『ここにはないもの』を披露したさくちゃんへ〜11th BIRTHDAYLIVEを終えて〜
齋藤飛鳥さんが、「乃木坂46のひとつの時」を止めてから早2ヶ月。
その間、というかあすかちゃんが卒業発表してから、さくちゃんが涙を見せたのは乃木マートでのたった一回だったと思う。
「100点です」と泣きながら微笑んだあの日から、
『帰り道は遠回りしたくなる』の代打センターを務め切って「好きだった、あの場所」で決意を秘めた瞳に涙を溜めて微笑んだあの日から、
「27枚目シングル、大ヒットしますように」と震える声で泣きながら飛んだあの日から、
あっという間に時が流れて、表ではあまり泣かなくなったさくちゃんに、「涙をあまり見せたくない」という強い意思を感じていた。
わたしたちオタクはアイドルが発してくれたもの、そして発さなかったものから勝手に推察して勝手に見守ることしかできないけど。
あすかちゃんに対しての皆の感情は、誰がこう言ったから1番惜しんでいて、誰かがこうしたから1番好きで、なんて測りきるのは難しい。だってみんなあすかちゃんが大好きで、それぞれに関係を築いてきていて、それに貴賎はないし。
けど敢えて特筆するなら、あすかちゃんの卒業を一番受け止めきれていなかったのは、さくちゃんなんじゃないかな、と、さくちゃんオタクのわたしは思う。
今思えばそれも当然で、さくちゃんは誰とでも仲良くなって色んな人とたくさん関わりを持つタイプというよりは、深く狭く、中でもあすかちゃんは特別な存在だったことは想像に難くない。
さくちゃんが乃木坂に加入してから、数えきれないほどたくさんのメンバーを見送ってきたけど、いなくなることを強く不安に思うような関係性を築いた相手の卒業は、多分あすかちゃんが初めてのように思う。もしかしたら、これから先を含めても、「唯一無二」かもしれない。
憧れとも、戦友とも、親友とも、ただの先輩ともまたちがう、唯一無二。
あすかちゃんが卒業発表してから、ほかのメンバーが「飛鳥さんが卒業する実感がない」と言う中でひとりだけ、さくちゃんは最初から「すごく重く感じてる」と言っていた。
そうして迎えた紅白、そしてCD TVライブ。
2022年の最後を、『ごめんねFiggers crossed』で締めくくることがわかった時、のんきに「1番好きな曲で2022年締めくくりなんて最高じゃん」と思っていたけど、実際に曲が始まった瞬間、「そうだった、この曲は色んなメンバーの卒業のタイミングで書かれた、餞の曲だった」と強く思い出した。
それぐらいさくちゃんの瞳は決意に溢れていたし、あすかちゃん卒業後、初めてあすかちゃんに見せる姿にふさわしい素晴らしいパフォーマンスだったと思う。
それ以降も今日に至るまで、さくちゃんがあすかちゃんの卒業について、文章を綴ったことはわたしの知る限りない。
そして口頭で卒業について触れたのは、乃木坂工事中と、乃木マートで1回ずつ、あとはラジオ。涙を見せたのは乃木マートの1回。
工事中でのさくちゃん。
「あまりにずっと一緒にいすぎちゃったので…、離れていっちゃう時に『私も一緒に』ついていっちゃいそう…」
設楽さんが「卒業発表?!」と茶化して、いやいや、と笑って話は流れたけど、きっと本音なんだろうな、と思う。
頭ではそんなこと出来ないとわかっているから、しないけど、でも、と頭を掠めるんだろう。
そして乃木マート。
「喋ると(涙の手振り)、出るので……」
後ろを向いて涙が出そうになっているさくちゃんのあごを、お洋服の袖を伸ばした手でそっと支えた梅ちゃんにグッときてしまったのはまた別の話ですが。
あすかちゃんの卒業に際しては、色んなメンバーが「さみしい」「辛い」「こんな思い出があって」「この先も会いたい」そんな風にたくさん綴っていた。
そんな中さくちゃんは、あすかちゃんが卒業すると発表してから、ブログでもトークでもほとんどあすかちゃんの卒業についての言及はなかった。
結局、トークで12月30日にちらりと触れて、ほとんど毎日トークを送ってくれるさくちゃんの次の更新は、1月2日だった。
さくちゃんがあすかちゃんへの気持ちを外に出してしまったら、何かが変質してしまうんじゃないか。
さくちゃんの預かり知らぬところで勝手に消費されてしまうんじゃないか。
まだあすかちゃんが卒業していくことに対して、何にも気持ちの整理がついていないのに言語化する必要なんてないよ。
…と過保護オタクは見守っていて、変質させてしまう可能性がいちばんあるのはオタクだからこそ、オタクのわたしは"言わない"を選択しているさくちゃんを尊重したいと強く思っていた。
そんな中迎えた、2022年2月22日。11周年バースデーライブ初日。
「乃木坂46の、遠藤さくらです。2022年、12月31日、」
と緊張に包まれて口火を切ったさくちゃんの声は、その時点ですでに湿り始めていた。
「悲しい気持ちも、辛い気持ちも、不安な気持ちも、……乗り越えようとしています」
現在進行形で語尾を切った声が震えていたから、ああ、まだ、まだ全然きっと、と思った。
そうして始まった、『ここにはないもの』。
まだ潤んだ瞳で、泣き出しそうな顔をのぞかせながら、それでもグッと前を見据えて真ん中に立った遠藤さくらの、代打センター。
あすかちゃんを中心に据えていた時の『ここにはないもの』と全く違う表情を持っていて、びっくりした。
この曲は出て行く側の視点の曲だと思っていたし、実際そうだとも思う。
でもさくちゃんが真ん中に立つと、「見送る側視点」の曲にガラッと変わった。
"サヨナラ 言わなきゃ ずっとこのままだ"
きっとずっとこのままでいたかったのに、"ずっとこのまま"じゃいけないことを、もうわかってる。
「自分は太陽が似合わない、と思うのはいいけれど、晴れにしてきた事実は認めてあげ」ないといけない。
もう今がその「いつか腹を括らないといけない時」なんだということから、目を逸らさず、サヨナラを言わないといけない。
"微笑む瞳のその奥に 君は瞬(まばた)きさえ我慢しながら、涙を隠してる"
微笑む瞳で瞬きを我慢して、涙を隠す"君"。
リリースされてからずっと、さくちゃんのことだと思って聴いてきたけれど(わたしはさくちゃんのオタクなので。みんなそれぞれの思い浮かべる"君"がいると思います)。
もしも「涙を見せたくない人はだれ?」と聞かれたら、きっとパッと思い浮かぶのは、みなみちゃんと2人で背を向けたあの子。
"寂しさよ 語りかけるな 心が折れそうになる"
"それでも一人で行くよ まだ見ぬ世界の先へ"
寂しさに語りかけられて、"心が折れそうになる"、"僕"。
「『私も一緒に』ついていっちゃいそう」になるさくちゃん。
"一人で行く"のは卒業していくあすかちゃんのことだと思っていたけれど、「あすかの手」を離れて独り立ちをしないといけない、「あすかの子」。
「心がどうしようもなくなっちゃった時とか、弱ってる時に、絶対に近くにいてくれる」、あすかちゃんと離れないといけない。
一人で、「悲しい気持ちも、辛い気持ちも、不安な気持ちも」乗り越えないといけない。
こうしてみると、あすかちゃんのセンター曲でありながら、さくちゃんが真ん中に立つことを知っていたかのような歌詞構成になっている。
この曲は、自分を奮い立たせるエールの曲であり、飛び立つあの子も、飛び立つあの子から飛び立つ彼女をも応援する曲だとはっきりわかる。
あすかちゃんの卒コンより前のこのタイミングで、さくちゃんがセンターに立って『ここにはないもの』を披露すること、さくちゃんに必要なことだったんじゃないかと思う。
あすかちゃんの卒業に関して、表に気持ちを出す場面が異様なほど少なかったさくちゃん。
本当はさくちゃんの気持ちはさくちゃんだけで抱えて、ひたすら落ち着くまでこちらに見せる必要なんてないよ、と過保護オタクは言いたいけど。
でも近い未来にあすかちゃんの卒コンがある。
否が応でもあすかちゃんへの感情を表に出さざるを得ない日が来て、もしかしたら全く整理がつかないまま、ぐちゃぐちゃのまんま送り出すことになってしまうかもしれない。
今のさくちゃんにとって、どんなに悲しくて辛くて不安で消耗する大変なことでも。
言葉や文章より、パフォーマンスで気持ちを表現してきたさくちゃんだから。
この曲をきちんと解釈して噛み砕いて気持ちを乗せてのパフォーマンスは、きっとさくちゃんが「悲しい気持ちも、辛い気持ちも、不安な気持ちも、…乗り越えようと」するのに役に立ったんじゃないか、と思う。
『ここにはないもの』のあとに披露した『帰り道は遠回りしたくなる』もまた、8thバスラの時の決意に満ちた「強くなりたい」とはまた全く違った。
けど、『ここにはないもの』で決壊した涙と迷子になったみたいな表情のままのさくちゃんに、それでもやっぱり寄り添う曲だった。
この話をし始めたらまた信じられないぐらい長くなっちゃうのでやめておきますが…。
(実際その二日後の4期ライブは憑き物が落ちたみたいにここ最近でいちばん楽しそうな満開の笑顔だったし…ただ同期が好きでご機嫌だっただけかもしれないけど。さくちゃんかわいい。)
涙を、不安や悲しみをあまり表に出さなくなったさくちゃん。
大事な気持ちを、パフォーマンスを、わたしたちファンに見せてくれてありがとう、立ち会わせてくれてありがとう、と心からそう思う。
noteを書いたことがないので締め方がいまいちわからないのですが、長々と書いた文章にお付き合いいただきありがとうました。
全て私が勝手に思って、推測して、解釈したことですので、あくまでわたしからみたさくちゃんです。
もし嫌な気持ちになった方がいたらごめんなさい。違う解釈の方がいたらそれはまたぜひ教えてね。
さくちゃんへの全力の愛を込めて。