破滅その4 鬼ころし

鬼を殺す、鬼ころしとはよく言ったもんである。鬼ころしをご存知だろうか。鬼ごろしではない。鬼ころし。濁点があるのかないのかはどうでもいいようでとても重要なポイントだ。この感覚、きっと茨城県民の方ならよくわかるのではないか。いばらぎではない、いばらきなのである。ちなみに私の苗字も岩川と書いてイワガワではない。イワカワなのである。

そもそも鬼ごろしという名前だと殺伐とした感じが出てしまう。鬼ごろし。人ごろし。鬼ころしは飲み物だから一商品として大衆に受け入れられるよう殺伐感を消すためにこの名前になったのだろうか。勝手な妄想。しかし濁点がないだけでかつおぶしとかいりこだしとかの仲間のように思えてくる。おお、そっちの仲間なら私も大好物だ。どれどれ、どんな飲み物かいっちょ飲ませてもらおうじゃないの、という流れで鬼ころしを飲んでしまうと痛い目を見る。

鬼ころしは日本酒である。所謂、安酒という部類のものだ。安酒の怖さ(今では楽しさも覚えたが)というものはこの鬼ころしで学んだかもしれない。まだ鬼ころしのおの字も知らなかった大学生時分の私は、学生がよくやる外呑みというやつで見事にこの鬼ころしに引っかかった。当時、外呑みをやると訳も分からずこの鬼ころしの大パックを買ってくる人間が必ず一人はいた。理由は明白。安いから。その日も軽音サークルの呑み会には鬼ころしがドデンと鎮座ましましていた。

ははあ、これはどこからどう見ても安酒だな。ビールから始まり、甘い缶のカクテルなんていう今じゃ一切手も触れないようなものも飲み、缶チューハイを飲んで酔い気分になった私。何も知らずに勧められるがままに鬼ころしを口に放り込んだ。おお、全然イケるじゃないか、と思ったが最後。そこから記憶がない。次の記憶はサークルの友達のK君の家だった。

K君は主将と呼ばれていた。K君と書いてはみたものの、かく言う私もK君なんて呼んだ事はない。主将と呼んでいた。だからここからは主将で書き進めていこうと思う。

主将は同学年ではあったが年上だった。たぶん3つ年上だったと思う。3つも年上なだけあって同学年の他の連中とは違って落ち着いていた。当時からいろいろとやらかしがちで危なっかしかった私を生温かい目で見てくれていた。終電を逃せば泊めてくれたし、私が授業をサボる時でも家で寝かせてくれたし、飯や酒も奢ってくれた。本当に面倒見のいいアニキだった。

同学年で年上という事はやはり主将にも紆余曲折あったようで、彼は2度目の大学生であった。1度目は農業系の大学に入ったようだが、中退して受験し直して私と同じ大学になった。前の大学で一体何があったかは知らない。大学に入ってはみたが、やりたい事と違ったのかもしれない。結局、主将に何で大学に入り直したか聞く事はなかった。個人的に他人の過去を詮索するのは好きではないし、知ったところでどうすんだって感じだし。(ちなみに前の大学で主将は山岳部だったらしい。山岳部時代の同僚と会わせてもらった事があるが、その人は米を研がずに炊くという強者であった。研がずに炊いた米はめちゃくちゃまずいらしい)年上ではあったが、言葉遣いもお互いタメ口で何だかんだでサークルでは一番仲の良い人だった。

話を元に戻す。鬼ころしに殺られた私は主将の家で目覚めた。明け方近く4〜5時頃だったと記憶している。主将の家は早稲田荘という、三畳一間風呂なしトイレ共同のアパートであった。外はもう夜が明けようかというところ。俺は何故ここにいるのか。全く記憶がない。隣では主将がいびきをかいて寝ていた。2人で畳に雑魚寝である。季節は春とは言え、梅雨の一歩手前の時期だった事もあり、部屋の中はジメジメして気持ちが悪い。風呂なし三畳一間に当然クーラーなんぞはない。さらに、染みついた汗によるものなのかカビによるものなのかわからないが、畳からはムンとした臭いが上がってくる。既に窓は開け放っているにも関わらず、臭いが外に出て行く事はない。いや、窓が開いている開いていないに関わらず、この部屋には臭いどころか外に追い出す事の出来ない何かが籠っているのだ。この部屋に住んできた歴代の住人の念のようなものが室内に常に漂っている気がした。もちろん主将のものも含めて。

それがために私はひとまず外に出ようと考えた。主将は眠っている。起こさないように部屋の出口へと抜き足差し足近付いていく。扉の前まで来ると扉にかかる南京錠を開け、引き戸を恐る恐る開けていく。ギギギギギギ。建て付けの悪い引き戸が不気味な音を立てる。まるで「はだしのゲン」に出てくる叫び声のようだ。ギギギギギギと開けたからには再びギギギギギギと引き戸を閉めていく。アパート中に音が響き渡り、もうこの音だけで何故か後ろめたい気分になる。外に出たいだけなのに。

扉を閉めて部屋の外に出るとそこは廊下だ。真っ暗。一歩足を踏み締める度にまたギギギギギギと音が鳴る。また後ろめたい気分になる。このアパートは後ろめた荘に名前を変えた方がいいのではないかとまで思える。やっとの事で廊下の端まで行ったら今度は階段だ。ここまで何も書いていなかったが、実は主将の部屋は2階なのだ。真っ暗な階段をまた一歩ずつギギギギギギ。一体ここまででもう何ギギギギギギ鳴らしたのか。後ろめたさも限界を超えている。10段程度の階段を降りてようやく玄関へと出た。トイレ共同という事は玄関も共同であり、玄関には誰の物かわからない靴が無造作に散乱していた。暗闇の中、靴を手に取って右足左足とひとつずつ自分のものか確認し、ようやく外へ出た。

外へ出て初めて気付いたのだが、私はまだ酔っていた。薄暗い街の裏通りをよたよたと歩く。空を見上げると月が見えた。しかし夜も今にも明けようかという頃なので、朝焼けが月の存在を強烈な光で消し去ろうと襲いかかってくる。月よ、頑張れ。そもそも月の明かりは太陽の光。月は自らの力では輝けないので力関係もクソもないのだが、まだ酔っ払っているせいで妙な対立軸が頭に浮かんでくる。

酔ってんな。そう思った瞬間、自分の身体の異変に気付いた。胸の辺りに違和感。何か熱いものが昇り竜のごとく胃の中から食道を駆け上ってくる。口の中が酸っぱくなる。息をグッと飲み込みそれを押し戻す。一連の運動が何度も何度も繰り返される。あ、これは絶対に飲み込まなくてはいけないやつだ。外へ出してはいけない。陽の目を見てはいけない代物だ。決して解き放たれてはいけない。水滸伝では108の星の封印が解かれて梁山泊が出来た。私はここで梁山泊を作る訳にはいかない。絶対に阻止するのだ。頭ではわかってはいるのだが、激烈な昇り竜の突き上げに今にも負けてしまいそうになる。自らを奮い立たせそれを押し戻す。何度もそれを繰り返す。

しかし私は力尽きた。RE:BIRTH。

口の中から溢れ出る大量の液体。月明かりと朝焼けに照らされ、それはキラキラと光り輝いた。まるで天の川のように。月と太陽と天の川の共演。そして天の川が降り注いだ地面には梁山泊が出来た。とても大きな梁山泊が。しかも1つだけではない。その日、天の川は何度も地面に降り注いだ。主将の家の半径100メートルで少なくとも7回は降り注いだのではないだろうか。7個の梁山泊が、道端に、ドブに、電信柱の下に、と出来上がっていった。もう街を汚染しているとしか言いようがない。バイオハザード。全ては鬼ころしの仕業である。

それ以来、鬼ころしは飲んでいない。数回しか。(飲んでるんかい)

そういえば思い出した。その日の呑み会に私が持ち寄った酒は、かの百年の孤独であった。父親が謎の闇ルートで仕入れてきた宮崎の幻の焼酎。時は空前の焼酎ブーム。百年の孤独は東京で飲むと1杯千円は下らないと言われていた。今思えば何であんな酒の味もわからない大学生たちに献上してしまったのか。各々がウイスキーみたいだね、とわかった風な感想を述べていたが、何ならあいつら、俺が記憶を失くしたうちに酔っ払ってブゥーっと新日本プロレスの金丸義信ばりのウイスキーミストならぬ焼酎ミストとかやってそうである。もったいない。もったいないおばけが出るぞ。

ちなみに新日本プロレスで鬼ころしと言えば矢野通である(必殺技の由来)。バンド界で鬼ころしと言えば○○○○○○である(対バンした時に楽屋で飲んでた)。もう何の話かわからなくなったところで今回はお開き。

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