色の力
人はなぜ、青に憧れるのか。神秘性、はかなさ、夢などを青にたいして感じるのはなぜか。それらは、たとえば、赤にたいして感じることとずいぶんちがう。そのせいか、表現をしている人のなかで、タイトル、グループ名、会社名などに青という字を入れている人をときどき見かける。
一方、組写真では、赤の入った写真を1枚入れるだけで、全体の印象ががらっとかわる。朱に交われば、ではないが、他の色にはない力が赤にはある。
電磁波として色を捉えれば、青のほうが赤より周波数が高い。
可視領域のなかで最も周波数が高いのが紫で、最も低いのが赤(紫外線、赤外線の語源)。青の周波数は高いが、紫ほどではない。だから、人が青に憧れるのは、周波数だけの理由ではなく、地球という惑星の性質と無関係ではないと思っている。
ところで、私が色を意識し、色について真剣に考えるようになったのは比較的近年で、数年前に志村ふくみさんの著書をあらためて読んだときに、それが加速した。桜が咲く時期、花弁を集めて桜色に染織しようとしたがうまくいかず、幹で染めてみたところ桜色になったという志村さんのエッセイを読んだことがある人も多いはず。その年、雪国の春をカラーネガフィルムで撮った。
それまでは、写真では白黒中心だったし、音楽はピアノ、弦楽器といったモノトーンの楽器を扱うことが多かった。色を嫌っていたわけでない。ラルフ・ギブソンの言葉を借りれば、カラー写真が2段階の抽象化なのに対し、白黒写真は3段階の抽象化。だから、よりシンプルに、より抽象的に、見せること、響かせることを意図すると、白黒、モノトーンになるというのは、私にとっては自然なことだった。
加えて、講座などで接する多くの女性の色に対する感性が、私たち男性に比べてはるかに鋭く、また直感的だったから、色のことは得意な人に任せて、私は色の少ない表現に注力していいかもと思っていたというのもある。
しかし近年、シンセサイザーでの音色つくり、絵の具での色つくりなどを通して、色の持つ力を以前に増して強く感じている。それは、言葉の力と同様に、過小評価してはいけないもの。
今日もオーケストラを聴いてきて、生楽器の幅広い音域でうねったり跳ねたりする波動とともに、その豊かな音色を生で体感してきた。やっぱりやめられない。