研修医は学生ではない

”会社は学校ではない”というドラマがあったが、”病院は学校ではない”という内容で記載したい。

大学卒業後も学校に行くような感じで病院にきている研修医がいる。
研修病院を選ぶときに、
・指導カリキュラム
・研修医むけの臨床講義
・ローテションシステム
など、研修医は学校のようなスケジュールを提示され、言われることを消化すれば一流の医師になれると思っている傾向も否めない。
もちろん、学生は今までの人生(医学部の場合は最短で24年間)は、ずっと学校で学んできており、試験の点数さえよければ進級できた。

しかし、大きな違いが一つある。
”学校では授業料を払う。しかし、病院(会社)ではお金をもらう”
ということだ。
授業料は受け取っていれば、講義する義務は発生する。
しかし、社会人(研修医)になれば給料を受け取り、そこに社会保障もついている状況で、さらに教育までつくのが当たり前と考えている場合は修正してほしい。

労働は時間拘束の対価として支払いされている感覚の研修医が多いが、研修医が生み出す価値によって給料が支払いされているのだ。

”学校や試験で出される問題には必ず正解がある”
上級医が正解を知っていることはない。
正解といえば、患者さんを治す
手法や調べ方(ガイドライン、指針など)を教えることは可能だが、それを担当患者さんへの応用は自分で考えるしかない。
上級医と一緒に正解を見つけ出していく、作り出していく関係性。

”否定だけでなく、代案を出す”
上級医から担当患者さんを当てられ、治療Aをするように言われたとする。
そのときに、エビデンスレベルで間違っていれば、そのエビデンスを提示して討論すればよい。
しかし、患者さんの状態が悪ければ、何らかの選択肢を選ばないといけない。
Aはできない。その場合は、治療法Bを提案してほしい。
それは、入院後、入院中などの状態は刻々と変化するので、
”常にチェックして”
患者さんの状態が改善しない場合は、
・診断が間違っているのか
・治療が間違っているのか
を考えて、その状態にあった検査や治療を提案してほしい。

”教えってもらって当たり前”
このように考えている研修医もいるが、待っているだけではなく、自分で動いて仕事を取りに行ってほしい。
そして、その仕事を通して学ぶことのほうが、講義よりもはるかに得られることが多い。※内視鏡処置を見学にいき、処置具の入れ替えや鎮静の手伝い、患者移動の手伝いなど観察していればたくさんある。

“教育は大変!”
医師を一人育てるのは、すごいコスト(時間、お金、症例経験)がかかるというのが今ではよくわかる。
それだけのコストをかけて成長してくれれば非常に嬉しい。
しかし、中途半端になって辞めていく医師もいる。
その違いは、素直さとフィードバックに対するレスポンスだと考えている。

プロフェッショナルファームで、最初にfireされるのは、高いアウトプットが出ない人ではなく(最初はなかなかバリュー出ないから)、フィードバックをアウトプットに反映できない人である。なぜなら、改善可能性、成長可能性がないので、時間を投資する意味がないからである。                瀧本哲史

”好きなこと・興味があることをやるためには、嫌いなこともやる!”
好きなことや興味があることだけをやりたいと考えている医師も多い。
(消化器内科での内視鏡処置:ESDやERCPなど)
しかし、好きなことをやるためには、嫌いなこともやらなければならない。
病棟/外来業務や救急対応、クレーム対応などいろいろな業務が医師にはある。
それから逃げておいて、好きなことをさせてもらえなかったと愚痴を続ける医師もいるが、それは違う。病院経営として収益をあげることに協力しなければならないし、それが給料を受け取るプロとしての最低の職務だと考えている。





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