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「嫌われた監督」を読んで、仕事について考える

皆さん、こんにちは。今回は、#読書の秋2021の課題図書である「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読んで「考えたこと」についてnoteしたいと思う。

本書の著者は、かつて落合博満が中日ドラゴンズ監督を務めていた時に日刊スポーツで番記者をしていた鈴木忠平ただひら氏。

番記者として8年間、落合監督を間近で取材してきた鈴木氏しか語ることのできない落合監督とのエピソードを中心として、当時の中日ドラゴンズに在籍していた選手やコーチ、フロントマンら12人の証言によって「落合博満はどのように中日を変えたのか」について多角的に描かれている。

ドラフト会議のあと暫くしてから、子どもたちが寝静まった深夜に本書をちびちびと読み進めていった。最下位争いを繰り広げている現実から逃避して、黄金期である当時の中日ドラゴンズの実情に触れることはこれ以上なく充実した読書体験であり、毎晩のささやかな楽しみだった。

忘れることのできない印象的な出来事、例えば「開幕投手・川崎憲次郎」や「日本シリーズ完全試合継投」の裏側についての記述は、中日ファンの私でも知らなかった新事実も多く驚かされた。

その他にも就任以降落合監督がどのようにチームを変革させ、また自身も変わっていったかの8年間の記録はとても生々しく、手に汗握るような緊張感すら覚えることすらあった。いち野球ファンにとっては、戦場であるグラウンドやその周辺で起きたことについてリアルに知ることができる、とても貴重な書籍であると思う。

この本を読むことで、多くを語らない落合監督がどのような監督だったかについて理解を深めることができる。476ページもある極厚本だが、中日ファンのみならずすべての野球ファンにお勧めしたい。


「嫌われた監督」を通して、仕事の目的について考える

ただその一方で、私にとって本書は野球ファンとしてだけでなく、社会人としても仕事や上司についての向き合い方について深く考えさせられる要素も多く含んでいた。

その一つが、仕事の目的とは何かについてである。

例えば、落合博満は「嫌われた監督」としてどこまでも感情を排除して勝負に徹し、プロ監督として果たすべき本質的な目的=チームの勝利を追求するのみに邁進する姿が、本書ではこれでもかと描かれている。

 このころから、喜怒哀楽を出さずに淡々と勝利を重ねる落合の野球は「つまらない」とささやかれるようになっていた。リーグ優勝しても、四万人収容のナゴヤドームにわずかな空席があるのはそのためだと、現場と興行とを結びつける者もいた。
 そんな声を知っていたのだろう。落合は自らに言い聞かせるようにこう語った。
 「勝てば客は来る。たとえグッズか何かをくれたって、毎日負けている球団を観に行くか?俺なら負ける試合は観に行かない」
 落合は勝つことで全てを解決しようとしていた。(P.159)

落合監督のように、プロとして仕事の目的を見失わず真っ直ぐに日々の業務に打ち込めているか?仕事のための仕事になっていないか?

正直読み進めながら後ろめたい気持ちになることもあったが、それはもしかしたら私だけではないのではないだろうか。

また、そんな落合監督の言動に触れたことで、私はあるドイツ人上司との会話を思い出していた。

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開発部門のトップを務めるマティアス(仮名)は、若くして要職についただけあって些細な論理の破綻も見逃さないほど頭の回転が速く、組織内でも随一の切れ物だった。

マーケティング部に所属している私にとっては直属の上司というわけではないが、営業と開発部門の間に入って仕事をすることが多い部署の性質上、彼にレポートする案件も決して少なくはなかった。

私が進行を務める営業チームと開発部門の部長クラス以上を集めた定例会議にも、マティアスの参加を要請していた。その会議では事前に営業チームから会議で話したい議題についてすり合わせて、議事がスムーズに進行するよういつも準備を周到に行っていた。

ある日の会議の直後、マティアスは強めの口調でこう言った。

「会議の進め方を改善してくれ。現状は営業チームのデイリータスクについてレビューするだけで、彼らが話しやすい話題を取り上げているに過ぎない。我々は営業チームにとって耳の痛い話題であっても、将来のシェア拡大に繋がるなら議題に挙げて徹底的に議論しなければならない。俺は営業チームに嫌われようが気にしない。営業部長とベストフレンドになることが目的なんかじゃない。結果を出すことが目的なんだ。

一方的に捲し立てると、彼はすぐに次の会議へと向かっていた。

無論、私は営業チームに忖度していた訳ではない。ただ定例会議自体がマンネリ化しており、白熱した議論がなされなくなっていたのも事実だった。この文脈における私の仕事の目的は、定例会議を何事もなく終わらせることではない。私はすぐに定例会議の進め方の改善に取り組み、より議論が活性化する提案の作成に着手した…。

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落合監督のように、周囲にたくさんの敵を作ったり誤解を招くような極端なやり方を持ってまで仕事の目的を追求する必要はないと思う。ただ日々淡々と過ごしていきがちな日常業務の中で、改めて仕事の目的とは何かを自分自身に問いかけて、本質を見失わないように意識していくことは重要ではないだろうか。

落合のプロ監督としての矜恃に触れることは、日々の仕事への向き合い方について振り返る良いきっかけになったと思う。


「嫌われた監督」を通して、これからのキャリアについて考える

本書には落合監督からだけでなく、彼によって人生を変えられた人物からも仕事について考えさせられる場面がある。私にとって特に印象的だったのは、第2章で取り上げられた森野将彦だ。

森野は高卒ルーキーながらプロ初打席をホームランで飾るド派手なデビューを果たしながら、レギュラー獲得までには多くの年数を費やした。それは、高卒一年目で早くも強烈な成功体験を手にしたことによる危機感の希薄さが原因だった。

 時々の監督は、フリーバッティングで森野が飛ばす打球に見惚れた。自然とゲームで使いたくなる。ただ、いざ試合で打席に立たせてみると、あっさり三振して帰ってくることがしばしばだった。実戦になれば、ピッチャーは練習のときのようにはストライクを投げてこないからだ。
 それでもあの日の感触が囁いた。いつか、何となく打てるさ——。そうやって森野から悔しさや切迫感を消し去っていた。(P.69)

そんなプロ9年目の森野に対し、「レギュラーを取りたいか?」と問いかけ、チームの顔であるスーパースター・立浪和義とのレギュラー争いを持ちかけたのが落合監督だった。

中日ファンの多くの記憶に刻まれているだろう、秋季キャンプでの落合監督の森野への地獄のノックは、森野の心にレギュラー獲りへの強い「執着」を芽生えさせた。

 自分はチームの顔である立浪に挑戦状を叩きつけたのだ。落合には、そこにしかお前の居場所はないと告げられた。奪うか、跳ね返されて便利屋のまま終わるか。先にはその二つしかないのだ。
 落合の目を見ればわかる。これはラストチャンスだ。覚悟を決めるしかない。
 森野はプロとして初めて、本当の危機感を抱いていた。(P.79)

その後紆余曲折ありながらも、最終的に森野が立浪からレギュラーの座を奪うことになるのは周知の通り。どこかプロ意識に欠け淡々と野球選手としての日々を消化していた「カゴの中の強打者」は、落合監督との出会いをきっかけに自身のキャリアを切り拓いていったのである。

そんな森野のレギュラー奪取までの意識面でのビフォーアフターについて読み進める中で、私は中日ファンとして知られざるエピソードの連続に興奮している一方、自分自身の将来に対する漠然とした不安が湧き上がってくるのも同様に感じていた。

焦りや危機感とは無縁だった当時の森野に、どこか親近感を覚えていたからだ。森野と同じく、私は今年で社会人生活9年目を迎えていた。

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今の会社に新卒で入社したのは、8年前になる。アメリカの大学院を卒業して同期と遅れて入社した物珍しさもあってか、入社時に配属された営業部ではエリートだなんだと持て囃されることも少なくなかった。

今思えば、軽く一回り以上年の離れた先輩たちにからかわれているだけだったと思う。ただ日々の業務を通して働きぶりを客観的に評価されることも多く、一年目の後半には顧客をアテンドしての自社の海外工場視察も任された。これなら、社会人生活も何となくやっていけそうだ——。慢心していた訳ではない。しかし、キャリアのスタート時点では特段焦りを感じることもなかった。

それから数年が経った。所属は営業部からマーケティング部に変わり、部内では若手と呼ばれることも少なくなる。他事業部では昇進して部下を率いる立場にいる同期や、海外拠点に羽ばたく後輩も出てくるようになった。

私はと言うと、日々の業務はソツなくこなせている実感がある一方で、仕事に対する慣れもあってかモチベーションの低下やキャリアアップへの飢餓感は年を経るごとに失われていった。結婚し、子どもも生まれたこともあって、30代に足を踏み入れて以降の関心は圧倒的にプライベートに向けられることとなる。

入社して8年が経過し、危機感やハングリー精神とは無縁の社会人生活を過ごしていた。

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それでも、今の職業人としての在り方に満足している訳ではない。もっとやりがいのある仕事がしたい、裁量を持って仕事をしたいなど、現状を変えたい思いは少なからず持ち合わせている。ただ改めて考えると、当時の森野のようにそういった思いを実現することに執着するまでには至っていなかったように思う。安定した生活の中で、現状維持に甘んじていたのかもしれない。

だからこそ、落合監督が森野に対しレギュラー獲りへの強い覚悟を求め、レジェンド・立浪との一騎打ちの場に引っ張り上げたのは厳しさを感じる反面、少し羨ましさを感じる自分にも気が付いた。

自分の殻を破り、目的を達成することは膨大なエネルギーを必要とするが、その中でも一番負荷が大きいのは一歩目を踏み出すことだと思う。甘ちゃんの私にとっては、その一歩目を落合監督によって踏み出すことができた森野はやはり幸運だったのだろうと思ってしまう。

しかし、残念ながら私の周囲には落合監督のような存在はいない。直属の上司やその上のマネジメントたちは皆私自身のキャリア形成にたくさんのアドバイスやサポートをくれるが、あそこまで厳しく、半ば強制的に引っ張り上げてくれるようなことは当然してくれない。

だから私の場合は、自分自身が森野にとっての「落合監督」になり、自身のこれからのキャリアを自分で切り拓いて行かなければならないのだ。平和な日々の生活の中でなんとなく避けてきた仕事への取り組む姿勢を見直し、達成したい目標に対して強く「執着」する。

第2章を読み終えた夜遅く、密かにそんな決意をしていた。森野将彦のように後に「時代のヒーロー」と称えられるようなキャリアを送れるかは分からないが、これから気を引き締めて仕事に取り組まねばならないと、強く思うようになった。


終わりに

以上が、私が本書を読んで「考えたこと」である。「書評」とも「読書感想文」ともどこか違うように思うので、このnoteを読んで本書を手に取ってみよう・・と思う読者はもしかしたら少ないのかもしれない。

ただ最後に付け加えるとするなら、本書はプロ野球ファンにとっての良質なエンタメであるのに加えて、プロ野球という特殊な業界で繰り広げられる、多種多様な男たちの生き様を垣間見ることで自身の仕事について考える機会を与えてくれる、そんな側面もあることは強調したいと思う。

一人でも多くの方が当noteを通して、本書や落合博満前監督、そしてあの頃の中日ドラゴンズに目を向けてくれたら嬉しい。


以上、ロバートさんでした。
ありがとうございました!

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