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メイクアガールが心から離れない [追記しました]
ネタバレにならない程度の感想を書くと、すっごいこわかったです。
!! 以下ネタバレ注意 !!
本題
サイコ母親に作られ育てられたサイコ人造人間が、彼女として作ったまともな感性の人造人間とすれ違いメンヘラされる作品って感じでした。
作品としての感想はまずキャラが可愛い。
0号ちゃんも茜も絵里さんも稲葉さんも全員可愛い。
安田さんの細かい動作まで作り込んである動きと合わせることで可愛さの上限が留まるところを知らない。
全員幸せになってほしい。
次に声がいい。
どのキャラもキャラと声のイメージがドンピシャすぎて聞いていて違和感に感じるようなシーンが一切なかった。
逆にキャラの迫真の叫びとかで引き込まれていくことの方が多かった。
キャラが実際に生きていて、違和感に感じるような点がなかったので上映中は引き込まれっぱなしで、ずっと画面にくぎ付けでした。
そして絵がいい。
何気ない日常の一コマ、迫真のアクションシーン。
安田さんの細かな要素盛りだくさんのアニメーションから繰り出される日常と非日常、ふとした違和感の演出はまさに神がかり的なでした。
画面の端で手を振るソルトなどの小ネタに気付けたときのちょっとほんわかする体験は安田作品ならではって感じでした。
ただそれらに対してストーリーが難解過ぎるって印象でした。
作中では明と0号の二人が主軸で話が進んでいくんですが、えげつないくらい母の稲葉さんの干渉があります。そのくせ稲葉さんに関しての情報は限りなく少ない…作中ではずっと黒幕ムーブしていて怪しいを通り越して恐ろしいって印象をずっと抱いていました。
そしてとってつけたように感じた黒幕。
実際はそんなことないんでしょうが、黒幕の行動が物語の最初の方の新型ソルト強盗(自演?)と0号誘拐(失敗)だけでそれ以外に特段目立った行動もしていないところがインパクトに欠けましたね。
新型ソルトは対して活躍しないし、誘拐は失敗するし。
黒幕するならもっとラボ爆破とか直接的に主人公に被害出してほしかったですね。例えば作中で0号の恋愛相談するとこで何とか明から引き離してみたりとか。
というか作中のテーマに対して別のとこにいすぎてこの人いる?って感想が大きいですね。
やるならもっと小さい悪事かもっと大きい悪事してほしかった。
なんなら主人公たちの方が街中に被害出してたんじゃ…?
そして0号との敵対。個人的にここはとても好きです。
『自分の"好き"が本物だと理解してもらうために、自壊覚悟で証明する』
のは理が通っていて非常に好きです。
惜しむべくはそれが叶わなかった事か。
0号ちゃんは作中通して一番感情移入が出来る存在だったので生死はどっちにしろ願いが叶って欲しかったところですが…無念。
そして最後の演出。0号の大切さを理解した(すれ違ったままではある)明と起きない0号。
しかし唐突に0号は目を覚ましどこかに行ってしまう。
ずっと眠っていたことに文句を言うだなんていいながら会いたい一心でラボに向かう明。その背中を見つけて考えていた文句も消えてしまった。
そして0号がこちらを振り返って
”明くん”
ホラーですよねこれ。
エンディングでは各登場人物のその後が描かれます。
明は相も変わらず不思議な開発を続けて、邦人は作中で別れちゃった(0号のせい?)彼女とよりを戻すような演出で。
茜は友達に背中を押されて明に調理実習で作ったお菓子を渡して、叔父さんは深夜帰宅を奥さんに咎められて謝り倒す。
微笑ましい劇後の人物の様子の中で0号だけ様子がおかしい。
完璧にできていたはずのバイトの業務はすべて失敗し、明らかに以前の0号とは様子が違う。
そしてソルトに手を引かれて帰ってくる0号に明は幼いころの自身と稲葉を投影します。
最後は稲葉のように機会に乗って上昇していく0号を明が見上げて終幕。
明かに0号ではない0号の様子が描かれています。
最近オトノケとかでも取り上げられてた洒落怖モチーフなんでしょうか。
個人的にさっきも言いましたが0号への感情移入が一番大きかったのもあってこの終わり方の恐ろしさが非常に印象に残っています。
願いが叶わなかっただけでなく、別の何かに移り変わられてしまっている。
そして何より明はそれを否定しない現状がひたすらにつらいですね。
明を好きな0号と、一緒にいてくれる存在として見ている明の明確な違いをこうもおぞましく描くとは。
ここまでの感想としてはメイクアガールは人間じゃない(比喩)稲葉さんから始まった人間じゃない(直喩)明と0号を利用した稲葉さん復活計画に見えました。
自分を継続するため、研究をするため、もしくは本当にただの興味・親切心から明や0号を振り回す、そんな決して常人に理解できない人間の始めてしまった物語の一端と感じました。
しかしそんな感想を覆すのが主題歌「花星」の特別PVです。
このPVでは稲葉さん(と思われる)女性が「メイクアガール」というゲームをプレイしていく様子を描いています。
稲葉さんはコントローラーでキャラを操っているらしく、コントローラーの動きに合わせて初期0号がくるくる踊りながら道を歩くという作中になかったシーンがありました。
ゲームを進めていくうちに稲葉さんはゲーム機を増やし、作中と同じようにメイクアガールを進めていきます。
そして明と0号が手をつなぐシーンを見てガッツポーズを取ります。
ここまで見て感じたことが作中の目が黄色くなる描写についてです。
作中では作成者の命令に抵抗できなくなる機能が存在しその時には明も0号も目が黄色くなるという演出がされていました。またソルトたちに関しても操作されているような状態ではカメラ部分が黄色くなっているので作中では黄色い=操作というイメージで良いのでしょう。
そのうえでここまで稲葉さんと思われる女性が作中人物をコントローラーで操って「メイクアガール」をプレイしている様子は、本当に本編の裏側の様子なんではないでしょうか。
稲葉さんはプレイヤーで、明や0号はキャラクター。その他の人間はNPCと言ったところでしょうか。
稲葉さんはキャラを操り、選択肢を選びストーリーを進めていきます。
メイクアガールという作品はシュミレーションゲームのように稲葉さんが操っていたのではないかと感じました。
この話で恐ろしいのが0号が茜と仲良くなるシーン。
「明から女性を学ぶように言われた」と作中で言っていますがその命令される描写は存在しませんでした。
しかしこのPVの中では稲葉がそのシーンを操作しているような描写が成されていました。
もしかしてこの明からの命令は稲葉が明を操ったものなのかもしれません。
より稲葉さんの黒幕度が上がったところで話はPVに戻ります。
喜んだのもつかの間いきなりコントローラーに変化が訪れ、画面が砂嵐になってしまいます。
慌ててゲームの電源をつけるとそこには0号の明への気持ちを問う邦人のシーン。
ここからしばらく本編のシーンが続きます。
0号は自分の存在、自分の気持ちに不安を抱きつつも明に積極的にかかわっていきます。
ですが明は研究がうまく進まない焦り、0号の変化に追い込まれて行って荒れていく様子が移ります。
またここで明が0号と一緒にいて安心感を覚えていたシーンも映ります。
稲葉さんはこれを見て涙を流します。
涙をぬぐいながらも画面を抱きしめ「あなたといたい」と言います。
これは作中でも記憶を残したのは自分の死後、明が嬉しい時や辛いときにそばにいてくれる人がいてほしい、だから人造人間の作り方を残したと言っていたのでそのことなのでしょう。
実際このシーンの直前に流れていたのは追い詰められた明と安心感を覚えている明のシーンでした。
今までいまいち行動原理の読めないサイコ科学者稲葉さんだったのが、以外にも言葉通りの行動原理でいて、明を大事に思っていてそばにいてあげたいというのがまぎれもない本心であったと感じました。
ここからは本編の0号を助けに行くシーンが流れます。
本編視聴中も感じていた違和感ですが、ただの学習方法がより良いだけの黄色ソルトがなぜ町中を操り明を導くことが出来たのか。
何となく予想はできていたのですがここまでの描写を読みとるとあの黄色ソルトを稲葉さんが操り、明の支援をしていたと考えられますね。
黄色がそもそも稲葉さんが操っている演出なら、黄色ソルト=稲葉さんって表現なんですかね。
そして0号と別れた際のシーン。
0号は明の命令に背き一緒にいたいと懇願しますがそれを抑えたのが例の抑制機能でした。
ですがこのPVでは黄色い状態は稲葉さんの操作と読み取れます。
そのためこの時0号を止めていたのは機能ではなく稲葉さんだったのでしょう。
明と0号の致命的なすれ違いの原因でもあるのですが、稲葉さんが欲していたのは恋人ではなく誰でもいいから自分の代わりに寄り添ってあげられる存在だったのだと思います。だから恋人に拘る0号の行動は稲葉さん的には過剰に感じたのだと思います。
ただここで劇中にないシーンとして0号がへたり込んだ後に見知らぬ場所に場面が移ります。
0号は何かに気づいたように黄色い眼のままにらみつけるように振り返ります。
それに合わせてゲーム機の異常、モニターの爆発が相次ぎます。
そしてはじけ飛んだコードは意思を持つように稲葉さんの腕に絡みつきます。
逃げようとする稲葉さんをつかむ巨大な0号、しばらく稲葉さんは苦悶の表情を浮かべますが何とか解放されます。
そして駆け寄ってくる幼年期の明。
ここまでこの幼年期の明が登場することは一切なかったです。
気丈に振る舞う稲葉さんですがここで情景が一変して、明と別れる直前の銀杏並木に移ります。
稲葉さん自身もびっくりしているのでこれは稲葉さん自身が望んでいたことではないと読み取れます。
これは現実と同様に稲葉さんに時間がないことの表現なのではないかと思いました。
そして記憶のメモリを託して風が吹くと明は既に目の前におらず、前へ歩んでいってしまっています。
その背中に微笑みかけた後、稲葉さんはその場に崩れ落ちPVが終了します。
メイクアガールの本編、PV共に驚きのタイミングで映像が終了します。にくい演出ですね。続きが気になっちゃうのでぜひ止めて頂くか続きを作成して欲しいです。0号ハッピーエンドルートで是非。
この明が進んでいく演出は本編の明と0号の関係を想起させますね。
自身の被造物であった存在が自身より進化していってしまう。
本編ではそのことが明を追い詰める原因の一つとして作用してしまっていますが、稲葉さんはどことなく満足そうに移ります。
PVを通して稲葉さんは(死人にしては)過干渉な描写が多いです。
特に明や0号を操作しているようなシーンは特に本人たちの尊厳などを踏みにじっているようにも感じます。
しかし稲葉さんの目的は一貫して明の為という風に移ります。
明を見守るため、そばにいてあげたいけどいてあげれない自身の代わりにといった風に。
しかしなんとなく稲葉さんは明以外に興味がないように映ります。だからこそ稲葉さんの代わりなんてものじゃなく恋人であることに執着した0号と対立していたのだと思います。
稲葉さんの偏愛は本作の主役である明と0号にも当てはまる気がします。
明の事が好きだという気持ちが作られたものではないと証明するために襲い掛かる0号も、稲葉さんの残した研究を引き継がんとすることに執着する明も。
哀しいかな0号だけが独り相撲をしている。
どうにか幸せになってくれねぇかなぁ。
ただこうなると不可解なのが最後の0号の肉体を乗っ取った(?)稲葉さんです。
まるで明に全てを託して死んでいったかのようだったのに0号の肉体で起き上がった稲葉さんは何だったのか。
順当に考えるなら0号が危険だから or 0号が起きず代わりの存在もいないから0号の肉体で明に寄り添い続けると言ったところでしょうか。
目的は美しいものなのにどこまでもその過程が常人離れしていて理解が及ばないことが、今作のそれぞれの偏愛を表していると感じます。
本編だけだとサイコ余命僅かメガネ研究者稲葉さんによって明と0号が大変な目に合ってる印象でしたが、PVを合わせることで稲葉さん視点での物語が補完され作中人物の思惑や行き違いがより際立っていました。
特に0号と稲葉さんは明確に対立しているように感じました。
自身の感情を大事にする0号と、自身の代わりとして0号を見ている稲葉さんで対立している中、中身が変わってしまおうとも0号をそのままにしておくクソボケゴーグルくん君ってやつはさぁ。
とても難解だけど、後になって余韻が沁みてくる素晴らしい作品でした。
けどどうしても何度でも言いたい。
0号ちゃんを幸せにしてほしい。
今後も本編や前日譚、アフターストーリーが書籍になるらしいです。
これは読まないと全貌が把握できねぇぜ!皆もぜひ買って読もう!
もしかしたら0号ちゃん復活ハッピーエンドかもしれねえからね!
以上、だいぶ読後感は悪いけどとても面白い映画『メイクアガール』の感想でした。
追記
視聴したあと1日中頭の中がメイクアガールでいっぱいでした。
他の人の感想を見たり、諸情報を見たり…。
その中で 2/7(金) 発売予定のメイクアガール書籍版の試読が出来たので読んでて思ったことです。
小説では映像よりも心情や情景描写が文章でできる分得られる情報が多かったです。その中で特に印象的だったのが明から絵里さんへの心情でした。
絵里さんがラボに遊びに来た時に明が現在開発しているものの紹介をした後絵里さんが現在手掛けているものの話になります。(もう覚えてないのですが本編になかったような?)
曰く絵里さんはソルトの改良、改造を主にしているらしく特別用途に特化したソルトの開発をしているらしいです。
映画の方でも速度面に特化したソルトを作っていましたが、サポート面を削っておりいまいちパッとしない感じでした。
しかし書籍の方では災害時や緊急時、人間では危険な作業を行う事に特化したソルトの開発を手掛けていました。
本人はあくまでもソルトあっての事だと謙遜(映画見る限り本気で思ってる可能性がある)していましたが、明は現状の改善・改良点を見つけることが出来る点を彼女の人間性の面を含めかなり高く評価している描写がありました。
他の人の感想でもあったものなのですが、明が0号を作ってからの開発は描写が同じ過ぎて開発者としての手腕が見えてこないという感想の理由が此処なんだと思いました。
つまり明は0から1を生み出すことが得意で1を2以上に進めていくことが苦手なのではないかという事です。
だからこそ一度壁にぶつかるとそれが長引き迷走に繋がっていってしまう。
それに対して絵里さんは0から1は生み出せないが改良点を見つけ進化させていくことが出来る人なんだと思います。
この点は非常によく理解できてどうしても世間では新しいものを開発、発見した人の方が偉大に見えます。
けれどそういうものでも永遠に最新ではいられず時代の流れと共に変化、進化していかなければならないものです。
けどそういったことをしている人というのは往々にして目立たたないものです、やるせないけれど生みの苦しみが分かるからこそ否定もできません。
けれど明は絵里さんの長所を理解しているからこそ口にこそ出さなくても絵里さんを尊敬していた、けれど当の絵里さんはその才能に嫉妬し映画に繋がっていったわけです。
この話を書籍で見て思ったことはメイクアガールというのはすれ違いの物語だったのかなと言う事です。
偉大なバケモノの母の後任として重荷を背負い続けた明と、明に後を継ぐつもりなんてなくただ人生の岐路を共に過ごしてくれる存在を残そうとした稲葉さん。
明をプログラムではなく本当に好きになった0号と、0号に無理をさせたくなかった明。
自身の代わりに明に寄り添ってもらいたかった稲葉さんと、代わりなんかじゃなく自身から生まれた感情であると証明しようとした0号。
そして科学者としての実績や才能に嫉妬し歪んでしまった絵里さんと、絵里さんがやってきたことやその結果を評価していた明。
すべての人物が互いに思い合っていたことが、悲しくも皆すれ違ってしまっていた。そんな話だったのかなと思いました。
あれからずっとメイクアガールの事を考えていました。
正直映像作品としての評価はすごく高いですが、中身の方はかなり難解で最初見終わった直後は疑問符が尽きませんでした。
そのあとゆっくりかみ砕いて、考察して、推測していく中でやっと自分の中のメイクアガールを一つの形に落ち着けられました。
なので正直「とんでもなく素晴らしい作品!」なんて声高には言えないです。難しすぎて理解できなかったのが実情でしたから。
なのになぜか心に残り続けて、ずっと考えてしまう魅力がありました。
0号は報われないし、明も稲葉さんも考え方が違い過ぎて感情移入できないのに、なぜか嫌いになれなかったんです。
その理由が上記の『すれ違い』だったのかなと腑に落ちました。
いわば「メイクアガール」というのは絡み合う事の出来なかった群像劇なのではないかなと感じました。
『群像劇』って呼ばれるものは、各々が各々の考えを持ち行動することで複雑に絡み合う作品形態です。
ただメイクアガールではみんなが互いの想いを取り違え、すれ違って行った。
だからこそ視聴者にはほとんど理解できなかったし、ビター寄りのバッドエンドに見えた。
だけど複雑に絡み合う事も、すれ違い続けて絡み合えない事も『群像劇』として僕たちが生きる日常にはありふれたことなのかなと感じました。
だからメイクアガールから目を離せない。
どうしようもなく悲しい話なのに無視できないのは、突飛であり得ない話じゃないからなのかななんて感じました。
悲劇ではあるのですが、壮大なものではなく誰にでもあり得るすれ違いが続いた作品。
青春時代に、青春を描いた群像劇に想いを馳せた時の気持ちに似てる気がします。
わからないのに、わかる。
そんな作品だったのかもしれないなと改めて思いました。
以上追記でした。
まだ試読でこれですから今後出てくるメイクアガール関連の書籍が楽しみでならないです。
ここまで引き込まれると思っていなかったです。
今後の人生がまた一つ楽しみになりました。