「老人の知恵は」
「老人の知恵は、泥んこ道のようなもの」とは、アフロキューバ宗教の占いに出てくる格言である。
これは前段で、そのあとに「あなたがそれを侮(あなど)って踏みつけると、滑って頭を打つ」というオチがつづく。
2000年代の初めに、わたしはよくロサンジェルスに出かけていた。ダウンタウンの東側にメキシカン・バリオ(地区)があったからだ。
「イーストLA(エルエイ)」と呼ばれる地区には、メキシコ系をはじめとするラティーノ(ラテンアメリカからの移民)、ベトナム人をはじめとするアジア系移民の人たちが住んでいた。
スーパーマーケットには、地域住民のニーズに応えるかのように、エスニックな食品がたくさん売っていた。メキシコ料理に欠かせないたくさんの種類のトウガラシがそろっていて、トルティーヤも安かった。
そんな「イーストLA」で「グアダルーペの聖母信仰」*(註)をめぐる探索をしながら、わたしはダウンタウンのすぐ近くにあるエコ・パーク地区のセルヒオのアトリエ兼自宅をよく訪れた。
セルヒオはエンセナーダ出身のメキシコ人だが、カリフォルニア大学で哲学や芸術を学んだあと、そのままロサンジェルスにとどまり、絵を描いたりDJをしたりしていた。
アーティストしては、人間の顔がトウモロコシみたいに細長い、奇想天外な絵を描いていた。しかし、その顔は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」のように、喜怒哀楽のどれともつかない、不思議な表情をたたえていた。
セルヒオは縦横無尽にハイウェイが走っていて、車がないと生きていけないカリフォルニアの大都市で、敢えて車をもたない生活をしていた。自分に不便を課していた。こうした「変人ぶり」も、わたしがセルヒオに惹きつけられた理由のひとつかもしれない。
あるとき、わたしがロサンジェルス空港で借りたレンタカーで、ニューメキシコのタオスまで行こうという話になった。タオスにはセルヒオが大学時代に一緒にアートを学んだ友人がいて、そこで画廊を開いているらしい。
わたしのレンタカーにセルヒオと、彼の友人二人(男女)を乗せて、1500キロの旅に出た。一口に1500キロといっても、わからないだろう。日本で言えば、東京から鹿児島まで行き、さらに鹿児島から広島まで戻ってくる距離にあたる。ノンストップで車を飛ばしても、14時間かかる。もちろん、途中、トイレ休憩を入れながら休みながら行く。運転手も交代しながら行く。
真夜中にアリゾナの砂漠地帯を抜けていくとき、ガソリン・メーターがゼロに近づいているのに気づいた。町の気配のまったく世界である。途中、すでに明るいうちに一度給油は済ませていた。うっかりしていた。
そこでハイウェイから一般道に降りて、ガソリンスタンドを探すことにした。しばらくゆっくり走っていると、前方に明かりが見えてきた。道路から逸れて、明かりのある方に向かっていった。
すると、まるでSF映画みたいな風景が広がっていた。真っ暗な中で、巨大なクレーンだけに照明があたっていて、まるでどこかの宇宙の惑星に舞い降りたかのようだった。もちろん、人の気配はなかった。真夜中の砂漠のハイウェイよりも不気味な風景だった。
この時ばかりは、それまで後部席でため口をきいていた男女二人も黙ってしまった。
一刻も早くここから逃げださねばならない。そうでないと、宇宙人に連れ去られる!
少なくとも、事件に巻き込まれる!
その時、わたしたちはそんなバカバカしい妄想に囚われたのだ。
幸い、その「惑星」を後にして、しばらく行くと、ガソリンスタンドを併設したモーテルがあった。安堵感と疲労感でぐったりして、わたしたちは給油を済ませると、モーテルに泊まって、朝までしばらく休むことにしたのだった。
確かに老人にも、賢者と愚者がいる。できれば、賢者のアドバイスを聞きたいものだ。しかし、たとえ愚者でも、老人になるまでは失敗を重ねてきたはずである。
そんな愚者の失敗の話だったら、若者が耳を傾ける価値があるかもしれない。たとえ「泥んこ道」に見えても、失敗による知恵が詰まっているのだから。
*註 「グアダルーペの聖母信仰」とは、カトリック教会がメキシコの先住民(ナワトル語を喋るアステカの人々)を改宗させるために、「マリア信仰」を彼らの母神(トナンティン)信仰に重ね合わせたもの。メキシコ国民の6割をなすと言われる、スペイン人と先住民との混血「メスティソ」の人たちの守護神である。
セルヒオと作品
なお、セルヒオのその他の作品は、このサイトでも見られる。
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