく動くキャビンアテンダント、シートベルトをきつく締めろしか言わないアナウンス、愛してるの伝言を残し始める乗客、どうなってるんだよと咆哮、落ち往く飛行機の中の絶望、重力に抗えない機体、味わったことのない衝撃、そして山中に落ちてばらばらになった機体と体。それを撮影するテレビクルーのヘリコプター。山崎豊子の日航ジャンボ機墜落事故を描いた沈まぬ太陽を思春期に読んだせいなんですが、いつも必ず考えてしまいます。今回乗った飛行機が少しだけ揺れただけですが、羽田に着くまで暇だったので死について考えてみました。

イェール大学教授シェリーケーガンの「DEATH 死とは何か」が有名ですよね。途中までしか読んでないのですが、死は苦痛を伴うかもしれないよね、と世界に作用ができなくなるのって怖いよねと書いてあった気がします。恐らくその二つが死を考えるうえでの基礎になっています。

知り合いの豪快おじさんが亡くなった時の話をいつも思い出します。末期がんで余命宣告はとっくにされていました。その奥さんから聞いた話なのですが、夜明け程の時間に「これまでにないくらい体がだるい」と言い始め、救急車を呼びその車内でこと切れたそうです。書いていてもじんわりきてしまうのですが、その悲しみは「彼は苦しんだのかな」と想像したからでした。その時の死生観(と言えるほどのものではないですが)は死は生まれたら必達の境地で、悲しむことではない。ただその際にかかるかもしれない苦しみが、問題なのではないかと。体が生命活動を止めてしまう際の苦しみや痛みを彼が受けていたのかもしれないと考えて仏壇の前で泣きました。その後知ったのですが、死んでしまう程の苦痛があると脳内麻薬がでてそんな苦痛は感じないという話がありますよね。本当のところは分かりませんが。

少し話が逸れますが、死のつながりでラジオの話です。毎週オードリーのオールナイトニッポンを楽しみにしています。若林さんの繊細で男らしくてわがままな感性でどんな話をしてくれるのか聞いているのですが、その中でも好きなくだりがあります。若林さんが相方の春日さんに父親が亡くなったことをメールで伝えたら、一行「残念なことでございやしたね」と。ここは何回聴いてもニヤけてしまいます。オードリーを知っている方でないと面白さが少し分かりづらいのですが、2人の関係性が良く出ています。

おじさんの死から3年程の時が流れます。僕が長野県に居た最低な時期、仕事もないお金もない、頼れる人もいない状態で、恐らく鬱状態のままそれでも何とかお金をと思い三重県に住み込みでアルバイトをしに行きました。新幹線で何時間かかったか忘れましたが、立って読書をしていました。そして仕事の説明を受け、2週間一緒に住む大学生位の人に挨拶をしたのち、買い物に歩いていきました。今思えば寝不足でずっと立ったまま、18時間位飲まず食わずだったので当たり前なのですが、気を失いました。僕の視点から記すと、目を開けたら寝ていて、数人の大学生に囲まれていました。「これどういうことですか」と聞くと「泡吹いて倒れていたんですよ」と。救急車を呼ばれ、病院に行き、無事何もせず解雇になり、僕の人生史上で最低中の最低だった出来事だったのですが、何が怖かったかと言うと、僕の知らない間に僕に関する物事が進んでいたことです。不条理極まりなく世界が進行していて、それなのに皆平然としている。それに恐れおののきました。これが世界に作用できなくなる恐怖です。これは未だに怖いです。
一年前、生焼けの肉を食べて1週間人間ウォーターサーバー状態になりました。腹痛で意識が薄くなった時、「あ、また何もできなくなる」と怖くなり、この感覚を言語化できました。これ何で怖いんでしょうね。もう少し考えていきたいです。

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