死について、ふたつのこと
今朝ほど、死に行く夢を見た。
理由は忘れたが私は死ぬことになっている。薬のようなものを服用し、それが効いてくるまで普通に生活を続けるのだ。
スターバックス(ということだったが現実のスターバックスとは似ていないカフェ)で若い男性の店員と談笑している間に、次第に息が浅くなっていく。
息は浅いが苦しくない。穏やかな心持ちで、こういう死に方はいいな、このまま死ねたらいいなと思う。だが、ここで死んだら店員さんが毒を盛ったと疑われてかわいそうだな、どうしようかなと思っている間に目が覚める。
死ぬ夢は、覚えている限り初めてか相当久しぶりだ。一般に死の夢は吉夢と言われる。人生が新しいフェイズに入る転機に見ることが多いからだという。
ところで、あなたは死者と話したことはあるだろうか。
私は、私が中学生のとき他界した曾祖母と話したことがある(そう思っているだけで実際に話したのかは検証不能)。
あれは10年以上前だろうか、ある日突然「今日は話せる」と直感し、つながる準備をしたら、実際に目の前(目を閉じた視界のなか)に現れた。
ところが、久しぶりなのに、怒っている。ばあちゃんどうして怒ってるの?と訊くと、足が痛い、治らないのだと言う。
ああ、そういえば曾祖母は晩年重度の痴ほうで、徘徊の途中で骨折したっけ。でもあのときは90代と思えないほどの早さで回復したのだが、治ったことも、死んだことも分かっていないのではないか。
ばあちゃん、足はもうとっくに治ってるよ。しかももうこの世にはいなくて、いまは自由なんだよ。戦死した息子さんが待ってるから、息子さんのところに行っていいんだよ、と伝えた。
すると曾祖母は、納得できていない表情のまま視界から消えていった。
ここで学んだのは、先祖は先祖で、あの世で忙しいんだということ。よく我々はご先祖様に助けてもらおうとするが、向こうだって向こうの生活があるのだ。