口に骨を咥(くわ)えた犬
「口に骨を咥(くわ)えた犬は、吠えることができない」
これは、僕がおこなうキューバのアフロ信仰の占いの、とある運勢に出てくることわざの一つである。
口に骨を咥えた犬といえば、イソップの寓話があまりに有名だ。
犬が橋の上から川を覗きこむと、川面に骨を咥えたもう1匹の犬の姿が映っていた。
それで、その犬の骨まで欲しくなり、ワンと吠えると、咥えていた骨が川に落ちてしまったという。
この寓話の教訓とは、「人間はあまりに欲張りすぎると、かえって損をする」というものだ。
これは人間が貪欲になることを戒(いまし)める寓話だといえる。
これに近い日本のことわざは、「二兎(にと)を追う者は一兎(いっと)をも得ず」だろう。
だが、逆の真理もある。
今から10年以上も前のこと、僕はキューバ東部のエル・コブレという町にいたことがあった。
町といっても、サンティアゴ・デ・クーバから20キロも内陸に入った、山間の田舎(いなか)町である。
余談だが、コブレというスペイン語は「銅」という意味で、ここには銅山があり、かつてスペイン人はアフリカから連れてきた奴隷をつかって、銅の採掘をおこなっていた。
当地にはキューバで有名な立派なカトリック教会がある。
20世紀の初頭にようやくヴァチカンの法皇によって、キューバの守護神と認められた「エル・コブレの慈善の処女聖母」が祀(まつ)られているのだ。
この処女聖母は、ラテンアメリカ各地で見られる、黒い肌をもつ、混血(スペイン系白人とアフリカ系黒人)の聖母だ。
いわゆる「黒いマリア」である。
カトリック教会は、アフリカ奴隷やその末裔の人たちをキリスト教に改宗させようとして、そうした混血の聖母を考案したのである。
毎年、9月8日の聖母の祭日には、全国から大勢の人がこの教会に大挙してやってくる。
とりわけ、ムラート、ムラータと呼ばれる混血の人たちにとっては、一生に1度は訪れたいと思う巡礼の地だ。
人々は、出産や結婚、戦争の武勲、病気の回復を感謝したり、オリンピックなど大きなスポーツの祭典で勝利したことを感謝したり、あるいは願掛けのために、混血の聖母に会いにくる。
しかし、アフリカの血を引く人たちがカトリック教会のそんな戦略に乗ったかというと、それは疑わしい。
というのも、アフリカ系の人たちは、カトリック教会の聖母や聖者(サント)を信じているふりをしながら、内実、アフリカの精霊(オリチャ)を信じる、そんな複雑な信仰形態をとってきたからだ。
アフリカ系の人たちはカトリック教会の聖者暦に従って、聖者の祭日に祭りをおこなわねばなかった。そうした制約の中で、アフリカ由来の祭り(オリチャのための太鼓・踊り・歌)をおこなった。
いわば、「隠れアフロ信仰」である。
僕は、地元のアフリカ系の知り合い女性の叔父にあたる祈祷師(ブルへリア)に頼んで、自分の守護オリチャ(旅をつかさどるエレグア)のための厄払いの儀式(太鼓・踊り・歌)をしてもらうことした。
すると、知り合いの女性も自分自身の守護オリチャ(愛情をつかさどるレイナ・アフリカーナ)のための儀式をしてほしいと叔父さんに頼んだ。
そこで、僕は祈祷師と相談して日にちを選んで、午後に僕の守護オリチャのために、真夜中に彼女の守護オリチャのために儀式をすることにした。
通常、この種の太鼓儀式は夜中に始まり、夜明けまでつづく。
だが、僕たちは1日のうちに、一挙にふたつの太鼓儀式をおこなうことにしたのだった。
儀式の日、近所の大勢の人々がやってきて、3基の太鼓と鉦でリズムを刻むなか、祈祷師のリードで、オリチャのための歌を皆で歌いながら踊った。(上記の写真を参照)
オリチャや死者や先祖の霊に憑依され、神がかりになる人も大勢出た。
この太鼓儀式は「ベンベ」と呼ばれ、よく英語で「パーティ」と訳されているが、ただの「パーティ」ではないのだ。
これは、何も持たずに新天地に拉致されたディアスポラの民(アフリカ奴隷)が生きる意味を確認でき、断ち切られた血縁(先祖霊とのつながり)を取り戻すことができる機会だったのだ。
その日は朝早くから、知り合いの女性のみならず、彼女の親戚の女性たちがやってきて、儀式の飾りつけをしたり、料理をしたり、本番の儀式で歌や踊りをしたり、八面六臂(はちめんろっぴ)の大活躍だった。
逆に言えば、女性たちの存在失くしては、この太鼓儀式は成り立たないのである。
おかげで、翌日の朝までつづく、ふたつの太鼓儀式は首尾よくいった。
1度の努力で、2倍の成果をあげたのだ。
いわば、「口に骨を咥えた犬が吠えても、骨を失うことはなかった」ということである。
ときには「二兎」を追ってもいいのである。
それを日本風に言えば、まさに「一石二鳥」であった。
とはいえ、僕がイファ占いをおこない、「口に骨を咥(くわ)えた犬は、吠えることができない」ということわざが不随している運勢が出てきたらーー
そのときばかりは、相談者に「今は、二兎を追いかけないほうがいいでしょう」とアドバイスすることにしている。
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