設備界のペリー来航!? お雇い外国人「A.P.テーテンス」がもたらした、冬に欠かせない”あるもの”とは
こんにちは!建築設備とロックを愛する男、りょうすけです。私の専門の「建築設備」は、空気・水・電気の配備など、普段は注目されることのない、バンドでいうならベースやドラムのような存在。
でも皆さん!そんなベースやドラムがロックには欠かせないのと同じく、建築設備も建物には欠かせないんです!
例えば、今日のような寒い日。
「外は寒いねえ」と言いながらあったかい室内でアイスを食べたい気持ちです。ところで、あったかい室内でアイスを実現するのには、建物に”設備”が欠かせないのをお気付きですか?
そう!屋根と壁だけじゃ寒くてアイスなんか食べてらんない!暖房が必要です。
今日ご紹介するのは、そんな「暖房機器」を大正時代の日本にもたらした名設備士「A.P.テーテンス(August Peter Tetens 1883~1966)」。
出典『大気社100年史』
エポックメイキングな名建築の設備を紹介してきた本連載ですが、第3回目はこれまでとちょっと趣向を変えて、建築ではなく、人物に焦点をあててご紹介したいと思います。
設備界のペリーこと、A.P.テーテンスが日本に革新的な暖房技術をもちこんでいなかったら、私たちは今も火鉢や暖炉で暖房していたのかも??
そんなあまり知られていないとてもすごい人、テーテンスに迫ります!
え!?火鉢?? テーテンス以前の暖房とは
現在、私たちが当然のように使っている暖房器具。
よく考えてみたら、昔の時代の暖房ってどうなっていたんでしょうか?
まさか焚き火?湯たんぽだったりして?
テーテンスがもたらした暖房技術以前の時代は、どんな暖房を日本では使っていたのか見てみましょう。
日本の近代化が始まる直前の江戸時代あたりから調べてみると、江戸時代は火鉢や囲炉裏などを使っていたよう。部屋全体を暖かくというよりは、人の近くに暖かいものを置き、局所的な暖房を行っていたのです。
そこから明治時代に入ると、洋風文化の流入とともに、暖房技術も日本に取り入れられました。先進諸国では既に暖房技術が発展してて、それらが徐々に伝わるようになってきたのです。
ただ、このころはまだ暖炉のような方法が多く、歴史の教科書でも有名な鹿鳴館ですら、暖炉が採用されている状況でした。
暖炉は火事の原因となることも少なくなかったにもかかわらず暖炉を採用するほど、テーテンスがもたらしたような暖房技術は、まだまだマイナーでした。
ではなぜ、テーテンスがもたらしたような暖房設備が必要になったのでしょうか。
日本初の近代的オフィスビル 東京海上ビルに挑む
出典『大気社80年史』
テーテンスの暖房技術が必要になった理由。
それは、日本にこれまでになかった初めての建築を建てるためでした。
その建築とは、日本初の近代的オフィスビルと言われいる「東京海上ビルディング」。
実は、「東京海上ビルディング」が竣工した1918年ごろから、今の東京の景観にもなっている高層ビルが建ち始めたのです!
ちなみに「ビルディング」という名前がビルの名前として使われたのも、この建物が最初になります。
「東京海上ビルディング」は、この時代の名建築士たち、つまり業界をきりひらいた建築界のパイオニア集団が一同に揃って挑んだ、大きな意味をもつ建築でした。
リズム隊が見事でミクスチャーロックなRed Hot Chili Peppersのように、土台である構造も設備も一目の価値があり互いがうまく融合している、ロック好きにはたまらない名建築だったのです!!
建築の設計は、丸の内の三菱オフィス街の基礎を築いた当時のスター建築家・曽禰達蔵(そね たつぞう、1853年-1937年)。後輩の中條精一郎(1868年-1936年)とともに設計事務所を開設した「曾禰中條設計事務所」が設計を行っていました。
規模は地上7階、地下1階、延床面積19,630㎡という、今の高層ビルに匹敵する規模の建物で、構造設計者は内田祥三が担当していたのだとか。
ここまで大きな建物は、とてもじゃないですが暖炉では暖められませんし、火事の危険性もあります。
そこでこの「東京海上ビル」の暖房システムの設計を、来日直後のテーテンスが建材社の担当者として行うことになったのです。
ちなみに、設計者の曽禰達蔵は同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。辰野金吾は東京駅はじめ、日本に多くの名建築を生み出した人物です。
「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わったのも、曽禰達蔵でした。
A.P テーテンスが実現したのは、今でも最新といえる暖房方式だった!!
出典 株式会社テックHP
この時代の暖房方式として、大きな建物ではスチーム暖房とも呼ばれる、水蒸気を利用したシステム、蒸気暖房(蒸気を使って室内に設置の放熱器をあたためて暖房する方式)が主流でした。
しかしこの東京海上ビルでは、蒸気の代わりに温水をポンプより流して部屋を暖める、温水暖房(温水を使って室内に設置の放熱器をあたためて暖房する方式)を採用しています。当時の仕組みと同じものではありませんが、参考としては、上の図のように仕組みに近いものです。
採用の理由としてテーテンスは、下記のような理由をあげています。
(1)ランニングコストが温水の方が蒸気より安い。(熱損失が少なく制御が容易なため室温の過加熱を防げるため)
(2)衛生上も優れている。
(3)温水暖房の方が装置の耐久性が高い。
面積の大きな建物だと方位によって日照や風当たりが変わるため、外気温度の状況が異なってきます。これに対応するために方位別のゾーニングを行っており、効率よく暖房することを可能にしていました。
また、蒸気に比べて温水は温度が低いため、過度な空気の乾燥をさせず、上下温度の差を小さくすることができ、快適な暖房が可能になるというようなメリットもあったのです。
電動ポンプで全館に温水を送るこの方式はこれまでとは比較にならないほど進化した設備で、これを実現したテーテンスは現在の設備技術、温水による暖房技術の礎となりました。
ちなみに、当時の受注金額は当時の金額で「5万円」だったのだとか!現在のお金に換算すると、およそ2億5千万円ほどだったそう!
まとめ
日本へ近代的な設備をもらたらしたA.Pテーテンス、いかがでしたでしょうか。
温水による暖房は今でもビルなどの大きな建物にも利用されているところもありますし、住宅では床暖房などにも使われているんです!
設備士自体あまり注目されることが多くはないですが、こういった現代の礎技術をもたらしたすごい方がたくさん存在します。MR.BIGのビリー・シーンもそうですが、ベーシストも設備も音楽や建物を支える影の立役者。そういうところで情熱とこだわりを持って活躍している人を見ると、心からリスペクトしたくなります。
そんな、素晴らしい設備士のことを少しでも世の中に発信したい!!
その思いがこの連載のきっかけになっています。今後も継続して発信していき設備士への注目度をあげていきたいと思っています。
最後に余談ですが、テーテンスを招聘した建材社は、筆者が以前勤めていた大気社の前身となる会社。勝手に縁を感じています。
連載担当:りょうちゃん(高橋良輔 - Ryosuke Takahashi)
環境設計部統括/一級建築士。東北大学卒業、同大学院修了。(株)大気社、(株)イズミシステム設計を経て、NoMaDoS一級建築士事務所 を設立、取締役に就任。専門は、建築設備設計、省エネルギー計画。また省エネルギー届出・適合性判定・CASBEE届出の申請業務、ZEBコンサルティングなども展開。
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