理屈小理屈感性
レコーディングが11月になって……
練習する時間ができたともいえるし、迷走する時間ができてしまったといえる。
歌詞を書いていて、それは、大抵、思い浮かんだ言葉の欠片を広げて、広げていく作業になる。
メロディは言葉を伝えるための道具として言葉についてくる。
理詰めで積み上げたものではないから、トンと指で突いたら簡単に崩れてしまう。
そんな脆い積み木を崩さないように周りを固めていく。
ジグゾーパズルを額にいれる前にノリでピースを固めるように、外側を固めていく。
出来上がった曲を説明しようとすると、とても理屈っぽくなる。
ガチガチに固めているから。
レコーディングを前提に歌いかたを決めていくと、壊れないように固めていた歌詞やメロディの表現に、新しい要素が増えていく。
微妙なニュアンスまで決めるのか?
ライブなら、その場で歌いかたも変わるだろ、という見方もあるけど、少なくとも大きな枠は決めておかないと別な曲になりかねないし。
それは感覚的なものでしかないのだけど、フワフワと浮いたまま、形が不安定なまま、レコーディングを通して形にしてしまう怖さは、ちゃんとあって……
さて、スタジオとかスタッフという要因で先に延びてしまったレコーディング。
考える時間が増えたのは、良いことなのか……?
取り敢えず、歌いかた。
自分の中にある滑舌の悪さや、うちにこもる声、それを克服するために、口を大きくハッキリとという歌いかたをしていたものを、どうするか?
どちらかというとミュージカルや唱歌のような歌いかたを自分の個性として捉えるか、時代におもねた歌いかたにするか……
今風のやたらとファルセットを使った歌いかたに抵抗感はあるんだよな、と感じてはいる。
さて……
ふたつのパターンを提示するわけにはいかないからね。
リスナーさんに、選んだ道が伝わるのか……
そもそも、リスナーをたくさん集めないとならないんだけど……