髪が長いだけで、女の子らしさは手に入るものですか?
髪を伸ばし始めたきっかけ
私は最近、セミロングだった髪を一気にベリーショートにした。小さい頃からずっとショートカットで、社会人になったタイミングで伸ばし始めたが、3年で元の姿に戻したことになる。
伸ばし始めたきっかけは、周囲からの薦めだった。家族、友人、職場の先輩からも、「ロングも似合うと思うよ」「伸ばしたところを見てみたい」とたびたび言われた。私自身、ショートカットが好きではあったが、首を横に振って結んだ髪をふぁさっとさせてみたい、という小さな願望もあり、この際伸ばしてみようと決意した。
周囲からの評価が変わった
モテる・モテないという話に興味が持てず、必要最低限のメイクなどで清潔感を保つ努力はしたものの、元がいいわけでもないのにそれ以上見た目に気を配ってこなかった。それが、髪を伸ばし始めただけで「最近かわいくなった」「彼氏できたの?」と言われるようになった(注:実際モテ始めたわけではありません)。正直驚いた。
セミロングの域に入ってからは、「女の子らしくなった」「垢抜けた」と言われることが増えた。ほめ言葉なのだから、嬉しいのだけど。特にメイクの腕が上がったわけじゃない。中身だって何も変わっていない。それなのに、髪を伸ばしただけでそんな簡単に”女の子らしさ”って手に入るものなのかな。不思議だった。
周りからの評価は意外と影響力がある。「女の子らしい」と言われるようになってから自分の中で”女の子”の範囲が広がっている、とあるとき気が付いた。なんとなく、前よりおしとやかになった気がする、ガーリーな洋服にも目が行くようになった気がする。私が思う”女の子らしさ”のイメージに少しずつ近づいていっている気がする。
気が付いてからはもうダメだった。すごく嫌だった。
女性として、もっと自分の身なりに気を配るべきなのはよく分かっている。だから、周りからの”女の子らしい”という評価は間違いなくいい意味で、ありがたいもので、なんなら進んで高めるべきものなのだろうけど。でも、それは自分ではない。私はもっと違う言葉がほしい。”自分らしさ”を失ってまで手に入れる”女の子らしさ”に、一体何の意味があるのだろう?
「せっかく女の子らしくなったのに」
髪の長い自分への違和感は、ずっと感じていた。それはただショートの自分を見慣れていただけかもしれない。でも、周りに背中を押されたとはいえ自分の意思で伸ばし始めたのに、ロングの自分は自分ではないような感覚が常にどこかにあった気がする。
「今週末、美容院行ってショートに戻すことにした。」と家族に伝えた。
「えー、せっかく女の子らしくなったところやったのに。」と言われた。
まずもって私は女の子らしくなりたくて髪を伸ばしたのではないので、そんな言い方をされる筋合いはないし、もしそう解釈をされていたのならば心外である。というかその理屈だと、髪の長さと女の子らしさは比例する、ってことになるぞ。そんな単純な式が成り立つのなら、世の女性たちが苦労することはないじゃないか。
みんなが深く考えずに多用する”女の子らしさ”がいかに頼りないものなのか、よく分かった出来事だった。そして、私の中にも何の根拠もない”女の子らしさ”のイメージが出来上がってしまっている(さらにはそれに振り回される不安定さがある)ことを知った出来事でもあった。
私は自分らしさを大事にしたい
他の人の髪形事情は知らない。何が正しいとかもないと思う。定期的に髪形を変えたり、有名人に寄せてみたり、たまにがらっとイメージの違う髪形に挑戦してみたりと、いろんな楽しみ方がある。
私は、”自分らしい”と言える姿でいたい。その邪魔にならないような髪型を選びたい。それが私にとっての楽しみ方だ。