「差別」の改善について思うこと
先日、俳優のマット・デイモンさんがつい最近まで差別に関するfワードを使用していたと自ら公表し批判を浴びているだとか
「差別はよくない」という前提があるのは当然として、私は
彼は批判されるべきではない
と思う。
例えば彼が何の罪悪感もなく、「これからもfワードを使っていきます」と公表したのなら批判されるべきだと思う
しかし、実際の心中や背景などは分からないものの
おそらくは「差別意識を持つようになった」というもの
つまり、悪い状態から良い状態に変化しつつあるということ。
なんとなくナインティナインの岡村さんとダブりますね。
本人が反省していると主張しているのに叩き続ける風潮。
犯罪を犯したわけでもないのに。
安易な批判を続ける人の心理構造は文章にするに値しないので割愛しますが、
この絶対に許容しない文化はある種、差別そのものではないかとすら思います。
どういった言葉を使い、どういった言動をしていくかというのは
本人の意思もさることながら、環境の要素がとても大きいと思います。
汚い言葉が飛び交う家庭や交友関係を持っていれば自然と言葉遣いは汚くなりますし、善悪の判断も同じ環境に居続ければアップデートされることは難しいです。
つまり差別に対する意識というのは本人の努力だけに期待するのは間違っている。
生まれながらの環境、先天的に与えられたものの影響を大きく受けるということは
それは肌の色だとか言語が異なることに近いのではないかと思う。
みなさんには是非、進化・成長の兆しを見せている人にはできるだけ寛容な気持ちで接して欲しいと思います。
その寛容さが、コミュニケーションを活発にし、間違いに気づくきっかけをつくり、よりよい社会の構築に貢献すると信じているので。
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それでは、あなたの人生がより良いものになりますように。
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