適応障害 前兆 症状 ver.2
前回の記事に引き続き、かいていきます。
前回は、5月14日のメンタルクリニックの予約をキャンセルしたことで終わりました。そちらの病院は一回も行けていませんが、いい意味で精神科らしくなくて、東京、神田にありますが都内の方は受診しやすいのではないかなと思います。精神科へ行く壁をなかなか越えられない人にはおすすめです。メールでも丁寧に迅速に対応してくださいます。
寮に生活し始めてから、iPhone上のメモで、書きたくなったら書く日記をつけていました。中学、高校生のときも同じように紙媒体ですが日記をつけていました。周りの同級生たちはtwitterやインスタなどのSNSで愚痴を公開で吐いていましたが、私はそれが不快だったので、自分の中だけで大体嫌な気持ちになったときに書いていました。最近その日記は読み返せないくらい辛くなるので捨てました。iPhoneの日記上だと、4月28日に「行きたくないなあ つまんないなあ」と書いてあります。そんなこと仕事をしている大体の人が思っていることだと思うので、仕方ないなあと流していました。
ホテルはシフト制で、レストランでは大体6:00-10:00の朝食の時間の勤務をしたのち、夕食の勤務時間まで休憩、そして大体16:30-23:00くらいまで勤務します。そしてまた翌日の朝6:00出勤を繰り返すというシフトです。
内容としては、リゾート旅館のレストランでのホール業務です。半個室、個室での会席料理の提供です。1人あたり4卓を前半後半に担当するので、合計8グループを接客します。1グループ2人から8人だったり様々ですが、コースである会席料理を待たせず、最適なタイミングで一度に4グループこなします。客単価は¥30,000ほどのホテルなのでそれなりに上質な接客技術は必要です。しかし私は、決められた時間にたくさんの業務をひとりでこなすことが苦手だと分かりました。その仕事は一応こなせますが、精神的に余裕が全くなく追い詰められていきました。4月30日の日記には「これじゃファミレスじゃん」と書かれています笑 お客様と話すのが好きでしたが、他のグループにも料理を提供しないと、早く終わらせないと、という気持ちが勝ち、あまり話さないようになりました。だんだん忘れっぽくなり、小さなミスも増えました。汗をかきにくい体質なのに、仕事では変な汗がずっと出ている状態でした。常にイライラしていて、仕事ではないときに仲の良い同期にも冷たくなってしまいました。仕事の仕組みへの怒りが日々積み重なり、笑顔で対応することも難しくなりました。仕事が終わっても同期とも話したいとも思わなくなり、とにかく1分でも早く部屋に戻って休みたいと思っていました。気持ちを日記に書くこともしなくなり、4月30日以降たった一度、診断前の最後の日記になった5月20日に書いた内容は「ワークライフバランスの崩壊が嫌だ逃げたい。仕事するために無理やり食べて寝て生きてる」でした。生きるために仕事をするはずが逆になっていたことに気づき絶望していました。
朝だけ出勤で夜から休みの日があり、実質3連休がありました。もちろん速攻で実家に向かいました。片道4時間電車を乗り継ぎますが、帰れるなら苦ではありませんでした。1日目は実家に泊まり、2日目はずっと行ってみたかった地元の旅館に泊まりました。周りの人と同じようにとても楽しめました。しかし、レストランの従業員が寮だと思われる場所から16時ごろ出てきたところを見て、ああこの人もこのシフトなんだ、可哀想だなあと思ってしまいました。3日目は実家に泊まり、夜から仕事だったので当日の朝出て帰りました。記憶がこのときから曖昧ですが、帰る日に中学生の時に発症し、高校生で診断された「低音障害型感音難聴」という病気を再発しました。この病気については別で記事を作ろうと思います。若干パニックになったものの上司に伝えると、その日は早く上がらせてもらえました。そして最後になった勤務日、この日は本当に嫌すぎて偶然にも「今日が最後だと思って頑張ろ」と思って仕事をしていました。
次の日は夜から仕事でした。朝食の試食会があったので参加して帰ってきて、座った途端、涙が溢れてきました。4月から突然涙が出て止まらなくなったり、夜眠れない日があったりはしましたが、昼にこんなに泣いたことはなく、もうだめだ思い母親に電話しました。今までは一度ももう限界だと言ったことはなく、相談もしていませんでした。1年我慢という意見の持ち主だからです。その日は偶然母親が休みだということをスケジュールアプリ上で知っていたので、とうとう甘えてしまいました。もし休みではなかったら、どうしていたか分かりません。電話すると「休んで帰っておいで」と言われ、言われた通りにしました。そのときは自分で決断ができなくなっていました。いつもの上司に当日の休みをもらったあと、ホテルの支配人の連絡先を持っていたので精神科に行くことを話しました。誰とも電話ができる状態ではなかったので、許可をとってLINE上で話しました。それまでは精神科の予約さえなかなか取れませんでしたが、偶然にも3日後にキャンセル空きか何かで、地元で予約をすることができました。寮を出る前に、無意識に引っ越す荷物をまとめて、かなり大荷物で地元に帰りました。帰る前に強めの頭痛に襲われ、19時くらいまで寝てから電車に乗り、途中の駅で父親が迎えにきてくれました。
帰ってから3日後に病院へいくまでは、記憶もないし日記もありません。確か家で何もせずに過ごしていたと思います。
そして6月14日、人生初めての精神科に行き、冷静に手短に今までの経緯を話すと、「適応障害だね」と診断されました。医者の前で泣きながら話しそうだなと思っていたときもありましたが、別に驚きもせず、ああやっぱそうなんだという感じでした。それまでいろいろ調べ尽くしていたので、鬱になるまで我慢しなくてよかったと思いました。初診だったので¥6,000弱かかり、休職するための診断書は¥5,500でした。たった一枚の書類に¥5,500かかる時代が早く終わればいいのにと思いました笑 薬に頼りたくないと伝えると、不安を抑える漢方を出してくれました。粉末状の漢方なのですが、勇気を出して飲むと臭すぎてそれから一度も飲めませんでした笑(2週間後の通院で錠剤の漢方にしてもらいました。)そしてそのあとすぐ近くにあった、過去に診断してもらった耳鼻科に行きました。聴力検査をして、あまり大きな差ではないけれど、同じ病名の紙を受け取りました。ここでも粉末状の薬をもらいましたが、それはおいしかったです笑
ここまでが適応障害と診断されるまでの経緯でした。次からは休職中のことを書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます!
苦しんでいる人が、少しでも勇気が出ますように
療養中の人が、少しでも焦らず過ごせますように
克服して、自分らしく生きている人から、少しでも力をいただけますように
この病気への理解が少しでも広まりますように
Roa