小田急線10人刺傷事件は防げたと思う
8月6日、牛刀で乗客の10人を切りつけるなどした疑いで男性が逮捕された事件。
私はこの類の事件が起こるたびに、秋葉原通り魔事件や川崎市登戸通り魔事件を思い出します。
そしていつも彼らに共通していると思うのは「社会の隙間に落ちてしまっている」ということ。
ニュース記事のコメント欄などを見ていると、いつものように彼らを罵倒する言葉であったり、厳罰化を望む声、いかに更生の余地がないかということの議論ばかりが横行していると感じます。
気持ちとしては分かります
仮に私が被害を受けた当事者であったり遺族であったりすれば、怒りや悲しみをぶつけまくっているかも知れません、しかし
それで何が解決するのでしょう?
幸いにという言葉は不謹慎ですが、事件の当事者でない私たちはこれらの事件を客観的に捉えることができるはずです。
つまり、私たちにしかできないことがあるはずなのです。
事実はどうあれ、少なくとも彼らの視点においては社会や他人への大きな不満があり
それらを正当に発散する方法を与えられず、もしくは見つけられず
その結果、我慢が限界を迎えて間違った決断をしてしまったのだろうということが想像できると思います。
であれば、
社会や他人への不満を解消する
もしくは
ストレスを正当に発散する方法を与えてあげる
ことが問題解決の糸口となるのではないでしょうか。
彼らの人格がいかに異常であるかを指摘しても何も前進しません。
分断が生まれるだけです。
それが彼らへの理解を停滞させ、問題解決から遠のく結果となります。
先天的なサイコパスならまだしも、彼らにも人並な生活や思考回路を持っていた時期がきっとあるはずです。
それらが失われてしまったきっかけを見つけて取り除いてあげることができれば、このような凄惨な事件はゼロにはできなくても減らしていくことは十分に可能だと思います。
不満をそもそも解消することは正直難しいです。
人それぞれの感性があって、どんなに綺麗に整えたとしても至らない部分が見える人には見える。
それに誰も不快にしない言動を世界中の人たちがとり続けるのも非現実的です、どうしたってストレスは起こる。
なので、ストレスを正当に発散する方法を与えてあげる
これが現時点では一番有用だと思います。
少数派から目を離さないこと
イジメられている人がいたら助ける
困っていそうな人がいたらサポートが必要か聞いてみる
孤立している人がいたら声をかけてみる
たったそれだけのことだと思います。
個人主義が台頭する時代、自分のことで精いっぱいな人たちにまで無理強いするのはよくありませんが
少しでも余力のある人たちは、恥をかいても良いじゃありませんか
周囲に目を配り、小さな声かけを少しずつ増やしていきませんか
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それでは、あなたの人生がより良いものになりますように。