幹が曲がって生まれた木
「幹が曲がって生まれた木、それを真っ直ぐにすることはできない」とは、アフロキューバの占いの中に出てくることわざである。
日本語でも「なくて七癖」ということわざがある。どんな人でも「癖」はある。人それぞれに「癖」はちがう。それは他人がどうこういって変えられるものではない。
だから、この運勢(ことわざ)が出たら、わたしは他人や自分の「癖」を変えようなどと思ってはいけない、と伝えるだろう。
あるとき、ハバナの宿に泊まっていた。
日本を離れる前に、東京・麻布にあるキューバ大使館で3カ月滞在できるビザをもらっていた。
だが、ハバナ国際空港に着いたときは、パスポートに1カ月滞在のハンコを押された。若い係員は、面倒くさそうに、市内にある移民局にいけば、更新ができると言った。
1カ月が過ぎる前に、師匠とその息子と一緒に、ハバナの鉄道駅の近くにある移民局を訪れた。30分くらい歩いただろうか。
なぜそこまで引き延ばしていたのか?
あなたはそう思うかもしれない。
わたしは以前、滞在1カ月の観光ビザの延長のため、安全策をとって、期限よりも10日前に移民局に行ったことがある。すると、早すぎる、ぎりぎりに来なさい、と言われたことがあったからだ。
移民局には、大勢のキューバ人とその家族、少数の外国人がベンチに腰をおろして待っていた。キューバでは、こういうときの常として、数時間の待ち時間は覚悟しなければならない。
ようやくわたし順番になり、いくつかある窓口のひとつに行くように言われた。わたしが事情を話すと、応対してくれた若い女性の係員は、あっさりと、わたしにベダード地区にある別の移民局へ行くように言った。ここではあなたのケースは扱わないのよ、と。
そこで、わたしたちは炎天下のなか、その女性が教えてくれた住所をめざした。もちろん、徒歩で。その先に待ち受けている試練など知らずに、軽口をたたきながら。
わたしたちはようやく建物を探しあてた。だが、ドアは閉まっていた。ノックしても誰も出てこなかった。窓のすき間から覗いても、中に人のいる気配はなかった。
「明日、出直そう」と、師匠が言った。
わたしたちは宿に引き返すことにした。
翌朝早くに再びわたしたちは同じ移民局を訪れた。でも、やはり人のいる気配はなかった。だが、ひとりだけ掃除のおばさんがいた。
おばさんによれば、この事務所は、どうもクリスマス休暇に入ってしまったようだった。一週間後にならないと、ここに働いている人たちは戻ってこないのよ。
それだと一カ月のビザも期限ぎれになってしまう。
まずいことになったな、と思ったが、窓口が開いていないのでは、どうすることもできない。
休暇明けに、わたしたちは再びこの移民局を訪れた。
応対に出てきた中年の女性はクールに、わたしのスポンサーであるハバナ大学の財務関係の部署に行って、滞在延長のための料金を払うように指示した。その前に、文学部の学部長の許可が必要だった。
そもそも入国後、最初にそうした手続きを済ましておくべきだった。それを怠っていたのは、わたしの責任である。
わたしはふたつの証明書を移民局に提出した。だが、彼らが直ちにビザの更新をしてくれることはなかった。そこで毎日、パスポートを持って移民局に行き、担当の中年女性に対面することになった。
彼女は、「学長の承認が必要で」とか、きょうは「学長が忙しくて」とか、あれこれ口実をつけて取り合ってくれなかった。それも、あなたがすぐに手続きしなかったのが悪いのだから、と言いたいかのように。
それでも、目的を達するために、わたしは毎日、移民局通いをつづけた。
このときばかりは、社会主義国の官僚制度の末端にいて、庶民をいじめる小役人の底意地の悪さをいやというほど味わされた。
後日、『ある官僚の死』(1966年)というキューバ映画を見て、グティエレス・アレア監督の、キューバの官僚制度を風刺するブラックユーモアに感嘆した。主人公が虫けらのように役所でたらいまわしの憂き目に遭うのである。
私の場合は、まったく埒が明かない状況になって、ついにハバナの友達がわたしに究極のアドバイスを施した。その女性に「袖(そで)の下」を使え、と。しかも、ほかの職員や客に絶対にそうと悟られないように。
わたしは翌朝、友達のアドバイスを実行した。
すると、その日の午後遅くに、宿に連絡があった。「学長の認可が下りた」ので、明日、パスポートを持ってくるように、と。まさに現金なモノである。
さて、確かに「幹が曲がって生まれた木、それを真っ直ぐにすることはできない」という言葉にあるとおり、人の曲がった根性は直すことはできない。
だが、人の態度や行動は変えることができる。このことをわたしは学んだ。
ハバナの友達がわたしに言った。「キューバでは、どんな難問でも、最後にはなんとかなるものなんだ」と。
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